国王陛下にも、お困りごとがありますよね?
「婚姻を取りやめたいだと!?」
国王アルベルトの声が執務室に響いた。謁見の間ではなく、机と応接椅子だけの小さな部屋である。向かいに座るミダスは騒ぐことも笑うこともなく、二通の書面を机の上へ差し出した。
「正確には、お二人ともでございます。第一王女エレノア殿下、そして勇者レオン殿。別々に私の事務所へいらっしゃり、同じ婚姻についてご相談をいただきました」
「レオンまで……!?」
国王は思わず腰を浮かせたが、すぐに座り直した。書面には、エレノアとレオンが国王へ伝えることを認めた範囲だけが記されている。
「王女殿下は、勇者殿との婚姻を望んでおられません。そして勇者殿も、王女殿下との婚姻を望んでおられません。こちらについては、お二人から陛下へお伝えする許可をいただいております」
「馬鹿な……エレノアには、レオンが婚姻を強く望んでいると――」
国王の言葉が途中で止まった。ミダスはそこで追及せず、わずかに眉を上げただけだった。
「王女殿下も、そのように伺っているとおっしゃっていました。一方、勇者殿は陛下から『王女殿下は三年間、あなたの帰還を待ち続けている』と伺ったそうでございます」
「……」
「ですから、お二人とも断れなかった。相手が望んでいると思っておられましたから」
国王はしばらく黙っていた。やがて椅子の背へ身体を預け、低い声で言う。
「必要だったのだ」
「何が、でございましょう」
「レオンを王家へ入れることだ」
ミダスは口を挟まなかった。国王は机の上で両手を組み、そのまま続ける。
「レオンは魔王を討った。兵からの信頼も厚く、民は英雄として熱狂している。今後は爵位も領地も持つ。その男を、王家と何の繋がりもないまま辺境へ帰せというのか?」
「勇者殿ご本人が、王位を望んでいるとお考えなのですか?」
「いや。あの男にその野心があるとは思っておらん。だからこそ厄介なのだ」
国王は身を乗り出した。
「本人が望まずとも、周囲が担ぎ上げる。王都で政争が起きれば、地方で不満が高まれば、『勇者レオンこそ国を導くべきだ』と言い出す者が現れるかもしれん。本人が断り続けたところで、英雄という旗そのものは消えぬ」
国王の声には、王としての現実的な恐れがあった。
「だから王家の娘と結ばせる。義理とはいえ我が息子となれば、レオン自身にも王家を守る理由ができる。将来子が生まれれば、さらに深く王家と利害が結びつく。それが最も穏当だと考えた」
ミダスはしばらく黙って聞いていた。普段のような大げさな身振りも、軽口もない。
やがて深く頷く。
「おっしゃる通りでございます」
国王が目を細めた。
「……何?」
「陛下のお考えは、極めて合理的です。魔王を討てるほどの武力があり、民衆から絶大な支持を受け、実戦を共にした仲間がおり、さらに領地まで持つ。何の繋がりもないまま王都から離すことを警戒なさるのは、国王として当然でしょう」
予想外の同意だったのか、国王はしばらくミダスを見つめた。
「ならば、なぜ婚姻を止める」
「婚姻そのものを否定しているわけではございません。ただ、陛下が本当に必要としておられるものを、確認したいのです」
ミダスは机の上の書面へ視線を落とした。
「陛下がお求めなのは、勇者レオン殿と王女殿下の婚姻そのものでございましょうか。それとも、勇者殿が将来にわたって王国の脅威とならず、王家と安定した関係を保つことでございましょうか」
国王はすぐには答えなかった。
「……後者だ」
「それでしたら、話は変わります」
ミダスが初めて、ほんの少しだけ笑った。
「婚姻は目的ではなく、手段でございます。ならば同じ目的を、別の手段で達成できればよろしい」
「そのような方法があるのか」
「もちろん、ございます」
返事は即座だった。
国王が身を乗り出す。
「聞かせろ」
「その前に、一つございます」
ミダスは姿勢を正した。
「ここまで私は、王女殿下と勇者殿の代理人としてお話ししております。しかし今、陛下がお抱えになっている問題は、お二人の婚姻だけではございません。勇者殿を今後どう処遇し、王国の安定をどう確保するか。これは陛下ご自身の問題でございます」
「……何が言いたい」
「その問題についても、私にお任せいただけませんか」
国王の目つきが鋭くなった。
「そなたは、我が娘とレオンから依頼を受けているのだろう。そのうえ私の依頼まで受けるつもりか?」
「無条件には、お受けできません」
ミダスはあっさり答え、二枚の書面を追加で机へ置いた。
「陛下のお考えが『婚姻を何としても成立させる』というものであれば、利益が衝突いたしますのでお断りします。しかし、『婚姻に代わる方法でも構わないので、勇者殿を王国にとって安全な形で処遇したい』というご相談であれば、お二人から条件付きで同意をいただいております」
国王は書面を手に取った。そこにはエレノアとレオン、それぞれの署名がある。
「条件とは?」
「三者の利益が両立する案だけを扱うこと。王女殿下か勇者殿のどちらかに一方的な不利益を押しつける案になった場合、陛下からのご依頼はそこで終了いたします」
国王は書面を読み終えると、ミダスへ戻した。
「……そこまで準備してきたのか」
「国王陛下へご提案するのでございます。手ぶらでは参りません」
しばらく沈黙が続いた。
やがて国王が口を開く。
「仮に依頼するとしよう。そなたは何を約束する」
「勇者殿を辺境へ戻しても、王家が必要以上に警戒せずに済むこと。勇者殿自身にも、不当に縛られたという不満を残さないこと。そして民にも、魔王を討った英雄を王家が恐れて追いやったなどと思わせないこと。その三つを満たす処遇案をご提案いたします」
国王はミダスをじっと見た。
「できるのか」
「もちろんでございます」
また即答だった。
国王は少し身を引いた。
「では、聞こう」
「ここから先は、陛下のための仕事になります」
ミダスは懐から新しい依頼書を取り出した。王女や勇者の前で見せるような露骨な金勘定の顔はせず、静かに国王の前へ置く。
「条件はこちらでございます。成功条件については、先ほど申し上げた三点。追加の施策が必要になった場合には、別途協議といたします」
「……高いな」
「国家の安定に関わるご相談でございますので」
国王がじろりと睨む。
「値引きは」
「ございません」
「即答か」
「はい」
しばらく睨み合った末、先に目を逸らしたのは国王だった。
「……まったく。エレノアは、なぜこんな男を見つけてきたのだ」
「シャーロット・アライ嬢のご紹介でございます」
「聞いておらん」
国王は深く息を吐き、ようやくペンを取った。依頼書をもう一度確認し、署名を入れる。最後に王印が押されたところで、ミダスは書面を丁寧に受け取った。
「確かに、お預かりいたしました」
「これで話すのだろうな」
「もちろんでございます」
ミダスは依頼書をしまい、代わりに一枚の紙を取り出した。
「では最初に、一人だけ確認させてください。近衛騎士ユリウス・ベルン。勇者殿と三年間、同じ戦場で戦い抜いた人物でございますね」
「そうだ。腕も立つ。忠誠にも疑いはない」
国王が怪訝そうに眉を寄せる。
「なぜ、あやつの話になる?」
ミダスはそこで初めて、いつもの笑みに近いものを浮かべた。
「陛下は、ユリウス殿をどこまで高く評価しておられますか?」




