第二話「はじめの一歩」
他の御使い達が黄巾党に奮闘しているとも知らず、僕はただただベットに身を預けていた。
制服は目立つので、城から借りた古着に着替えている。
薫「はぁ・・・ふかふかだぁ」
小屋で藁を敷いて寝ていた生活から一転、清潔にされた部屋、背中に伝わる布団の柔らかさ、まだ昼時だけど寝てしまおうかな・・・。
[バンッ!]
雪連「かっおる~!」
どうやら、それは叶いそうにない。
今の僕は軟禁状態にある。のだが、変わらず雪連さんは仕事を抜け出して、顔を出してくるんだ。
薫「孫策さん・・・またですか?」
雪連「孫策じゃなくて、雪連! この前、真名を許したでしょー」
この前とは、家臣たちへの顔合わせの時だ。
軽く挨拶してすぐに解散したが、その時に雪連さん、冥林さん、祭さんから真名を受け取った。
他の人たちとは・・・まぁ、無理だよね。屋敷まで案内してくれた周泰ちゃんからも受け取っていない。
ちなみに、種馬の件も話されていない。そこは、自分で頑張れ、とのこと。
雪連「っていうか薫。私との約束、忘れたわけじゃないでしょうね?」
薫「うっ・・・」
雪連「ちゃんと"他の武将"と交流しなさいって言ったでしょ。それなのに、ここでゴロゴロして」
薫「軟禁されている人間が、そうそうナンパみたいな事できるわけないでしょう」
雪連「なんぱ?」
そうだった。この世界で英語は通用しなかった。
とりあえず、簡潔にナンパの意味を教えといた。
薫「第一、まだ戦いは落ち着いてなくて、声かけづらいです」
雪連「あーそれもそっか・・・じゃあ、ここは───
薫「遠慮します」
雪連「ちょっとー! まだ何も言ってないでしょー!」
薫「この前、陸遜さんと一緒に倉に閉じ込めたでしょ! あの時は大変だったんですから」
陸遜さんは、常にのほほんとして、ぼけ~っとしてるけど、孫呉の軍師として重要な人物。
のだが、どうも本が過剰に好きらしく、倉の本に興奮しっぱなしで。
勿論、二人っきりだからといって襲ったりしなかったよ・・・襲われそうになったけど。
思い出して顔が熱くなっている俺を横目に、雪連さんは笑いだした。
雪連「はははははっ! 薫ったら、ずっと"来ないでー!"とか"助けてー!"って叫んでて、っぷくく! 面白すぎて転がっちゃったわよ! ぷくくはははははっ!」
薫「・・・」
イライラ・・・。
薫「分かりました。雪連さんが昨日、城の秘蔵のお酒を盗んでここで飲んでいたこと、冥林さんに伝えますね」
雪連「っ!? ま、待ってよ薫! ちょっとした出来心だったの! ねっ! だからそれだけは!」
薫「ちょっ!?」
ベットに腰掛けてた膝に、雪連さんが擦り寄ってきて懇願してきた。
アングルとして際どい。だが、赤くなっている僕を見た雪連さんが、にまーと笑みを浮かべた。
雪連「ね~え~、お・ね・が・い」
薫「っ!」
密着度が上がる。
同時に体温が上がる。
薫「わ、分かりましたから! だから離れてください!」
雪連「んふふっ、は~い!」
すっと離れていく女性の感触と香り。
雪連さんは椅子に腰掛けて、まだにまにまと笑っている。
雪連「薫って本当にからかい甲斐があるわ。(それにちょろいし)。じゃあ、楽しませてもらえたお礼に、お姉さんが道を作ってあげましょう」
薫「道?」
雪連「とりあえず、関わりやすい子から紹介していきましょうか・・・うーん、明命なんてどう?」
薫「周泰ちゃん、ですか。確かに呼んだらすぐ来てくれる良い子ですけど」
雪連「へー。じゃあ呼んでみてよ」
薫「いいですよ」
そう言って僕は、外で拾ってきた木の枝を手に取って、天井をコンコン。
明命「どうかされましたか、南条様?」
天井の一部の板が外され、ひょこっと周泰ちゃんが顔を出した。
長い黒髪が重力に従ってさらぁっと下に垂れる。
雪連「み、明命? そこで何してるの?」
明命「はい、雪連様!」
すたっと床に降りて頭を下げる周泰ちゃん。
明命「南条様の警護です!」
雪連「・・・薫~?」
薫「ほ、本人が天井裏の方が落ち着くって言うから・・・本当はちゃんとした部屋でゆっくりしてほしいんだけど」
明命「いえ! 南条様は大切な御方です。でしたら、いつ何時もお側にいなければです!」
薫「だから、何も天井裏じゃなくても───
明命「ここが一番いいのです!」
薫「・・・」
雪連「・・・」
明命「それでご要件というのは・・・?」
薫「あ、あー、そのー・・・」
こんなに真面目過ぎる姿を見ていると、「連絡先教えてよ」的な感じで真名を聞けるわけもなく、お話をしようにも畏まられて、お互いの距離は近づかない。
何とかしてもらおうと雪連さんに目配せすると、
雪連「・・・[プイッ]」
ちょっと! さっきまで任せなさいって自分で言っていたでしょ!
雪連「あっ、私仕事が残ってた。あははっ、冥林に怒られる前に戻るね~」
薫「あっ───」
呼び止める前に、雪連さんは部屋から逃げ出した。
残ったのは跪く周泰ちゃんと僕の二人。
困ったように首を傾げる周泰ちゃんを見ていると、僕は「呼んだだけ」とは言えなかった。
薫「え、えっと・・・散歩、でもどう?」
という訳で、護衛という名目で周泰ちゃんと城下町に出た。
明命[ササッ]
薫「・・・」
明命[サササッ]
薫「・・・周泰ちゃん、ちょっと」
後ろを向いてちょいちょいと手招きすると、周泰ちゃんが物陰から姿をあらわれて寄ってくる。
明命「何でしょうか?」
薫「僕はね、散歩しようって言ったんだよ」
明命「はい! だから、護衛として気配を消しているのですが」
薫「いや、モロバレの警護だけど。ってそうじゃなくて、せっかくだし二人並んで歩こうよ。ほら、側にいた方が護衛しやすいんじゃない?」
明命「・・・それもそうですね。分かりました、失礼します」
すっ、と僕の横にたつ。
そこまで畏まらなくてもいいんだけど・・・。
明命「それでどこに向かうのですか?」
薫「うーん、特に決めてないんだけど、とりあえずお昼ご飯にしよう」
近くにあった店に入る。
店内を見渡すと男女問わずラーメンをすすっていた。
店主女「いらっしゃい! あら、周泰ちゃん!」
明命「お久しぶりです!」
店主女「本当に珍しいわね・・・こちらの方は?」
明命「この方は、天の───」
薫「ぶ、部下です! 南条と申します!」
明命「え? 南条様は───
薫「まだ僕が御使いってことは話しちゃダメだよ」
そっと耳打ちすると、周泰ちゃんはハッとなる。
明命「も、申し訳ありません!」
薫(い、いやだから、そこで畏まっちゃだめだって・・・)
店主女「は、はは。まあそういう事にしときましょうか」
呆れ気味に店主に誘導されて、カウンター席に腰掛ける。
字は読めないけど、メインメニューはラーメンのようだ・・・何ラーメンかまでは分からないけど。
適当に注文を済ませ、お互い無言でラーメンが出来上がるのを待った。
店主女「はい、お待たせ」
薫「いただきます」
明命「いただきます!」
手を合わせてラーメンをすする。
薫(そういえば、小さい頃に「お前は女みたいな食べ方するな」って言われたけど、未だに意味が分からないんだよね)
太麺を二、三本ずつ箸でつかんでちゅるちゅる・・・。
隣を見ると同じように、ちゅるちゅるしている周泰ちゃん。
薫(あっ・・・これが女みたいってことか)
逆の隣に座るおっちゃんは豪快に麺をすすっている。
麺に絡んだ汁が飛ぶのを気にも留めずに。
薫「・・・」
挑戦してみよう・・・。
ちらちらとおっちゃんを参考にしながら、豪快に麺をすくい上げる。
意を決して思いっきり吸って───
薫「ごほっごほっ!?」
むせた。
すくい上げた麺は、またスープに戻っていく。
店主女「別に食べ方なんて決まってないんだから、無理しなくていいんだよ」
薫「あっ・・・はい」
微笑ましそうに笑う店主。
恥ずかしすぎてしにたくなった。
薫「(周泰ちゃんにも恥ずかしいところを───)あれ?」
いない。隣に座っていたはずの周泰ちゃんが。
ラーメンは既に空になっている。
店主女「あー、周泰ちゃんならいつもの"アレ"だよ」
顎で店の外を指す。
僕はのれんを上げて、外の様子を伺うと向かい側の裏道で───
猫「にゃぁ・・・」
明命「はぁ~~~♫」
日差しから逃げてきて猫の毛づくろい様子に、周泰ちゃんは酔っていた。
店主女「あーなっちゃうと、夜になるまでずぅっと眺めてるのよね」
薫「ずっと、ですか・・・」
猫好きなのは察していたけど、そこまで陶酔しちゃうんだ・・・。
この短時間でラーメンを平らげたのも、今すぐにでも間近で猫を眺めたかったのかな。
僕も出来るだけ早めにラーメンを食べ、冥林さんから支給された通貨で二人分のお会計を済ませた。
明命[ポワポワ]
薫「・・・」
完全に、意識が目の前の猫にしか行っていない。
周囲の通行人はその様子をくすくす笑っているところを見ると、店主の言う通りいつもの事なんだろう。
僕は周泰ちゃんの真後ろに立って、声もかけず眺めることにする。
明命「えへへ、お猫様お猫様。今日こそは、是非ともモフモフの許可を・・・!」
手を合わせて祈ってから、手をわきわきして野良猫に寄っていく。
その姿は、失礼だけど変質者みたいな寄り方。
当然、嫌な予感を感じ取った猫は───
猫「[ピクッ]にゃっ!?」
明命「あっ!?」
猫はせっかくの昼休みを中断して、裏道の奥まで逃げてしまった。
明命「うぅ・・・今日も逃げられてしまいましたぁ」
薫「周泰ちゃん」
明命「はぅあ!? な、南条様! あっ私、護衛中に失礼しました!」
薫「ううん、別に大丈夫だよ。それにしても、本当に猫が好きなんだね」
明命「あぅあぅ」
薫「だけど、猫はあんな風に迫っちゃったダメだよ。お昼寝中とか食事中なら尚更。嫌われちゃうよ」
明命「そ、そうなんですか?」
薫「猫は基本マイペー・・・じゃない、気分屋だから。もし触りたいなら、向こうから来るのをじっと待ってなきゃ」
明命「は、はい・・・」
よほど触りたいのか、しゅんっとなってしまった周泰ちゃん。
薫「周泰ちゃんなら大丈夫だよ。そうなるのも、そう遠くないはずだから元気だそ」
明命「は、はい!」
そして再び散歩を再開した。
猫の接し方についてや、可愛い仕草、豆知識で会話が弾み、笑ったり、驚いたりする周泰ちゃんは、呉の工作員という仮面が見えないほど、女の子らしさがにじみ出ていた。
気づけば日が暮れてきていて、城壁の上で城下町を眺めていた。
薫「もう夕方になっちゃったね」
明命「はい。そろそろ戻りますか?」
薫「そうだね。今日は付き合ってくれてありがとう」
明命「い、いえ! 私の方こそ身になるお話を聞けて嬉しかったです!・・・あ、あのそれと」
薫「ん?」
明命「改めて、これからもよろしくお願いします!」
薫「うん。こちらこそ」
微笑み合う僕たち。
あっ、これは真名を聞けるチャンスだ。
明命「それではお部屋までお供します!」
薫「周泰ちゃん。ちょっといいかな?」
明命「はい?」
薫「え、えーと・・・」
きょとんと振り向く周泰ちゃん。
うっ、やっぱり緊張する。
こういう場合は「真名で呼んでいい?」と聞けばいいのか? いや、これはストレート過ぎるのではないか。じゃあ、それを匂わす言葉を───
薫「これからは僕のこと・・・薫、でいいよ」
明命「? 薫様、ですか・・・それなら、私も」
正面で向きあう。
ど、動悸が・・・。
明命「姓は周、名は泰、字は幼平、真名は明命! 薫様、よろしくお願いします!」
薫「っ、こちらこそ」
スっと手を差し出すと、おそるおそると"明命"ちゃんは手をとってくれた。
薫「じゃあ帰ろっか」
明命「はい!」
夕暮れでオレンジ色になった城下町を歩く。
お互いそれまで無言だったが、不意に明命ちゃんが口を開いた。
明命「薫様、申し訳ありません」
薫「? どうしたの、急に」
明命「本当は護衛に就くその時には、真名を許すつもりでした」
薫「・・・? う、うん」
つまり、誰かに安易に真名を許すな、って言われていたのか。
薫「そうなんだ」
明命「・・・聞かないのですか?」
薫「もう関係のない話だもん。時期は遅れたけど、真名は許してもらえたから」
明命「・・・」
薫「ぷっ、どうしたの? そんなにほうけちゃって」
明命「いえ・・・会った時にも思いましたけど、不思議な方だと」
薫「不思議?」
明命「心が綺麗だというか、邪気がないというか。裏がないというか・・・とても不思議です」
薫「はははっ、友達にもよく言われた」
明命「ご友人がおられるのですか?」
薫「僕にだっているよ・・・」
明命「? 顔が暗いですよ」
薫「ううん、何でもないよ。じゃあ行こっか」
僕にだって友達は、少なからずいる。
今頃どうしているのかな・・・?
蓮華SIDE
蓮華「明命は、真名を許したのね」
思春「はい。確認しました」
蓮華「そう・・・」
明命は空腹を忘れるぐらい真面目だ。
命令とあれば、素直に真名を教える純真な心を持っているから、釘を刺しておいたけど。
胡散臭くはあるけど、悪人っていう訳ではないようね。
姉様からは積極的に関わりなさい、と言われているが、私はまだ南条を信用していない。
相変わらず、姉様は勝手なんだから・・・。
蓮華(それに・・・あの者の天の血を、孫呉に入れるなんて)
他の者には知らされていない。
姉様、冥林、祭の三人は乗り気だった。
孫呉の血を引く私も納得しなければならないんだけど・・・。
蓮華「はぁ・・・」
思春「大丈夫ですか、蓮華様?」
蓮華「ええ、心配しないで・・・思春、鍛錬に付き合ってもらえないかしら」
思春「今から、ですか。根詰め過ぎるのはあまり勧めませんが」
蓮華「いいの。邪念を振り払いたいだけだから。いいかしら?」
思春「御意」