昨日も、同じ婚姻の相談を受けましてね
第一王女エレノアが帰ったあと、ミダスは机の引き出しを開けた。中を探すこともなく、片手だけ差し出す。
「ロイド。昨日の依頼書」
「こちらです」
ロイドが差し出した一枚を、ミダスは今日受け取ったばかりの依頼書の隣へ並べた。
《依頼人 エレノア・アルベルト》
《依頼人 レオン・アルヴァ》
二枚を交互に見比べるうちに、ミダスの口元がじわじわと吊り上がっていく。
「いやあ……まさか翌日に、もう片方まで来るとは!」
昨日。勇者レオンは魔王討伐から帰還し、国王との謁見を終えたその日の夕方に、この事務所を訪れていた。
◇
「第一王女エレノア殿下との婚姻を、辞退したいのです」
席についたレオンがそう告げると、ミダスは握っていたペンを止めた。数時間前まで謁見の間で国王から褒賞を受けていた本人が、今は目立たない外套をまとい、疲れ切った顔で向かいに座っている。
「……今日、王様があれだけ盛大におっしゃっていた婚姻を?」
「はい。できれば……殿下に恥をかかせない形で断りたいんです」
「また難しい注文を持ってきましたねえ!」
ミダスが身を乗り出すと、レオンは額を押さえた。
「私だって、帰還した日にこんな相談をするつもりはありませんでした。でも……私には、結婚したい女性がいるんです」
「おおっ!」
あまりに嬉しそうな声を出され、レオンが顔をしかめる。
「先生、少しは隠してください」
「具体的な事情が出てくると元気になるんですよ! それで、どなたです?」
「……セラです。治癒術師の。三年間、ずっと一緒に戦ってきました」
出発した頃は、ただの仲間だった。だが三年間の遠征で何度も互いの命を救い、死ぬかもしれない夜を越えるうちに関係が変わっていった。魔王城へ向かう頃には、無事に帰れたら一緒になろうと約束していたという。
「では簡単でしょう。王様に『好きな女性ができました』と――」
「それが言えないんです!」
レオンが思わず声を強めた。握った拳には、三年間剣を振り続けた痕が残っている。
「陛下から聞かされたんです。エレノア殿下は三年間、私との婚姻を心待ちにしていたと。私が帰ることを信じて、ずっと待ってくださっていたと……!」
ミダスの顔から、からかうような笑みが少し消えた。
「だから今日も断れませんでした。殿下は三年間待っていた。私はその間に別の女性を好きになった。それなのに帰還したその日に、大勢の前で『あなたとは結婚しません』なんて……そんな真似、できるわけがないでしょう!」
しかもレオンには爵位と領地まで与えられる。褒賞は受け取るのに、国王の娘との婚姻だけ拒めば、自分に都合のいいものだけ選んだように見える。それもレオンは本気で気にしていた。
「つまり、セラ殿とは結婚したい。でも王女様は傷つけたくない。王様とも揉めたくない。褒賞だけ選んで持ち帰った男とも思われたくない」
「……はい。何とかなりませんか?」
ミダスは腕を組み、しばらく天井を見上げた。
「面倒ですねえ!」
「やはり……」
「だから金が取れるんでしょうが!」
レオンが「……は?」と顔を上げた頃には、依頼書が目の前へ滑ってきていた。
「こちらが着手金! 婚姻を無事に取りやめられた場合はこちらが成功報酬! 褒賞の変更まで交渉するなら、それは別途!」
「もうそこまで決まっているんですか!?」
「金の話を曖昧にして仕事を始めるほど怖いものはありません!」
勢いに押されながらも、レオンは最後まで依頼書を読み、署名した。
「お願いします。それと……セラのことは、必要になるまで伏せてください」
「もちろんです。依頼人の秘密を勝手に喋るほど、私は信用を安売りしてませんよ!」
そうして昨日、ミダスは勇者レオンから依頼を受けた。
その時点では、決して簡単な案件ではなかった。王女が本当に三年間レオンを待ち続けていたのなら、その心を傷つけずに婚姻だけを取り除く方法を考えなければならない。
ところが、その翌日。
当の第一王女が現れて、こう言った。
――勇者様との結婚を、断りたいのです。
◇
現在。
ミダスは机の上に並んだ二枚の依頼書を、それぞれ片手で持ち上げた。
「昨日! 勇者様から『王女様を傷つけずに結婚を断りたい』! 今日! 王女様から『勇者様を傷つけずに結婚を断りたい』!」
左右の紙を見比べたあと、勢いよく両手を広げる。
「二人とも断りたいじゃないですか!!」
「そのようですね」
「しかも着手金は二人分! 成功報酬も二人分!」
「解決できれば、ですが」
ミダスは二枚の依頼書を胸元で重ね、うっとりと目を細めた。
「……美しい」
「先生。先に解決を」
「分かってますよ! 解決しなきゃ成功報酬が入りませんからね!」
そう言って依頼書を机へ戻したものの、ミダスはすぐには動かなかった。
机の上には、もう一枚ある。
王印の押された褒賞書だった。
《王国貴族位の授与》
《北方領の下賜》
《第一王女エレノアとの婚姻》
ミダスは二枚の依頼書と、その褒賞書を順番に眺めた。
王女は、この婚姻を断りたい。
勇者も、この婚姻を断りたい。
なのに、三年前から話を進め、昨日の謁見でもわざわざ大勢の前で婚姻を口にした人間がいる。
「……なるほどねえ」
ミダスの口元が、またゆっくりと吊り上がった。
ロイドがその顔を見て、少しだけ眉を上げる。
「何か分かりましたか?」
「まだ全部じゃありません。ただ……一人、話を聞いてみたい方ができました」
ミダスは立ち上がると、椅子に掛けていた外套を掴んだ。
「ロイド。王城へ行きます」
「婚姻解消の交渉ですか?」
「まさか!」
勢いよく外套を羽織り、ミダスは振り返った。
「この前、言ったでしょう? 公爵令嬢、聖女様、第一王女――」
指を一本立てる。
「次は国王ですよ!」
ロイドは数秒黙った。
「……何をしに?」
ミダスは満面の笑みを浮かべ、扉へ向かう。
「決まってるでしょう!」
勢いよく扉を開けた。
「仕事をもらいに行くんですよ!」




