第2話 ヴィスコンティ家
お話ごとの登場人物
・フローラ ヴィスコンティ子爵令嬢。
・フェルディナン アルセリア王国第二王子。王族聖職者。
・エドワード アルセリア王国第一王子。王太子。
・セヴェリウス ヴィスコンティ侯爵。フローラの祖父。
・マグヌス ヴィスコンティ子爵。フローラの父。
王宮内にある第一王子の執務室には、二人の男が机を挟んで向かい合っていた。
「シモンズ伯爵の件は、残念だったな」
慰めるように口を開いたのは、第一王子エドワード・レグナード。
鍛錬によって磨かれた身体は均整が取れており、執務席に座る姿には、王太子に相応しい気品と威厳が備わっている。
短く整えられた金髪は、西日を受けて輝いていた。
けれど、端正な顔立ちには影が落ちている。
澄んだ緑の瞳が見つめるのは、胸元に挿された一輪の黒薔薇だった。
「昨日も減らず口を叩いていたのです。急死だなんて、ありえません」
向かいに座る男が眉をひそめる。
セヴェリウス・ヴィスコンティ侯爵。
白髪をきっちりと後ろへ撫でつけ、広い額には深い皺が刻まれている。
耳の下から顎にかけて短く整えられた顎髭。
口髭は八の字に下がり、少しこけた頬と骨張った輪郭が、鋭い印象を与えていた。
年齢を重ねても身体は大きく、堂々とした姿勢に衰えは見えない。
胸元には一粒の黒真珠のピンが、豪奢な装飾とともに添えられていた。
「だが、医者は体調の急変によるものと判断したのだろう」
「そうではありますが……」
セヴェリウスは言葉を濁した。
体調の急変。
それ以外の何ものでもないらしい。
けれど、本当にそうなのだろうか。
焦げ茶色の鋭い目が、鷲のように吊り上がる。
「殿下。念のため、周囲を固めておいた方がよろしいかと」
最近、第三王子を担ぐ動きが目につくようになった。
以前なら見過ごしていた程度のものだ。だが、ここ最近は、それぞれ無関係に見えた動きが妙に重なっている。
長年、宮廷の動きを見てきた勘が、きな臭さを告げていた。
「考えすぎだ」
エドワードは静かに首を振った。
「シモンズ伯爵に目立った異変があったわけでもない。今の段階で騒ぎ立てれば、余計な不安を招く」
「しかし、もし何者かの手によるものだとすれば――」
「その時は、その時だ」
エドワードの声に迷いはなかった。
「根拠のない疑いで周囲を探れば、それこそこちらが警戒していると相手に知らせることになる」
「……おっしゃることは分かります」
セヴェリウスは一度口を閉ざした。
けれど、その頭の中ではすでに人間関係の構築が始まっている。
誰がシモンズ伯爵と親しかったのか。
誰が利益を得るのか。
そして、もしこれが偶然でないのなら、次に狙われる可能性があるのは誰なのか。
「それでも、念のため――」
「もう下がれ」
エドワードが言葉を遮る。
「……表立って動いて刺激するなよ」
「もちろんでございます」
セヴェリウスは深く一礼すると、執務室を後にした。
扉が閉まる。
静けさを取り戻した部屋で、エドワードは一人、息を吐いた。
窓の外では、空が茜色に染まり始めている。
◇ ◇ ◇
ヴィスコンティ子爵邸。
王宮を中心に、公爵家や侯爵家の大邸宅が並ぶ王都の中心部とは異なり、その外側には中規模の邸宅が建ち並んでいる。
侯爵邸とは違い、管理がしやすい。
それがセヴェリウスにとって、子爵邸へ抱く印象だった。
広くはないが、よく手入れされた庭園には、黄色や白、青色の花々が咲いている。
けれど今のセヴェリウスには、花の名前を思い出すことよりも重要なことがあった。
「マグヌスとフローラはいるか?」
我が家のような足取りで子爵邸へ入ると、使用人へ尋ねる。
「旦那様もお嬢様も、お戻りでございます」
「では、談話室に呼んでくれ」
「かしこまりました」
セヴェリウスは慣れた足取りで談話室へ向かい、ソファへ腰を下ろした。
使用人が紅茶を淹れると、礼を言うこともなく、迷わずカップへ手を伸ばす。
エドワードの執務室を出てから、セヴェリウスの頭にあるのは宮廷内の人間関係だった。
誰と誰が繋がっているのか。
シモンズ伯爵の死によって、誰にどのような影響が出るのか。
そして、その先に何が起こり得るのか。
思案を巡らせるうちに、一つの結論へたどり着いた。
だからこそ、帰邸する前にここへ立ち寄ったのだ。
考えを整理しているうちに時間は過ぎていく。
しばらくすると、扉を叩く音が響いた。
顔を上げると、マグヌスとフローラが談話室へ入ってきた。
「ご機嫌麗しゅう、父上」
「うむ」
マグヌスの隣で、フローラが深々と礼をする。
「二人とも座りなさい」
「はい」
二人がセヴェリウスの向かいへ腰を下ろす。
マグヌスの薄い茶色の瞳が、父親を見つめた。
「本日は、どのようなご用件でしょう」
小綺麗な茶色の髪に、細身の体躯。
恰幅の良さも、威勢の良さも、セヴェリウスに軍配が上がる。
「以前話していた、フローラとポンテール伯爵家との縁談だが」
セヴェリウスは紅茶を一口飲んだ。
「取りやめることにした」
「あんなに勧めておられたのに、ですか?」
マグヌスが驚いたように目を見開く。
セヴェリウスは静かに頷いた。
「状況が変わったのだ。今、あの家と関係を築くのは得策ではない」
「そうですか……」
マグヌスが隣へ視線を移す。
ソファに姿勢よく腰掛けるフローラの様子に、変化はない。
「フローラは、それでいいのかい?」
「お祖父様のお話に異存はありません」
フローラの返事は淡々としていた。
次期ポンテール伯爵。
魔術師の名門の生まれらしく、骨と皮だけの身体つきに、大きく見開かれた目が相まって、フローラには蛙のように見えた男だ。
性格は穏やかそうではあった。
けれど、嫁がなくて済むのであれば、それで構わない。
それ以上でも、それ以下でもなかった。
平然としているフローラとは対照的に、マグヌスは何とも言えない表情を浮かべる。
「その……フローラは、気になる殿方はいないのかい?」
「おりません」
「お祖父様の前だからと、気にする必要はないんだよ」
「お気遣いは無用です」
「そうか……」
マグヌスは念を押すようにフローラを見つめる。
けれど、フローラの口調は変わらない。
娘の意思を確かめたい父親と、自分から何かを望むつもりのない娘。
やがてマグヌスが口を閉ざす。
その様子を見て、セヴェリウスがフローラへ視線を向けた。
「では、フローラ」
静かな声が、談話室に響いた。
「フェルディナン殿下とはどうなんだ? 教会で茶を飲むようになって久しいだろう」
「殿下がお優しいので、ご相伴させていただいているだけです。お祖父様や父上が考えるような関係ではございません」
「殿下は王族聖職者ですからね」
マグヌスの言葉に、フローラは頷いた。
王族の血を引きながら王位継承権を放棄し、聖職者となった者。
王族としての身分を保ちながら教会に仕える、王国独自の特殊な立場である。
王族聖職者となった者には、王位継承争いから距離を置くため、結婚が禁じられていた。
「しかし、過去に例がないわけではないではないか」
「有事の際の、ごく限られた例です。通常はあり得ません」
「確かにそうだが……」
セヴェリウスは言葉を濁した。
王族と縁続きになる可能性を、完全に諦めきれない。
そんな祖父の思惑をよそに、フローラはいつもと変わらぬ顔で座っている。
セヴェリウスはフローラを見つめた。
茶飲み仲間である王子の話をしているというのに、その表情には恋慕の情など欠片もない。
昔からフローラは表情が読みにくい。
それでも、本人がこう言うのなら、本当に何もないのだろう。
セヴェリウスは小さく息を吐いた。
第二王子は友人枠として置いておく。
ならば、別の婚約者を探す方が堅実だ。
「フローラもまだ十七だ。闇属性だが、魔力量は一級。嫁に迎えたい家は多い」
切り替えは早かった。
「私が最高の婚約者を用意してやろう」
「お祖父様のご意向にお任せいたします」
「うむ。任せておけ」
従順な返事に、セヴェリウスは満足そうに頷いた。
いったい、誰にとっての最高の婚約者なのか。
祖父に将来を委ねるフローラの隣で、マグヌスは何か言いたげに口を開きかけ――結局、言葉を飲み込んだ。
エントランスでセヴェリウスを見送ったマグヌスは、隣に立つフローラへ向き直った。
「……本当に、お祖父様に任せてしまって良いのか?」
「はい」
即答するフローラに、マグヌスは思わず顔をしかめた。
「もし、本当に気になる人ができたときは……父上のことは気にしなくていい。私がなんとかする」
そう言ったものの、あの父親を相手にどうすればいいのか、マグヌス自身もよく分かっていない。
けれど、セヴェリウスが考えているのは一族の繁栄だ。結婚後のフローラがどのような生活を送ることになるのかは、二の次になってしまう。
それは、フローラも理解しているはずだった。
「心配には及びません。貴族の婚礼とは、家同士の結びつきを強めるためのものです。婿養子を迎える予定がないのであれば、どこかへ嫁ぐのが妥当でしょう」
「自分からそう言う令嬢は、私の周りではあまりいないようだぞ」
「先生は、そう仰っておりました」
「教師だからな」
マグヌスは苦笑した。
子爵家の子はフローラだけだ。
本家である侯爵家では、父親のお眼鏡に適った弟が跡を継ぐことになっている。わざわざ婿を迎える必要もない。
「もう少し、恋愛ものの観劇や小説を見たほうが良いんじゃないか……?」
「茶会でよく話題になりますが、ただの夢物語です」
「そうではあるがな……」
生まれ持った性格というものなのだろうか。
フローラは極めて冷静で、現実的だ。
同じ立場の娘を持つ友人からは、手がかからなくて羨ましいとよく言われている。
確かに、手はかからない。
ただし、心配は絶えない。
マグヌスは、誰にも聞こえないように小さくため息をついた。




