【第6話】居場所
翌朝――
遠くで鐘の音が響いた。
光瑠はゆっくりと目を開ける。
昨日見た鏡の光景が脳裏をよぎる。
ベッドから立ち上がり、恐る恐る鏡へ目を向けた。
そこには、自分の姿が映るだけだった。
光瑠は小さく息を吐く。
深呼吸を一つ。
今日こそ有理栖を見つける。
そう決意し、部屋を後にした。
部屋を出て一階へ降りると、既に入口にはイヴとノクトが待っていた。
「おはよう、ヒカル。昨日はよく眠れたかい?」
「おはよう、ノクト。もうばっちりだ。」
光瑠はイヴへ視線を向ける。
「イヴも、おはよう。」
「……おはよう。」
イヴは少し間を置いて、小さく返した。
宿の店主が現れる。
「よう兄ちゃんたち。昨日はゆっくり休めたかい?」
「ああ、おかげさまで。世話になったな。」
店主は光瑠とイヴを交互に見つめる。
「その様子じゃ何も進展はなかったようだな。」
店主は苦笑しながら光瑠の肩をぽんと叩いた。
「なんだよそれ。」
「今日は年に一度の星夜祭だ。日没の鐘が開催の合図だ。良かったら行ってみるといい。」
「そういえば昨日も言ってたな?星夜祭って、お祭りかなんかなのか?」
「なんだ知らないのか? 星夜祭ってのは、星の祝福に感謝を捧げる祭典だ。」
「夜通し灯りを絶やさず、夜を照らしてくれる星々へ感謝を伝えるんだ。」
「まあ、朝まで騒いでも誰にも文句を言われねえ祭りだと思ってくれても構わないぜ。うちの宿からも露店を出す予定だから、良かったら食いに来てくれよな。」
「星夜祭か……。」
光瑠は空を見上げる。
「この世界の祭りには興味があるな。」
「有理栖が見つかったら、一緒に行きたい。」
「うん。」
ノクトは笑って頷く。
「きっと行けるよ。」
ノクトは光瑠の周りをぐるぐると歩き、時折足元へ身体を擦り寄せてくる。
「なんだノクト、今日は随分と擦り寄ってくるな。」
ノクトは嬉しそうに尻尾を揺らした。
「別に〜? 今日はちょっとだけ、ヒカルに懐いてあげようかな〜って。」
「なんだそれ。」
「ふふふ、秘密〜。」
イヴは相変わらず無言のまま先頭を歩いている。
だが、その歩調は昨日よりほんの少しだけゆっくりだった。
ノクトとの他愛ない会話を交わしながら歩いていると、
やがてイヴが足を止めた。
「着いたわ。」
「ヒカル、ここが王都ルザリア三番街の騎士団の詰所だよ。」
「すっげーな。三番街ってことは他にもこんな立派な詰所があるのか?」
「あるよ。」
「王都は一番街から七番街までに分かれてるんだ。」
「それぞれに騎士団の詰所があるよ。」
「へぇ……それはまた凄い規模なんだな。」
光瑠はイヴとノクトへ向き直った。
「二人ともありがとう。ここからは何とか俺一人でやってみるよ。」
一歩踏み出しかけた、その時。
「待って。」
イヴの声だった。
イヴはローブの内側から小さな布の包みを取り出し、光瑠へ差し出した。
「え? これは?」
「少しだけど、仕事が見つかるまでの足しにして。」
「数日くらいなら、あの宿に泊まれるはずよ。」
「……ありがとう。」
「……それから、これ。」
イヴはもう一枚、小さな羊皮紙を取り出し、光瑠へ差し出した。
「これは?」
「身分証代わりよ。昨日みたいに困ったら見せなさい。」
光瑠は羊皮紙へ目を落とす。
やはり、並んでいる文字を読むことはできなかった。
「……何て書いてあるんだ?」
「あなたの名前と所属。それから私の保証印よ。」
「所属って……?」
「私の保護下にある放浪者……ってことになってるわ。」
ノクトが吹き出した。
「放浪者って。」
「もう少し言い方なかったのか?」
「事実でしょ。」
「ぐぬぬ……」
「いや、でも本当に助かるよ。昨日みたいに怪しまれたら何も始められないし。」
ノクトは名残惜しそうに尻尾を揺らした。
「じゃあね、ヒカル。」
「君と一緒にいられて、本当に楽しかったよ。」
光瑠は笑って頷く。
「ああ、俺もだ。」
「いろいろ教えてくれて、本当にありがとうな。」
光瑠はイヴを見る。
「イヴには何度も助けてもらった。」
「本当に世話になったよ。」
「ありがとう。」
イヴは少しだけ視線を逸らした。
「……別に。」
「ここまで来たのは、あなた自身の行動の結果よ。」
「イヴ〜、最後くらいヒカルのこと名前で呼んであげたら〜?」
「っ!」
イヴは一瞬だけ言葉を探すように光瑠を見つめた。
やがて目を逸らして言う。
「……じゃあ気をつけて行きなさい。妹想いのお兄さん。」
光瑠は苦笑いを浮かべる。
二人へ手を振ると、騎士団の詰所へと歩き出した。
振り返ることなく、そのまま扉を開ける。
光瑠は騎士団の詰所へ足を踏み入れた。
広いロビーの正面には受付のカウンターがあり、その奥では一人の女性が書類へ目を通していた。
足音に気づいた女性が顔を上げる。
「おはようございます。どのようなご要件でしょうか?」
光瑠はカウンターの前で足を止めた。
「おはようございます。人を探しています。俺の妹で……」
「人探しのご相談ですね。お名前と特徴をお聞きしてもよろしいですか?」
「はい。名前は星川 有理栖。十一歳です。俺と同じ黒髪と瞳をしています。それから、このネックレスを身につけています。」
「分かりました。少々お待ちください。」
女性は一礼すると、奥の書庫へと姿を消した。
光瑠はカウンターの前で、固唾を呑んで待った。
有理栖が自分と同じようにこの世界へ来ているのなら――。
きっと、どこかで保護されているはずだ。
頼む……。
見つかってくれ。
「お待たせしました。」
女性は戻ってくるなり、申し訳なさそうに頭を下げた。
その仕草だけで光瑠は嫌な予感がした。
「保護された方や行方不明者の記録を確認しましたが、『星川有理栖』というお名前は見当たりませんでした。」
光瑠の肩から力が抜けた。
胸の奥でかろうじて抱いていた希望が、音もなく崩れていく。
「ですが、まだ王都内すべての詰所の情報が集まっているわけではありません。」
「他の詰所や地方都市で保護されている可能性もあります。」
その言葉に、光瑠ははっと顔を上げた。
そうだ。まだ終わってない。
「ありがとうございます! 他の詰所でも調べてもらえるんでしょうか?」
「ええ。王都ルザリア内の各詰所では、一日に一度、すべての情報を共有しています。」
「ですが、本日は星夜祭のため、次の情報共有は明日の朝になる予定です。」
「明日……ですか?」
光瑠は思わず顔を曇らせた。
「なら、俺が他の詰所を回ります! 場所を教えてください。」
じっとしてはいられなかった。
「お教えするのは構いませんが、王都内の詰所は一から七番街までの七つ、四方向の門、そして中央の城内の計12箇所あります。」
「さらに王都の外にも、近隣の街や村の詰所があります。」
「すべてをお一人で回るのは現実的ではありません。」
「明日の情報共有をお待ちいただくのが賢明かと思われます。」
「くっ……」
光瑠は唇を噛み締め、拳を強く握った。
「……分かりました。よろしくお願いします。」
深く頭を下げると、光瑠は静かに詰所を後にした。
詰所を出ると、ふと来た道を振り返る。
もうそこに、青い髪の少女と一匹の星霊の姿はない。
「……今は、待つしかないか。」
小さく呟くと、光瑠はゆっくりと前を向いた。
光瑠は無意識に宿『旅人の隠れ家』へと足を向けていた。
通りでは星夜祭の準備が着々と進められている。
色とりどりの飾り付け。
露店を並べる人々。
楽しげな笑い声。
そんな賑わいも、今の光瑠には遠い世界の出来事のように感じられた。
今の自分に帰る場所と呼べるのは、あの宿しかなかった。
カランカラン。
『旅人の隠れ家』の扉を開ける。
「あー……参ったな。」
店内では店主が頭を抱えていた。
「……どうしたんだ?」
「おお、兄ちゃん。随分と早い再会だな。」
店主は困ったように頭を掻く。
「実はな。今日の星夜祭でうちも露店を出す予定なんだが、娘が熱を出しちまってよ。」
「家内は看病につきっきりだし、看板メニューを作ることができねぇ。」
「その上、露店を回す人手まで足りねえときた。」
店主は大きくため息を吐いた。
「まったく、どうしたもんかなぁ……。」
光瑠は店主を見つめた。
どのみち、明日の情報共有までは動けない。
それなら――。
「良かったら、俺に手伝わせてくれないか?」
店主は目を丸くする。
「あ? 兄ちゃんが?」
「手伝ってくれるのは嬉しいんだが……兄ちゃんに任せられる仕事があるかどうか。」
「俺、料理にはちょっと自信があるんだ。」
「一度、厨房を見せてもらってもいいか?」
店主は光瑠の顔をまじまじと見つめた。
「……料理、できるのか?」
「ああ。」
店主は少し考え込むように腕を組み、
「……まあ、見てもらうだけなら構わねぇ。」
そう言うと、光瑠を厨房へ案内した。
光瑠は厨房をゆっくり見回した。
並べられた調理器具。
保存されている肉や野菜。
香辛料の瓶。
そして、『旅人の隠れ家』の料理のレシピ。
「……なるほど。」
光瑠は小さく頷いた。
「全然分からない。」
「なあああっ!?」
店主が思わず声を上げた。
「まあ、そりゃそうだろうよ。」
「いきなり他所の厨房じゃ勝手も違うだろうしな。」
「悪かったな。気持ちだけ受け取っとくよ。」
店主が踵を返しかけた、その時。
「いや。」
光瑠が呼び止める。
「全然分からないのは、レシピの文字だけだ。」
店主が振り返る。
「おやっさん。悪いけど、レシピの内容を口頭で教えてくれないか?」
店主はきょとんとしたまま目を瞬かせた。
「……読むんじゃなくて、聞くのか?」
「ああ。」
「あ、ああ……。」
店主はレシピを片手に、一つひとつ内容を読み上げていく。
「まずは肉を一口大に切って……次に香草を――」
光瑠は静かに頷きながら最後まで耳を傾けた。
「……よし。」
包丁を手に取る。
迷いはなかった。
店主から聞いた手順を頭の中で組み立てると、流れるような手つきで次々と料理を作り始めた。
しばらくすると、テーブルの上には湯気を立てる料理が次々と並んでいた。
店主は恐る恐る料理を一口運んだ。
「……。」
咀嚼する。
もう一口。
さらにもう一口。
「うめぇ……。」
店主は目を見開いた。
「家内の味とは少し違う。」
「だが、とんでもなく美味ぇ……!」
店主は思わず光瑠を見つめた。
「文字も読めねえのに、この料理の腕前か……。」
店主はしばらく光瑠を見つめ、
「おい、兄ちゃん。」
「あんた一体、何者なんだ?」
光瑠は額の汗を拭いながら笑顔で答える。
「別に。ただの一般人だよ。」
店主は一瞬ぽかんとしたあと、大きく吹き出した。
「はっはっはっ!」
店主はひとしきり笑うと、光瑠へ手を差し出した。
「兄ちゃん、今夜の星夜祭の手伝い、頼んでもいいか?」
「もちろんだ!」
「俺はグレンだ。」
「兄ちゃん、名前は?」
光瑠は笑顔でその手を握り返す。
「星川光瑠だ!よろしく、グレンさん!」
グレンは力強く握り返した。
「よし、ヒカル。」
「今夜は頼りにしてるぜ!」




