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婚約破棄は結構ですが、卒論提出まであと三日です  作者: rorenji
第二章_新しい村へ

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協力には賃金を払います

「読めません」


 春の第一月二十八日、朝。


 麦穂亭の食堂で、マルタはアウレリアの作った募集文を一行読んで言った。


「文字は明瞭なはずです」


「字の話じゃありません。『群落境界の非破壊的標識設置および環境変数の定時記録』って、つまり何をするんです?」


「苔を踏まない場所へ目印を置き、決まった時刻に温度や湿度を記録します」


「そう書いてください」


 正論だった。


 アウレリアは一枚目を横へ置き、新しい紙へ書き直した。


 募集する仕事は三つ。


 一つ目。旧温室の周りから、枯れ枝とごみを運ぶ。建物の中には入らない。


 二つ目。温室と屋敷を外から調べ、危険な場所を図へ記す。建物を扱える職人のみ。


 三つ目。決めた場所の温度、湿度、土の状態を、朝と夕方に記録する。採取や薬剤散布はしない。


 作業時間は日の出から正午まで。休憩を含む。外周作業の賃金は村の農繁期の日当と同額。専門作業は村の職人相場を基に、テオと合意した額を別紙へ記す。支払いは七日ごと。


 雇用期間は、まず二週間。続ける場合は、双方の合意で契約を作り直す。


 資金は公爵家の追加援助ではなく、アウレリア個人の信託から出す。一年間の上限があり、村人全員を雇うことはできない。


 記録は麦穂亭の食堂に写しを置き、誰でも読めるようにする。支出は記録番号と金額だけを公開し、名前は載せない。


 仕事中に見つけたものを、アウレリアが無断で持ち去ることはない。


「最後の一文は必要ですか」


 ルカが尋ねた。


「必要でしょう。昨日、ゲルトさんが最も疑っていた点です」


「いえ、その下です」


 アウレリアは自分の書いた末尾を見る。


 研究結果が期待どおりにならなくても、賃金は減らさない。


「当然のことです」


「なら、なおさら書いた方がいいですね」


 マルタが言った。


「前に来た学者先生は、村の土が悪いから予定した結果が出ないと言いました。悪い土を調べに来たはずなのにね」


 ルカの鉛筆が止まる。


「その学者の名前は覚えていますか」


「私は顔を見ただけです。五年くらい前だったかしら。役人と一緒で、村長にしか詳しい話はしませんでしたよ」


 五年前。


 ルカは何も言わず、観察帳の余白へ「第一月二十八日、マルタ証言。約五年前」と書いた。


 アウレリアは理由を尋ねなかった。彼が話していない仮説に関わるのかもしれないが、今は募集文を完成させる方が先だった。


 * * *


 朝の九時、募集文を広場の掲示板へ貼った。


 公爵印付き管理命令書の写しと、信託から賃金を支払えることを示す証書の写しも並べる。原本は鍵付き書類箱から出さなかった。


 最初の二週間分の賃金は、出発前に信託から引き出してある。封をした鍵付き現金箱を麦穂亭の金庫へ預け、鍵はアウレリアが所持していた。


 マルタが鐘を一度鳴らすと、十五人ほどが集まった。


 アウレリアが前へ出た瞬間、話し声が止む。


「旧温室周辺の調査と、長期観察に協力してくださる方を募集します」


「実験に使うんだろ」


 人垣の後ろから声が飛んだ。


「土地と植物は研究対象になります。人へ薬や魔法を使う予定はありません」


「予定が変わったら?」


「新しい内容、危険、断る権利を書面で示し、改めて同意を得ます。同意がなければ行いません」


「公爵家の命令でもか」


「わたくしが管理を命じられたのは農場です。あなた方の身体ではありません」


 ざわめきが起きた。


 驚かれる理由が、アウレリアにはわからない。


 ルカが小声で言う。


「当然のことが、当然に守られた記憶が少ないのかもしれません」


 それなら、説明だけで信用されないのも当然だった。


 アウレリアは続ける。


「最初の雇用は二週間です。結果が出なくても、契約した賃金は支払います。作業記録と支出の写しは、麦穂亭へ置きます。わたくしの資金には限りがありますので、全員を雇えるとは申し上げません」


「村を立て直すって話じゃないのか」


「一年で調査と農場管理を行うよう命じられました。村が必ず豊かになるとは、まだ証明できません」


「ただし、結果が期待どおりでなくても、土地ごとの記録は所有者へ返します。働いた方には賃金を払い、直した設備と修理方法は村へ残します。研究だけを持ち帰るつもりはございません」


 人垣の中から、呆れたような息が漏れた。


「そこは、景気のいいことを言う場面じゃないんですかね」


 マルタが囁く。


「できない約束で人を雇う方が問題です」


「本当に商売が下手ですね」


 募集を聞いていた者たちは、すぐには名乗り出なかった。


 一人が帰る。


 二人目も帰る。


 井戸のそばにいた者たちも、相談しながら離れていった。


 残ったのは、前掛けの腰へ鍵束を下げたマルタと、麦穂亭の扉から栗色の二つ結びをのぞかせる少女。それから、袖の木屑を払いながら掲示を読む、昨日会ったテオだった。


 テオは掲示を上から下まで読み、専門職の賃金について書かれた箇所を指で叩いた。


「温室と屋敷の安全調査。修理じゃなく、危険な場所を図にするだけでいいんですね」


「はい。内部へ入る必要がある場合は、先に方法を相談します。危険だと判断したら、中止してください」


「道具代は?」


「消耗品はこちらで負担します。あなたの道具を壊した場合は、作業との関係を確認して修理費を支払います」


「俺の意見と、あんたの設計が違ったら?」


「理由を記録します。建物については、あなたの専門判断を優先します」


 テオは少し考えた後、別紙の金額へ同意した。


 一人目。


 契約期間は二週間。初日は外観と柱の打診調査。修理を始めるかは、結果を見て決める。


 同文の契約書を二通作り、仕事内容、期間、賃金、支払日、中止権、作業に起因する怪我の治療費と補償を記す。双方が署名し、一通ずつ保管した。修理は、この契約には含まれない。


「先に言っておきますけど、あの温室は全部直すより、使える部分だけ区切った方が安いですよ」


「根拠を見てから検討します」


「そう言うと思った」


 テオが鉛筆を置くと、麦穂亭の扉から見ていた少女が飛び出してきた。


「私も書く」


「リナ」


 マルタが眉を上げる。


 少女は掲示板の前へ立ち、胸を張った。


「字、書けるよ。朝も早く起きられる。光る苔の場所も知ってる」


 アウレリアとルカは同時に少女を見た。


「光る苔は、ほかにもありますか」


「井戸の裏と、リンゴ畑の石垣。雨の次の日、暗くなると光る」


 新しい群落の可能性。


 だが、アウレリアは契約書を差し出さなかった。


「十歳の方を、危険な建物の作業には雇えません」


「苔を見るだけなら危なくない」


「暗い時間に一人で観察することも認めません」


 リナの頬が膨らむ。


「ただし」


 アウレリアは新しい用紙を三枚出した。


「保護者の同意があり、日没前に帰宅できる場所に限り、観察方法を学ぶ見習いを一人募集します。勤務は一日一時間以内。危険な場所へは行きません」


「子どもの落書きでも?」


「今回は日中の温度、湿度、土の様子を学びます。一時間の勤務へ定額を払い、記録に不備があっても減らしません。理由を説明して書き直します。夜の発光観察は、将来、成人の同伴と別の同意を得た場合だけです」


 リナは振り返り、マルタを見る。


 リナの母であるマルタは、長い息を吐いた。


「宿の仕事を終えてから。井戸より遠くへ行かない。日が暮れる前に戻る。それを守るならね」


「守る!」


 二人目。


 正確には、保護者付きの観察見習い一人。本人用、保護者用、雇用主用の三通を作り、リナとマルタとアウレリアが署名した。リナは自分の意思でいつでも辞められる。


 そのやり取りを見ていた中年の女性が、人垣の外から戻ってきた。


「ごみ運びは、昼までで本当に終わるのかい」


「延長する場合は、先に同意を得て追加分を支払います」


「なら、二週間だけ」


 三人目の契約が成立した。


 続いて、痩せた男性が一人、外周整理へ名乗り出た。


 成人の契約書は同文二通を作り、各自とアウレリアが一通ずつ保管した。


 最初の募集で決まったのは、職人一人、外周作業二人、観察見習い一人。


 八十三人の村で、四人。


 多いとは言えない。


 それでも、昨日までの協力者はゼロだった。


 アウレリアは四人分の契約書を見た。


「明日の朝は、まずテオが危険区域とM1の保護区域を定めます。外周作業は、その後、安全とされた場所だけで始めます」


 アウレリアは、安全条件を一つずつ読み上げた。


「手袋と底の厚い靴を貸します。硝子片は専用の道具で扱い、温室内部と屋根の下へは入らない。雨や強風なら中止します。署名後でも、説明と違うと思った場合は作業を断ってください」


「あんた、断り方ばかり説明するんだな」


 テオが言った。


「断れない同意は、同意ではありません」


 それを聞いた中年の女性が、初めて少し笑った。


 信用を買うことはできない。


 けれど、働いた分の賃金を払い、約束した記録を残すことはできる。


 最初の四人と始めるには、それで十分だった。


お読みいただき、ありがとうございます。



続きが気になりましたら、ブックマークでアウレリアたちの歩みを見守っていただけるとうれしいです。

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