【第4話】星の記憶
石畳の大通りを三人は並んで歩いていた。
「無事ルザリアには入れたね。イヴに感謝だよ〜ヒカル。」
ノクトが光瑠の隣で尻尾を揺らす。
「ああ、そうだな。」
光瑠は少し前を歩くイヴの背中を見た。
冷たい。
正直な第一印象はそれだった。
ぶっきらぼうで愛想もない。
だが――
魔物から助けてくれたのは彼女だ。
傷を癒してくれたのも。
門の前で疑われていた自分を救ってくれたのも。
ここへ来てから一番世話になっているのはイヴだった。
「イヴ、本当にありがとう。」
「別に。私が街に入ろうとしたら、たまたまあなたがいただけよ。」
そっけない返事だった。
だが、完全に突き放しているようには聞こえなかった。
「光瑠と別れたあと、心配そうにずーっと見つめてたけどね。」
「ちょ…ノクト!」
イヴが振り返る。
初めて聞く焦ったような声だった。
「あーごめんごめん、今のは秘密だった〜?」
ノクトはくすくすと笑う。
イヴは一瞬光瑠と目が合い、ぷいっと逸らした。
ノクトは笑いながら光瑠へ問いかける。
「それで?ヒカル。この後はどうするんだい?」
「んーそうだな。とりあえず情報が集まりそうな所に行って有理栖のことを知ってる人がいないか聞いて回ろうかな。」
「迷い人の噂を探すんだね。でも一つだけ気をつけてね。」
「何を?」
「ヒカルが迷い人かもって話はあんまりしない方がいいよ。」
「ん、どうしてだ?」
イヴが足を止めて振り返る。
「迷い人は希少な存在という話は前にしたわよね。」
「ああ、知らない知識を持ってたり、見たことの無い物を作ったり…って。」
イヴは小さく頷く。
「そう。迷い人はその特異性ゆえに忌み嫌われることもあるの。世界の在り方を変えてしまう。理に反する存在…そう捉える人も少なからずいるわ。」
「理に反する存在…」
妙に引っかかる言葉だった。
「そう。だから自分から迷い人だって言いふらさない方がいい。」
イヴが静かに続けた。
「興味本位で近付いてくる者もいれば、恐れて排除しようとする者もいる。」
「分かった、気をつける。じゃあ俺行くよ。」
ノクトが首を傾げる。
「行くってどこに?」
「そりゃあもちろん……」
光瑠は言いかけて止まった。
「……どこに行けばいいんだ?」
「やっぱりね。」
ノクトは呆れたようにため息を吐く。
「ちなみにヒカル。あの文字は読める?」
前足で通り沿いの看板を指した。
光瑠は目を凝らす。
「えーっと……読めない。」
「お金は?」
「困らないくらいには持ってると思う。」
そう言いながら財布を取り出す。
中身を確認した瞬間。
光瑠の表情が固まった。
「……あ。」
ノクトが財布を覗き込む。
「なにそれ。」
「俺の全財産。」
光瑠は力なく答えた。
「八千七百円。」
「えん?」
「日本のお金。」
ノクトは首を傾げる。
「つまり?」
イヴが無言でローブの内側から小さな巾着を取り出した。
中から金貨、銀貨、銅貨が現れる。
光瑠は額を押さえた。
「やっぱりか……。」
「……俺、この世界じゃ一文無しってことか。」
「どうやらそうみたいだね。」
ノクトは同情するような目を向けた。
そして少し考えるように尻尾を揺らし、前足を一本立てる。
「文字も読めない。」
もう一本立てる。
「お金も使えない。」
最後の一本。
「知り合いもいなーい。」
「ヒカル、思ったより深刻だね。」
「言わないでくれ……。」
光瑠は頭を抱えた。
有理栖を探すどころではない。
今の自分は宿を取ることすらできないらしい。
「……。」
イヴは黙ったまま光瑠を見る。
そして小さくため息を吐いた。
「仕方ないわね。」
「え?」
「今日だけなら面倒を見てあげる。」
「ほ、本当か?」
「このまま放置したら私が見捨てたみたいじゃない。あなた、放っておいたら明日には野垂れ死んでそうだし。」
「あ、ありがとう〜…イヴ様…」
光瑠は拝むように両手を合わせる。
「ちょ…やめてよ、拝まないで。」
「命の恩人。感謝永遠に…」
「や、やめてってば。」
二人のやり取りを見ながら、ノクトは少し意外そうに目を瞬かせた。
イヴは拝む光瑠の両手を下ろしながら言う。
「と、とにかく。まずは宿に向かいましょう。一度休憩して、それから妹さんを探すあてを考えるといいわ。」
宿屋に到着すると、イヴは受付のベルを鳴らした。
奥から大柄な中年の店主が現れる。
「宿『旅人の隠れ家』にようこそ!泊りかい?」
「はい、一泊です。」
「星夜祭が近いもんで王都は観光客でいっぱいだ。ここもあんまりいい部屋は空いてないけど大丈夫かい?」
「ええ、どこでも大丈夫です。」
店主はイヴと光瑠を見比べ、にやりと笑った。
「それなら二階の奥の部屋を使ってくれ。しかし兄ちゃん、こんな美人な嬢ちゃんと二人旅とは贅沢だね。」
「あれれ、僕のことは眼中になしってこと?」
ノクトが寂しそうに言う。
「おおっと喋る猫も一緒か、これは失礼。はいよ、部屋の鍵だ。」
「ちょっと!僕は猫じゃな――」
「あ、部屋は二つです。」
イヴはさらっと言う。
「「ええ!?」」
光瑠とノクトが声を揃えて言う。
そして光瑠だけが我に返る。
「い、いや!当たり前だろ!逆に何考えてんだノクトもあんたも!」
光瑠は顔を赤くしながら反論した。
「はっはっはっ。これまた失礼した。頑張れよ!兄ちゃん!」
「なにをだよ…」
光瑠は脱力する。
「ちぇ〜、絶対同じ部屋の方が楽しいのに…」
ノクトは不満そうに言う。
イヴは相手にせず淡々と鍵を受け取る。
振り返り光瑠へ一つ渡す。
「少し休憩しなさい。日が落ちてきたら街の鐘がなると思う。鐘の音を聞いたら、ここの入り口に来て。」
「あ、ああ。分かった。」
一行は二階へ移動し、それぞれの部屋へ入る。
「じゃあヒカル、また後でね〜。」
ノクトは尻尾を揺らしながら言った。
光瑠は軽く手を振り返し、自室の扉を閉める。
イヴは部屋へ入ると椅子に腰を下ろした。
テーブルへ突っ伏し、小さく息を吐く。
「珍しいね。」
ノクトがひらりとテーブルへ飛び乗る。
「イヴがここまで誰かの面倒を見るなんて。」
イヴは人差し指でノクトの額をつついた。
「白々しい。」
「ノクトがそう仕向けたんでしょ。」
「僕はちょっと背中を押しただけさ。」
ノクトは楽しそうに尻尾を揺らす。
「決めたのはイヴだよ。」
「……策士。」
イヴは呆れたように呟き、視線を落とした。
しばらく沈黙が続く。
「ヒカル。」
ノクトがぽつりと口を開く。
「まるで昔のイヴみたいだね。」
イヴは少しだけ考えた。
「……そうかもね。」
ノクトは頷く。
「でも違う。」
イヴはすぐに首を横に振った。
そして再び顔を上げる。
「……私には、あなたがいたから。」
隣の部屋で光瑠は荷物を下ろした。
「俺……この世界で一人じゃ何にもできないんだな……」
イヴとノクトへの感謝と同時に悔しさが押し寄せる。
「有理栖……お前は無事なのか……」
だめだ、弱気になるな。
何があっても有理栖を見つける。
そう決めたはずだ。
光瑠は拳を握り締めた。
その時だった。
胸元のネックレスが微かに熱を帯びた気がした。
「……?」
視線を落とす。
だが星形のネックレスに変化はない。
気のせいか。
そう思った瞬間。
視界の端で何かが光った。
光瑠はゆっくり顔を上げる。
部屋の壁に掛けられた鏡。
そこに映る自分の姿が見えた。
「なんだ……?」
一歩。
また一歩。
鏡へ近付く。
その時。
鏡の奥で何かが動いた。
「――っ!?」
自分の姿ではない。
黒髪の少女。
有理栖によく似た――
だが次の瞬間には消えていた。
「有理栖!?」
光瑠は思わず鏡へ手を伸ばす。
指先が鏡面へ触れる。
波紋のような光が広がった。
「なっ――」
世界が反転した。
足元が消える。
上下も左右も分からない。
激しい浮遊感。
鏡の中。
砕けた光の破片。
「星の記憶を辿れ――」
あの声が聞こえる。
そして――
プリズムの扉。
「な……んだ……これ……」
頭が割れそうに痛い。
視界が白く染まった。
薄れゆく意識の中、遠くで声が聞こえる。
「ねぇ、起きて!一体何があったの?」
「疲れて寝ちゃったんじゃないかな〜?」
「頭から血を流して?どう見ても倒れてるじゃない!」
暖かい。
「良かった。息はあるみたい。まずは止血をしなきゃ。」
うっすらと緑色の光が見える。
「よい…しょっ」
柔らかい感触に包まれる。
「ここまで世話焼きな君は久しぶりに見たよ。」
「余計なこと言ってないで、少しは、手伝ってよ!」
ふわりと身体が持ち上がる。
次の瞬間。
背中に柔らかな感触が伝わった。
「……はここで待ってて。私は……」
遠かった声がさらに遠くなっていく……
青い髪だけが妙に鮮明だった。
そして光瑠の意識は闇へ沈んだ。
「……ん」
光瑠は目を覚ました。
「あ、おはようヒカル。」
紫紺の瞳と目が合った。
「……ノクト?俺……どうして……」
「倒れて頭をぶつけたみたい。見つけた時は出血してたし、今はじっとしといた方がいいんじゃないかな?」
側頭部に触れると傷跡が残っている。血は流れてはいない。
「ぐっ……ほんとだ。頭が、すっげー痛い。」
曖昧な記憶を辿る。
薄れゆく意識の中で見た青い髪が脳裏をよぎった。
「イヴが……治してくれたのか?」
「そうだよ。ヒカル〜これで貸し三つだよ?」
「俺はお前の命の恩人だったはずだろ?借りはせめて、二つにしてくれ……っ!」
頭痛が響く。光瑠は側頭部を押さえる。
ガチャ
ドアが空いた。
「あ……」
イヴだった。
その表情に一瞬だけ安堵が浮かぶ。
だが次の瞬間にはいつもの無表情へ戻り、
「あなた、部屋で何してたの?」
「いや、鏡が……」
「鏡?」
「有理栖が見えた気がしたんだ。」
イヴの眉がわずかに動く。
「見えた?」
「分からない。」
光瑠は額を押さえた。
「鏡の中にいた。」
「それで触ったら……」
「気付いたら倒れてた。」
イヴは部屋の鏡へ近付く。
鏡面に触れる。
何も起きない。
「普通の鏡にしか見えないけど。」
「だよな……」
考え込む光瑠をイヴはしばらく見つめていた。
やがて小さく息を吐く。
「ん。」
「え?」
イヴはパンとチーズ、瓶に入った水を差し出した。
「今日はもう、安静にしてなさいよ。」
「……ありがとう。倒れてる俺を運んでくれたのもイヴなんだろ?ごめんな、面倒かけて……。」
「大丈夫。私が勝手にやってるだけだから……」
「イヴもここでご飯食べたら〜?どうせ今日は夜ご飯一緒に食べるつもりだったんでしょ〜?」
「それはノクトが勝手に……」
イヴは言いかけて止まる。
「……分かったわよ。」
イヴは椅子に腰掛け、テーブルのノクトにパンを切り分ける。
光瑠はイヴからもらったパンとチーズを口に運ぶ。
「……おいしい。」
空腹だったことを思い出したように、夢中でパンをかじる。
ノクトはテーブルの上で器用にパンをちぎっていた。
イヴは椅子に腰掛けたまま静かにパンを食べている。
ノクトが口を開く。
「ねえ、せっかく一緒にご飯を食べてるんだからさ。もっとこう、和気あいあいと……」
「十分和やかだと思うけど。」
光瑠が答える。
「どこが?」
「誰も死にそうになってない。」
「基準が低すぎるよ!」
ノクトは呆れたように尻尾を揺らした。
「ほら、例えば好きな食べ物の話とかさ。」
「急だな。」
「ヒカルは?」
「うーん、今はこのパンとチーズ。」
「つまんない答え…」
ノクトはイヴへ向き直る。
「イヴは?」
突然話を振られたイヴはパンを持ったまま固まった。
「……別に。」
「別にって食べ物じゃないよ。」
「なんでもいいでしょ。」
ノクトは逃がさない。
「好きな食べ物がない人間なんていないよ。」
イヴは面倒くさそうに少し考え、
「……シチュー。」
と小さく答えた。
「へぇ。」光瑠は少し意外そうな顔をする。
イヴは気まずそうに視線を逸らした。
「なによ。」
「いや、なんか可愛いなって。」
「っ!?」
イヴの手が止まる。
ノクトは吹き出した。
「やるね、ヒカル」
「え、なにが?」
イヴはノクトをじっと睨む。
「ん?というかシチューってこの世界にもあるのか?」
「たくさんの野菜を羊の乳で煮込んだ料理だね。光瑠のいた世界にもあったのかい?」
「ああ、こっちでは牛の乳を使ってたよ。」
懐かしい味を思い出したのか、光瑠は少し笑った。
「そうだ。」
「?」
「俺、料理にはちょっと自信あるんだ。」
「今度二人にシチューを作ってご馳走するよ!」
「おお!ヒカル料理できるんだ!」
ノクトは感心したように目を丸くする。
「あれ、でも……材料費はこっち持ちかな?」
「うっ……それは……」
光瑠は固まった。
イヴは小さくため息を吐く。
「まずは働き口を探しなさい。」
「耳が痛いです。」
光瑠は肩を落とした。
ノクトはくすくすと笑う。
やがて三人は食事を終えた。




