第6話 書類整理
お話ごとの登場人物
・フローラ ヴィスコンティ子爵令嬢。
・フェルディナン アルセリア王国第二王子。王族聖職者。
グレイム教会の司祭室へ通されたフローラとフェルディナンは、執務机に山積みになった書類の山を前に、揃って瞬きをした。
部屋の中央にある執務机だけでは、到底収まりきらなかったのだろう。
机のすぐ脇にある収納棚、そのほか両壁に設置された本棚や書類棚の下にも、今にも書類が溢れ出しそうな保管箱がいくつも並べられている。
「その場で目を通して、処理が必要なものはすべて済ませているのですが、手の空いたときに整理しようと思っていたら、いつの間にか机の上まで作業できなくなってしまって――」
笑って説明するしかない司祭は、どこか申し訳なさそうにしながらも、足取りは妙に軽かった。
「でも、床にそのまま置くわけにもいきませんし、保管箱ももういっぱいで……お二人のお力を、ぜひお貸しいただきたいのです」
そう言いながら、司祭は慣れた手つきで収納棚を開けていく。
中には、空の分類箱がいくつも並んでいた。
「書類ごとに分類して綴じて、それぞれの保管棚へ格納していただければ大丈夫です。綴じるための道具は、そちらの机の引き出しに入っていますから」
大した作業ではありません、とでも言いたげな司祭だった。
その惨状を前に、フローラはしばらく言葉を失っていた。
ようやく口を開く。
「司祭様。殿下ならともかく、私が教会の書類に触れるのは、いかがなものかと思うのですが」
「フローラ様なら大丈夫ですよ。やましい書類などありませんし」
司祭はにこやかに答える。
「それに、じっくり内容まで読んでいたら、日が暮れてしまうと思います」
「…………」
それはつまり、内容を確認する必要がない程度には量が多いということだろうか。
そうなる前になんとかするのも、司祭の仕事の一つではないだろうか。
もの言いたげなフローラの視線にも気づかず、司祭は明るく続けた。
「殿下とお二人なら、すぐに終わりますよ。私は聖堂におりますので、分からないことがあったら呼んでくださいね」
言うだけ言うと、司祭は軽い足取りで部屋を出ていく。
扉が閉まる直前、その背中からは、これで安心だという安堵と、少しばかりの罪悪感が入り混じったような、どこか弾んだ空気が漂っていた。
フローラが小さく息を吐く。
「共同作業、頑張りましょうね」
フェルディナンが嬉しそうに声をかけた。
どうやら目の前の書類の山よりも、フローラと一緒に作業できることのほうが気になっているらしい。
「……そうですね」
フローラは乾いた返事をしながら、改めて目の前に積み上げられた書類の山を見た。
これを、全部やるのか。
フローラは、もう一度だけ静かにため息をついた。
書類の山は整理すればするほど、さまざまな種類の用紙を際限なく発掘させた。
寄付品の受領書。
食材や薪、炭をはじめとした生活用品の領収書や伝票。
施療院の患者の退院記録や死亡記録。
薬品の納入書。
教会本部からの通達。
他教会からの連絡事項。
施設の修繕に関する見積書や記録。
さらには、保存魔法の再施工記録まである。
書類を整理するため、フローラとフェルディナンは床に種類ごとの山を作っていった。
やがて、部屋の中は書類の山だらけになった。
もはや床は、書類の山を避けながら歩くための飛び石のようにしか残っていない。
「殿下、こちらの山は分け終えました」
「ありがとうございます。こちらはもう少しで終わります」
「お手数ですが、この上の保管箱を取っていただけますか?」
「かまいませんよ」
二人が手を動かせば動かすほど、書類は少しずつ整理されていく。
ざっと目を通して種類ごとに分けていくが、二年前の日付がついた書類も少なくない。
どうやら種類だけでなく、年度ごとにも分ける必要がありそうだった。
「司祭様、だいぶ溜め込みましたね」
「そうですね。教会の運営だけで手一杯なのでしょう」
フローラの言葉に、フェルディナンは苦笑した。
やがて、乱雑に積み上げられていた書類が、年度と種類ごとの山に分けられていく。
それだけのことなのに、不思議と達成感があった。
「そういえば先日、体調を崩されて、いらっしゃらなかったと伺いました。もう大丈夫なのですか?」
「ええ。お気遣いなく」
なんでもないことのように答えるフローラだった。
けれどフェルディナンは、彼女の顔をしばらく見つめていた。
フローラが体調を崩した日の前後、王都付近で黒い影を見たという報告があった。
時おり、魔力を持って生まれる獣が現れることがある。
風魔法によって異様な速さで動いていたのか。
それとも、闇魔法を纏っていたのか。
エドワードも騎士たちへ警戒を呼びかけているが、いまだそれらしき獣が見つかったという報告はない。
そして、同じ頃。
王都近郊の演習場では、不幸な事故も起きていた。
ただの偶然。
そう思っている。
そうでなければならない。
幼い頃に読んだ物語には、災いをもたらす魔物が登場するものがあった。
そんなものが現実にいるはずがない。
けれど――もし、目の前の少女の身にも何か起きていたのだとしたら。
そう考えると、どうしても気になってしまう。
「フローラ嬢は……魔物って、信じますか?」
フローラの身に何もなかったことを、確かめずにはいられなかった。
「殿下」
「はい」
つい漏れてしまった言葉に、フローラが反応する。
フェルディナンが顔を上げると、手を止めたフローラの灰青色の瞳が、じっとこちらを見つめている。
「魔物は物語の中の存在です」
「……そうですよね」
「殿下が気にする必要はございません」
「はい」
それだけ言うと、フローラは再び書類を綴じ始めた。
こんなことで気弱になっていては、彼女に示しがつかない。
フェルディナンは小さく頷いた。
「でも……あまり王都の外へは出ないでくださいね」
王都近郊には景勝地や、それに伴う宿泊施設、体験型の牧場施設や演習場などがあり、足を伸ばす貴族も一定数いる。
「社交のために来ているので、外に出ることは滅多にありません」
「そうかもしれませんが……」
彼女はそういう人間だ。
分かっている。
それでも、一度渦を巻いた心配は、そう簡単には晴れてくれそうにない。
「あの……もしよろしければ、魔除けの祈祷は如何でしょうか?」
「必要ありません」
即答だった。
フローラは綴じ終えた書類をフェルディナンへ差し出す。
「それより、あちらへ格納をお願いします」
「はい」
フェルディナンは素直に書類を受け取り、保管棚へ向かった。
戻ってくれば、また二人で書類を綴じる。
そんな作業を繰り返すうち、山ほどあった書類も少しずつ片付き始めた。
もう一息というところで、フローラがふと口を開いた。
「作業後に殿下のお時間があれば、お茶にお付き合いしましょうか?」
「フローラ嬢……」
フェルディナンは思わず手を止めた。
フローラの手は止まっていない。
聞き間違いではないらしい。
あれからずっと気にかけていたから、元気づけようとしてくれているのだろうか。
書類を手に取るフローラの表情は、いつもと変わらない。
けれど、それだけでフェルディナンには十分だった。
「今日はメロンのミニタルトを持ってきました。早く終わらせて、一緒に食べましょうね」
「承知しました」
メロンという言葉に、フローラの瞳がほんのわずかに開く。
その一瞬を、フェルディナンは見逃さなかった。




