聖女様、五年間無給だったんですか?
「先生。ご相談したい方をお連れしました」
「お断りします」
シャーロットが扉を開けきるより先に、ミダス・リーガロウは答えた。机の上には先日の依頼で得た成功報酬が積まれており、彼は金貨を十枚ずつ綺麗に並べるという、本人いわく「非常に重要な確認作業」の最中だった。
「まだ何も説明しておりませんが」
「見れば分かりますよ。聖女様でしょう? 神殿が絡む案件なんて面倒に決まってるじゃないですか!」
ミダスが露骨に嫌そうな顔を向けた先には、白い法衣をまとった若い女性が立っていた。胸元には大神殿の紋章。王都でその姿を知らない者はほとんどいない。
聖女セシリア。病も傷も癒す奇跡の使い手として、五年前から大神殿で人々の治療を続けている女性だった。
「神だの信仰だの慈愛だの、金額に直せない言葉ばっかり出てくるんですよ。私はそういう案件が大嫌いなんです!」
「先生は弁護士では?」
「だから嫌なんです!」
ミダスは最後の金貨を積み終えると、満足そうに椅子へもたれた。セシリアは困ったようにシャーロットを見てから、おずおずと頭を下げる。
「申し訳ありません。でも、私はそもそも相談するつもりではなかったのです。シャーロット様が、一度お話だけでもと」
「ご本人が困ってないなら、私の出番もありません。お帰りはあちらです!」
ミダスが笑顔で扉を指したが、シャーロットは動かなかった。それどころか当然のようにセシリアを椅子へ座らせ、自分もその隣へ腰を下ろした。
「先日、セシリア様が治療中に倒れました」
「少し疲れていただけです」
「今月二度目です」
セシリアは気まずそうに目を伏せ、「少し、二度疲れただけです」と小さく付け加えた。ミダスは仕方なさそうに紙を一枚取り出し、ペンを持つ。
「一日、何人くらい治療してるんです?」
「日によりますが、多い日は五十人ほどです。朝の祈りが六時に終わりますので、そのあとから夕刻まで。重い患者さんがいらっしゃれば、夜も治療します」
「休みは?」
「特に決まっておりません。体調の悪い方は、休日を選べませんから」
ミダスのペンが少し遅くなった。
「それを五年間?」
「はい。もちろん、私が体調を崩して休んだ日はございます」
「体調を崩さないと休めないんですか?」
「いえ、そのような意味では……」
セシリアが答えに困っている横で、シャーロットが「昨年のお休みは十一日だったそうです」と補足した。ミダスは一瞬だけシャーロットを見たあと、紙へ数字を書き込む。
「で、給料はいくらです?」
「給料?」
セシリアは質問の意味そのものが分からないように瞬きをした。
「いただいておりません。神殿で暮らしておりますので、お部屋も食事も用意していただいています。それで十分です」
ミダスはペンを置いた。
「五年間、ご本人が納得してやってきたんでしょう? なら私が横からどうこう言う話じゃありませんね」
「私も大丈夫だと申し上げたのですが、シャーロット様がどうしても一度相談した方がいいと……」
セシリアが申し訳なさそうに笑うと、ミダスは「優しいご友人をお持ちで」と適当に頷き、再び金貨へ手を伸ばした。
その金貨の上へ、シャーロットが一枚の紙を置いた。
「ただし、大神殿はセシリア様の治療を受けた方々から奉納金を受け取っています。昨年だけで、金貨二千四百枚以上です」
ミダスの指が止まった。
「……二千四百?」
「治療費ではありません」
セシリアが慌てて説明した。
「治療そのものは無償です。治していただいた感謝を神へお伝えしたいと、患者の皆様が自ら奉納してくださっているだけです。そのお金は神殿の運営や慈善活動に使われています」
ミダスは金貨ではなく、その上に置かれた紙を持ち上げた。昨年度の合計欄には、確かに《金貨二千四百十二枚》と記されている。
「神殿にはこれだけ入ってるのに、あなたは一枚も受け取ってない?」
「はい。ですが、私の力は神から授かったものですから、お金をいただくために使うものではありません」
セシリアがそう答えると、ミダスは紙をじっと見たあと、机の金貨を端へ押しやった。
「アライ嬢」
「はい」
「最初からこれを出しなさい!」
「先生が五分しか聞かないとおっしゃったので」
「延長です! 無制限!」
◇
二日後、大神殿の応接室。
大神官バルドーをはじめ三人の神官が並び、その向かいにはセシリアとシャーロットが座っていた。ミダスは部屋の中央に立ち、持参した黒板を組み立てている。
「リーガロウ殿。最初に申し上げておく」
バルドーは明らかに歓迎していない顔でミダスを見た。
「聖女の奉仕は俗世の商売ではない。治癒の奇跡を金銭に換算するような話なら、これ以上聞くつもりはない」
「まったくです!」
ミダスは勢いよく振り返った。
「私も同じことを考えていたんですよ! 神から授かった奇跡でしょう? 病人を一人治したから銀貨何枚、重傷者なら金貨何枚。そんな話になったら台無しだ!」
バルドーの険しかった表情が、わずかに緩んだ。
「分かっていただけたなら結構だ。聖女の慈愛は、金銭によって値踏みされるものではない」
「まさしく! 金で買えないからこそ尊い。対価を求めないからこその奉仕! いやあ、素晴らしい!」
ミダスが何度も頷くので、シャーロットが怪訝そうに眉を寄せた。セシリアも少し安心したように息を吐く。
「先生にも分かっていただけて、よかったです」
「分かりますとも! むしろ徹底しましょう!」
ミダスは鞄を開き、一枚の紙を取り出した。
大神殿の紋章。その下には、《神への感謝を示す奉納額の目安》と書かれている。
軽傷、銀貨二枚。
疾病、銀貨五枚。
重傷、金貨一枚。
ミダスはそれを黒板の中央へ貼りつけた。
「これ、廃止しましょう」
バルドーの表情が止まった。
「……何?」
「だって今、決まったじゃないですか。聖女様の奇跡を、銀貨何枚、金貨何枚なんて値踏みするのはよろしくない」
「これは治療費ではない。神への奉納だ」
「もちろん! だったらなおさら、金額の目安なんて必要ありませんよね?」
ミダスは心底不思議そうに首を傾げた。
「感謝でしょう? 金貨一枚でも、銀貨一枚でも、銅貨一枚でもいい。何も払わなくたっていい。神様への感謝に値札をつけるなんて、それこそ失礼じゃありませんか!」
バルドーが答えないうちに、ミダスは黒板へ大きく書いた。
《奉納額の目安 廃止》
「これで解決です! いやあ、早かった!」
「待ちなさい」
バルドーが低い声で止めた。
「奉納額を強制しているわけではない。信徒が迷わぬよう、目安を示しているだけだ」
「では目安がなくても困りませんね?」
「そういう話ではない。神殿の維持には多額の費用がかかる。建物の修繕、薬草、孤児院、救貧院、地方の礼拝所。奉納金は、それらを支える大切な財源なのだ」
ミダスの手が止まった。
「……必要なんですか?」
「当然だ。神殿を運営するには金がかかる」
「なるほど」
ミダスは黒板の《奉納額の目安 廃止》を見て、それからバルドーを見る。
「聖女様がお金の話をすると、奇跡が穢れる」
ミダスは奉納額の紙を指で叩いた。
「神殿がお金の話をすると、運営に必要になる」
バルドーの顔が険しくなる。
「聖女が私利のために金銭を求めることと、神殿への奉納を同列に扱うな!」
「私利?」
ミダスがセシリアを見る。
「この方、去年の休み十一日ですよ?」
今度はバルドーを見る。
「朝から晩まで人を治して、夜中にも呼ばれて、それを五年間続けてる。神殿には去年だけで金貨二千四百枚以上入った」
ミダスは一度言葉を切り、黒板に貼られた奉納額の目安を眺めた。
「それで聖女様が一枚でも受け取ったら、『私利』ですか」
応接室が静かになった。
ミダスはゆっくり笑った。
「いやあ。ずいぶん儲かる慈愛ですねえ」




