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シケモク  作者: 桂朔
3/10

2.退役軍人

心が凍り付き、動かなくなる。

何も考えられない。

まるで地面に釘付けされたようで、身体も動かない。

「空襲警報だ!」

誰かが叫んだ。

カフェの中は騒然としていた。

「皆さんカウンター側にしゃがんで!」

店主の行動は早かった。

入口に向かうと外に向かって叫んだ。

「中へ!」

空襲警報といっても、実際に何が飛んでくるかは分からない。

ミサイルか、航空機の爆弾か。

こういう時の基本は、外に居るなら近くの頑丈な建物か地下へ避難することだ。

そして窓ガラス等から離れる…

この建物は古びているとはいえ、ログハウスだ。頑丈な部類に入る。

外から続々と人が入ってきた。

「カウンターに寄ってしゃがんでください!」

店主はもう一度言うと、僕たちのいたテーブルを横倒しにする。

テーブルの上の物が大きな音を立てる。

楽しみにしていたラテが床に染みていく。

同様に隣のテーブルも倒す。

こちらは空席だったので先程ほど音は立たなかった。

空襲警報はまだ辺り一帯に響いていた。

「坪崎さんもこっちへ!」

店主はカウンターにいた女性を呼ぶ。

カウンターとテーブルの間には10人ほどの人間がいた。

「皆さん、これで大丈夫ですから、安心してください。」

それぞれの顔を見て、店主が言った。

刻まれていた傷は伊達ではないのだろう。身長はそこまでではなかったが、身体つきはしっかりしている。

戦争帰りの退役軍人なのだろう。

渚と楓はほかの客同様、怯えていた。

前の戦争が終わって数年経つが、その記憶を思い出すのは難しい事ではない。

出会う前の2人に何があったのかは知らない。

もしかしたら、何もなかったかもしれないが、戦争の記憶は間違いなくあるだろう。

そんな普通の高校2年生だ。

爆弾が降ってくるかもしれないのだから、怯えるのは当然と言えば当然だ。

カフェ内には相変わらず隣国の曲が流れていた。

こうなると、場違いだなと思う。

僕はふと、三芳の事を思い出す。

数年前の記憶が、断片的に頭を過る。

そこから更に記憶を遡ろうとしたところで、自分の左腕を抑えた。

やめよう。

今はそんな事を思い出しても仕方がない。

握りこんだ右手をゆっくりと放し、左手で揉み解す。

そこである視線に気づく。

店主が僕を見ていた。

表情から何を考えているかはわからないが、何か不思議なものを見るような目だ。たぶん。

誰かが泣き始め、店主の目線が逸れる。



それから数分間空襲警報はなり続け、先ほどようやく止まった。

どうやら誤報らしい。今は放送が流れている。

店主と思っていた退役軍人は、どうやら僕の勘違いだったようだ。

坪崎という店員にテーブルの件を謝っていた。

この坪崎という人が実は店主だったらしい。

店がこの状況なので、今日はもう閉めるらしい。お代は不要とのことだった。

もっとも、皆会計以上のお金を置いていったが。

とある一組に至っては、割れたカップ等の壊れた備品のお金まで置いていこうとしたくらいだ。

流石にそれは困ると、店主が断っていたが。

「こういう時に頼れる方が居ると安心ね。またくるから、今度は何か少し奢らせてね。」

年嵩の女性は退役軍人と握手すると、ゆっくりと店を後にした。店員はそれを見送りに出る。

「さて、あなたはどうするの?」

「あ、僕は家の者が迎えに来るそうなので…」

先程三芳から連絡があったのだ。

「外で待たせてもらっても良いですか?」

携帯電話を持っているとこういう時に便利である。

「構わないわよ。」

渚と楓は既に店を出ていた。

送るといったが、楓はそもそも家が近いから歩いたほうが早いと出ていき、渚は家族が心配らしくそそくさと出ていった。

僕は一番手前のテラス席を借りて迎えを待つことにした。

奥の席には冷めた料理がそのままにされていた。

流れていた隣国の曲も、今は止められている。

心地よかった日も傾き、肌寒い。

冬が間近に迫っているのを感じた。

「よかったらどうぞ。」

店主がコーヒーを運んでくれた。

「え…良いんですか?」

「外は冷えるでしょう?」

店主は丁寧にカップを置く。その手は少しカサついているが、細くしなやかに動く。左手の薬指には指輪があった。

「ありがとうございます。頂きます。」

「気にせず、ゆっくりしていってね。」

そう言うと店主はテラス席の片付けを始めた。

そう言えば、結局楽しみにしていたラテにはありつけなかったな。

とか思いながら、コーヒーを口にする。

熱い。そして苦い。

大人の飲み物だった。

僕にはまだ分からない事が多い。

この国では、多くの人間が何かを背負って生きている。

僕もその中の一人だ。

先ほどのことを思い出す。

それはかなり曖昧な記憶だったが、それを思い出すことはしたくなかった。

気が付けば立ち上がっていた。

急に立ち上がるものだから、店主がこちらを向いた。

「あの、良かったら何か手伝わせてもらえませんか?」

ふと思い立って言う。

どうせ時間が余っているのだ。

僕は迎えが来るまで、カフェの片付けを手伝う事にした。

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