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悪役令嬢 〜史上最低の悪女エリザベートは、深紅の唇で紅茶を棄てる〜  作者: 丹空 舞


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9 やっておしまいなさい(4)



 音楽が変わった。

 軽やかだった旋律が、わずかに重みを帯びる。弦が低く鳴り、次の瞬間、跳ねるようなリズムが庭園に広がった。


 ざわめきが、すっと引く。

 視線が集まった先にいるのは言うまでもなく、交わるはずのない二人だった。


 一人は元平民の、田舎令嬢。

 成金男爵令嬢のヘレナ・ホフマン。


 そして、もう一人は剣一筋に生きてきた男。

 斬れない物には興味がないと有名な騎士副団長、ディードリヒだった。


 長身のディードリヒに、ほっそりとしたヘレナが寄り添う。周囲からは好奇の視線がとんだ。


 エリザベートは当然のように庭園のカウチに座りながら、優雅に凸凹ペアを眺めていた。


「こんなところにいたのか」


エリザベートに近寄ってきたのは、第二王子ノアだった。


「さあ、望み通りにしたよ、ベティ。ゼファルディンを護衛につけるのはなかなか大変だったんだからな」


「恐れ入ります」


「ぜんっぜん恐れ入ってない口調が今日もたまらないね」


 紅潮した頬で、ノアは満足そうにエリザベートの隣に腰掛けた。


「これが今日のハイライトかい?」


「……どうでしょうか」


「君ともあろうものが、自信が無いのか?」


「いいえ。ですが、最高潮の瞬間というのは、いつ訪れるか分からないものですわ」


 ノアの護衛をしていたゼファルディンが、ノアとエリザベートが座っているカウチの周りに目を光らせる。

 普段は戦場や軍部のトップで指揮をする騎士団長が、こうしてじきじきに護衛をするのは普通ではない。

 普段ならば、王子関連のことはディードリヒが取り仕切るのが旨なのだ。


 こんな通常外の命令をしたのも、エリザベートがぜひにと言って珍しく頼んできたからだ。

 

 「そろそろ教えてくれないか? 何を企んでる」


 ツンとして無視を決め込んだエリザベートに、身もだえするノアを放置して、エリザベートは小さく呟いた。



「やっておしまいなさい。ヘレナ」









 ディードリヒは緊張したようにヘレナの手をとった。

 彼にとって女性とは、触れれば壊れてしまうような脆いものに等しかった。


 しかし、ディードリヒの腕に手をおいたヘレナは、ディードリヒを安心させるようにニコリと微笑んだ。


「お相手、よろしくお願いいたしますっ……!」


 跳ね上がる高い音と軽快なリズム。

 音を体現するかのように、ヘレナは飛び上がり、回った。


「え――」


 ディードリヒはあわてて、着地するヘレナの腰に手を添えた。これは知っている、いや、知っていたつもりの女性という生き物とは幾分感じが異なる。


「どんどんいきましょう!」


くる、くるっと独楽のように回転を繰り返すヘレナは、ともすればディードリヒの周囲を動物のように跳ね回った。


 短く仕立てたドレスがふわりと庭の空気をはらんで、花びらのように広がる。

 ディードリヒは目を見開いた。



(軽い)



しかし、脆くは無い。

まるで大きな鳥を腕に乗せているようだった。



(この身体能力……鍛えている俺でもついていくのがやっとだ。何だ、この令嬢は……)


 ディードリヒは腕の中の娘の横顔を改めて見た。

 音への反応が非常に速い。

 パーティーでのダンスは社交術の一つだ。どれだけ多くの令嬢と踊り、顔と名前を覚えるか。名刺配りと代わらない。

そんなものに時間を割くのは無駄だ、とこれまで拒否してきた。


 しかし、この瞬間、ディードリヒは自分の固定観念がパリンと音を立てて砕け散ったのが分かった。


 (何だ、この娘は……! いや、娘、だよな? しかし、こんな女性がいるのか? この軽やかさ、瞬発力。どうなっているんだ……この華奢な体にどんな筋肉がついている!?)


 周囲のざわめきは、感嘆に変わっていた。

 大柄なディードリヒの腕を支柱にするようにして、美しく俊敏に演舞するヘレナ。

 

「……嘘でしょう」

「こんなことって」


先ほどまでクスクスと笑っていた令嬢たちや、物珍しさで見ていた紳士たちから、嘲笑が消える。


 庭園の中心で踊る二人は、もはや珍客ペアではなく、このダンスパーティーの中心点だった。


 ヘレナがターンを決める度に、しなやかな身のこなしに賞賛の視線が集まる。ディードリヒがヘレナを抱き留める度に、完成度が高まっていく。

 初めて会い、さっき組んだペアとは思えない息の合い方だ。


(なんだ、これは……)


 ディードリヒの胸は、妙にざわついていた。

 戦場でもないのに、鼓動が速い。

 目の前の少女から、目が離せない。


 笑っているわけでも、媚びているわけでもない。ただ、音に乗っているだけなのに、どうしてこんなにも、目を引くのか。


 最後の音が、鳴り終わると同時に、ぴたりと二人の動きが止まった。


 一拍の静寂。

 そして、割れんばかりの拍手が、庭園を包んだ。


 ディードリヒは、はっと我に返って、腕の中のヘレナを見た。



「あの――」



しかし、当の本人は、軽く息を整えると、何事もなかったかのようにパッとディードリヒから手を離した。


「ありがとうございました! すごい、お上手ですね、ディードリヒ様」


 あまりにもあっさりとした終わりだった。

 あっさりとした声音で、余韻に浸る様子も、視線を絡めることもない。そのまま一歩下がり、思いだしたように淑女のカーテシーをして、カウチに腰掛けたエリザベートの元へ歩いていった。



 ディードリヒは呆然と佇んだ。

 さっきのダンスを見ていた令嬢たちから、

「私とも踊って下さい」

「私も」

「私も」

と、誘われていることにも気付かなかった。



 説明のつかない熱が胸に残っている。

 それなのに、当の相手はそれに一切気づいていない顔をしている。


(……なんだ、これは。というか、彼女、俺の名前を知っていてくれた……? あの女性と、ノア王子はどういった関係なのだ? エリザベートは?)



 一方で、その光景を見ていたミリエッタの顔色は、完全に変わっていた。

 信じられないものを見るような目だ。

 握りしめた扇子は、ぶるぶると震えている。


「どうして……」


 ヘレナは恥をかくはずだ。

 笑われるはずだ。

 庶民がこんなところにいるなんて、罰されるべきだ。


 それなのに――。

 ヘレナは今日誰よりも視線を集め、称賛を浴びた。

 しかも。

 ディードリヒが、先ほどまでとは明らかに違う、熱を帯びた眼差しで、ヘレナを見ている。



 「なんで。なんで……」


 ミリエッタが現実を理解するより先に、凜とした優美な声がかけられた。


 「あらあ? ミリエッタ様じゃなくて?」




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