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痣。痣。痣。手足のあちこちの皮膚が変色している。奇妙に盛り上がっている部分もある。なにも無い個所を探すことのほうが難しいくらいに、たくさんの傷跡があった。
そして左腕には、手首から肘の内側に及ぶ一直線の長いピンクとこげ茶の中間のような色をした線が走っていた。
「これ、キモいでしょ。とりあえずしまっとくけど」
アキナリは平然と捲った袖と裾を下ろす。だけど一瞬前に見た衝撃的な光景が脳裏に焼き付いて、ジャージの上からでもまだ数多の傷が見えるようだ。
「ごめん。やっぱ引くよね」
「……いや、ていうか、それ、どうしたの」
「昔、親に虐待されとったときのやつ。あ、あと学校で虐められとったときのもあるか」
虐待。いじめ。単語自体が重量を持っているかのように、耳から入って身体の奥のほうにずしんと音を立てて落ちた。テレビで見たフィクション作品のそういう場面が砂嵐の先に微かに見える。そこに今まさに目にした傷跡たちが混ざりあって、溶けていく。
「これを見せるのもどうかなーって感じだから、ずっと長袖着てんの。リアクション困るだろうしね」
まさに今自分がどういう反応をするべきか悩んでいたことを見抜かれた気がして、心臓がどくっと脈打った。
「……ごめん。正直、まじでビビった」
アキナリは眉根を下げて困ったように笑いながら、「いいよ」と言った。
「この際だからもう話しとくけどさ、僕子どもの頃に実の両親に虐待されとって。殴られたり蹴られたりとか暴力もあったけど、ネグレクトって言うのかな。育児放棄もあって、学校に必要なものとか買ってもらえなかったり風呂入らせてもらえなかったりってことが結構あってさ。そういうのって子どもの間だと恰好の的になるじゃん? そんで今度は小学校で虐められてさ」
知り合ってからのアキナリを思い出す。もさもさの黒い猫っ毛。黒縁眼鏡の奥の細い優しげな目。困り顔にも見えるはにかみ顔。マリアのことで悩んで、結論の出ないことをああだこうだと朝まで聞かされ続けたり、飲めない酒を飲んで潰れたりしていた普通のどこにでもいそうな大学生の一人だと思っていた。その内側にそんな過去を囲い込んでいたというのか。嘘だろう。だけど目に焼き付いている傷の数々が、真実を物語っている。
「でも今は大丈夫なんだけどね。それこそ当時はもう死んでやろうと思って、実際に死のうとしたんだけど、僕を助けてくれた人がいてさ。その人が教えてくれたんだ。死ぬまえに最後の一回、勇気を出して抵抗してみろって。だから、これ。ここに一番デカい跡があるんだけど」
アキナリが指したのは、あの左腕の真っ直ぐに伸びた線の位置だった。
「小五の時に教室でさ彫刻刀持って、これ以上いじめを続けるなら、先生も無視をするつもりならもうここで死ぬ! って叫んで自分でやったんだ、これ」
大切な勲章を愛でるかのような手つきで、傷跡をジャージの上から撫でる。
「そんでそのまま救急車で運ばれて、親の虐待も発覚したんだよねー。で、児童相談所に保護されて、転校もして里親に引き取られたんだよね」
「まじか……」
自分でももっと他にマシなコメントがあっただろう、と思ったけれど、それしか出てこなかった。
「その里親が、僕が自殺しようとしてたときに助けてくれた人でさ、そっから今まで男手一つで育ててくれたんだ。こうやって大学にまで行かせてくれてるしね。だからなんか、周りの人がこういう傷とか見て青ざめるほど、今の僕は気にしてないって言うか……、気にしてないっていうわけじゃないけど……、でもまあそんな感じでさ」
そんなに過酷な人生を、重たい過去を背負って生きている人がまさか自分のこんなに近いところに生きているとは思わなかった。しかも何食わぬ顔をして、笑って、恋をしながら。アキ、お前、凄すぎ。
「ていうわけで、長袖ばっかり着てるんだよね。あ、でもジンにはもう話したから、これからは半袖とハーパン貸してくれ。やっぱ暑いわ」
「わかった」
「おー、すまんね」
アキナリはまた笑った。
足が風呂に向かず、音楽を止めてジンはベッドに横になる。アキナリはいつも無印で買ってきて置きっぱなしにしている布団を床に敷いて眠る。場所を変わってやりたい気持ちになる。
アキナリは軽い調子で自らの過去を打ち明けてくれたけれど、あの声音ほど明るい日々じゃなかったはずだ。なんでもないはずがない。心に傷が残らないはずが無いのに、どうして自分自身より傷を見せた相手のことを気遣えるのだろう。やっぱり、凄すぎる。
今まで自分が生きてきた空っぽの人生とは、まるで違う。




