第14話 第三王子
お話ごとの登場人物
・フローラ ヴィスコンティ子爵令嬢。
・フェルディナン アルセリア王国第二王子。王族聖職者。
・アルフレッド アルセリア王国第三王子。
数日後。
グレイム教会の孤児院の一室では、子どもたちに囲まれながら、フローラが玩具の修繕をしていた。
床に置かれた木箱には、足や尻尾が欠けた木彫りの動物人形。車輪や紐が緩んだ引き車に、荷台が割れかけた子ども用の荷車。割れたり欠けたりした積み木やままごとの道具に、一片が足りない型合わせ。
机の上には、膠や、工房から譲り受けた木片の端材が並んでいた。教会の敷地内で拾った、よく乾燥していそうな小枝もある。
「お馬さんも治る?」
「ええ。牛さんと同じように、新しく作って継ぎ足しますから」
フローラは足の欠けた木彫りの馬を手に取り、合いそうな小枝を見繕った。
少し長めに折り、木工用のやすりで削っていく。少し削っては子どもたちに見せ、長さや太さが合っているかを確かめた。
「ちょっと長いよ」
「少し削りましょう」
「太すぎない?」
「このくらい接着面がある方が、取れづらいですよ」
「ふーん」
納得したのかしていないのか、子どもは曖昧な返事をした。
フローラは馬の本体に合うよう、接合部分の形をやすりで整える。最後に角を丸め、手触りがなめらかになったところで、子どもたちへ差し出した。
「つるつるだ!」
「早くつけて!!」
「しっかり乾くまで、触ったら駄目ですよ。取れてしまいますからね」
「うん!!」
元気な返事を聞きながら、フローラは膠で足を接着した。馬の人形を少し高めの棚に置くと、隣には先に修繕を終えた牛の人形が並んだ。
続いて犬の尻尾をつけ、兎の耳を補強する。修繕を終えた人形が増えるたび、子どもたちは嬉しそうに棚を眺めていた。
引き車の紐を付け直し、緩んだ車輪を確かめていたときだった。
開け放した扉を、控えめに叩く音がした。
フローラが顔を上げるより早く、子どもたちが声を上げた。
「司祭様だ!」
「フェル様もいるー!」
「お兄ちゃん誰?」
「皆さん、とっても偉い方ですから、言葉遣いに気をつけましょうね」
司祭は少し青ざめた顔で子どもたちを諫めていた。
その隣に立つフェルディナンは、嬉しさと申し訳なさが入り混じったような顔をしている。
そして、フェルディナンの隣には、ふんわりとした金髪に似合わず、空色の瞳をつり上げた少年がいた。
緋色の上着には、盾を背景に双剣が交差した紋章が刺繍されている。
珍しい顔ぶれに、フローラは手を止めた。
第三王子と教会で顔を合わせるのは、これが初めてだった。
フローラはその場を立ち、深く腰を落として礼をする。
アルフレッドがまっすぐにフローラへ歩み寄ってくる。
その様子を見て、フェルディナンが口を開いた。
「お久しぶりです、フローラ嬢。作業中にお邪魔してしまいましたね」
「殿下もお変わりなく。これからまた手をつけるところでしたので、お気になさらず」
フェルディナンが先に声をかけたことで、アルフレッドはフローラの目の前で足を止めた。
兄に話しかけられているというのに、笑みひとつ浮かべないフローラを、アルフレッドが不服そうに見つめる。
けれど、フローラはまるで気づいていないかのように、表情ひとつ変えなかった。
「あちらの人形も、フローラ嬢が修繕されたのですか?」
「ええ。膠が固まるまで、手を触れないようお願いします」
「わかりました」
二つ返事で頷くフェルディナンに、アルフレッドはますます眉を寄せた。
それでも兄の会話に割り込むことはせず、口を挟む機会をうかがっている。
やがて、少し離れたところから様子を見ていた子どもたちが、好奇心を抑えきれずに声を上げた。
「フェル様、このお兄ちゃん誰?」
「フェル様のお知り合い?」
「殿下にご紹介を催促してはいけませんよ」
司祭が慌てて子どもたちをたしなめると、フェルディナンは柔らかな笑みを浮かべた。
「私の弟のアルフレッドです。仲良くしてくださいね」
「フェル様の弟!」
「王子様?」
「ええ」
フェルディナンが頷くと、子どもたちの瞳が一斉に輝いた。
「格好良い!」
「フェル様より強そう!!」
思いがけない褒め言葉に、アルフレッドの頬が一瞬緩む。
しかし、すぐに気を引き締めると、再びフローラへと視線を向けた。
「殿下方はフローラ嬢とお話があるようなので、あちらで遊びましょうね」
「えー」
司祭は冷や汗を浮かべながら、子どもたちを部屋の外へ促した。
不満そうな声を上げながらも、子どもたちはしぶしぶ部屋を出ていく。司祭も二人の王子とフローラに一礼すると、そそくさと後に続いた。
静かになった室内で、フェルディナンが申し訳なさそうに口を開いた。
「先日の木登りの話を家族にしたら、弟がどうしても話がしたいと申しまして。こっそり、フローラ嬢がいらっしゃる日まで確認してしまいました」
「私の予定など、いくら尋ねていただいても構いませんよ」
「本当ですか!?」
瞳を輝かせるフェルディナンの前で、フローラはあっさりと答えた。
そのやり取りに、ついにアルフレッドが口を開く。
「兄上? そろそろ、よろしいでしょうか?」
「はいはい。――フローラ嬢、こちらは弟のアルフレッドです」
苦笑するフェルディナンの前で、フローラは改めてアルフレッドへ向き直り、腰を落として礼をした。
待ちかねたと言わんばかりに、アルフレッドが空色の瞳をつり上げる。
「フローラ・ヴィスコンティ子爵令嬢」
「はい、殿下」
木登りの件と、第三王子に何の関係があるのだろうか。
首を傾げるフローラを、アルフレッドは深呼吸の末に睨みつけた。
「兄上を呼び捨てにしたと聞いたぞ!! 不敬だ!! 兄上に気に入られているからって、いい気になるなよ!!」
びしりと、アルフレッドがフローラに噛みついた。
自分に責められれば、大抵の者は萎縮する。令嬢ならば、なおさらだろう。
そう考えていたアルフレッドだったが、フローラは小さく頷いただけだった。
「あの時は子どもの命が優先でしたので、ついお呼びしてしまいました。殿下を蔑ろにする意図はございませんでしたが、アルフレッド殿下がご不快になられたのであれば、謹んでお詫び申し上げます」
フローラは静かに頭を下げた。
王子に責められているというのに、不安や焦りは見受けられない。
その態度に少しばかり安堵したフェルディナンが、申し訳なさそうに口を開いた。
「私は名前を呼んでいただけて嬉しかったのですが、アルが不敬だと聞かず……」
「兄上の優しさに、この女が甘えただけです」
アルフレッドは、フェルディナンからフローラへと視線を移した。
「名を呼ばなくてもよかったはずだ」
「そうかもしれません」
あの時は、ついうっかり呼んでしまった。
フェルディナンは日頃から「フェル」と呼んでよいと言っているが、やはりそういうわけにはいかない。
アルフレッドが指摘するのも無理はなかった。
フローラがあっさり同意すると、アルフレッドは気に入らないとでも言うように眉を寄せる。
「本当に失言だったと思っているのか?」
「もちろんです」
「私は構わないのですが……」
「兄上は徳があるから許せるのです!」
アルフレッドは兄を振り返り、すぐさまフローラへと向き直った。
「――だいたい、何だ、その態度は。兄上に対して失礼だろう? もっと敬意を表したらどうだ!?」
「フローラ嬢はいつも礼儀正しいですよ……」
「兄上は人が良いからそう思うのです」
フェルディナンがフローラを擁護すれば、アルフレッドはすかさず兄を立てながら反論する。
そして、再びフローラへと向き直った。
「――黙ってないで、少しは何か言ったらどうだ?」
兄とフローラを交互に見やり、次々と言葉を繰り出すアルフレッド。
よく動く首と、よく回る舌だ。
フローラは内心で感心しながら、問いかけてきた空色の瞳を見つめ返した。
「フェルディナン殿下は人徳があり、手本にするべきところも多いお方。私の未熟な振る舞いも、許してくださっているのでしょう。アルフレッド殿下がお気を悪くされたのであれば、私の不徳の致すところでございます」
「そうだ。兄上は優しくて、人望があって、愛されていて、気配り上手で、包容力があって、いつも皆のことを考えてくれているんだ。おまえは、そのうちの一人に過ぎない!!」
「存じております」
「アル、言い過ぎですよ……」
フェルディナンは、ばつの悪そうな顔で弟をたしなめた。
対するフローラは、背筋を正したままアルフレッドから視線を外さない。
「なんなんだよ、おまえ……」
フローラは非を認め、言葉遣いも姿勢も、アルフレッドが求めた通りに改めている。
それなのに、少しも動じた様子がない。
気に入らなかった。
これが兄の気にかける令嬢なのだと思うと、アルフレッドの不満はますます募った。
「兄上が毎日毎日、おまえの話ばっかりするんだぞ!? 少しは愛想笑いの一つもしたらどうだ?」
「申し訳ございません。笑うのは不得意なもので」
「アル、そんなことを言ってはいけませんよ。判別しづらいのは確かですが、フローラ嬢だって表情を変えるのです」
「そこが問題なのですよ、兄上!!」
フェルディナンの擁護に、アルフレッドはますます声を張り上げた。
兄は、この令嬢の何をそんなに気に入っているのだろう。
礼儀はわきまえている。言葉遣いも丁寧だ。こちらの指摘を頭ごなしに否定することもない。
それなのに、どこか手応えがない。
怒鳴っても、責めても、謝罪されても、フローラの態度は変わらなかった。
「そもそも、おまえは兄上の何なんだ!?」
「殿下のお茶にご相伴させていただいております」
フローラは、問いに対して淡々と答えた。
「お茶……?」
「はい」
その答えに、フェルディナンはなんともいえない表情になった。
「そんなこと知ってる!! それで、兄上に気に入られているからって、特別な立場にでもなったつもりか?」
「そのようなつもりはございません」
「嘘をつけ! 兄上がどれだけおまえを気にかけていると思っているんだ!」
「殿下がお優しいので、お誘いくださっているだけです」
あまりにもあっさりとした返答だった。
フェルディナンが自分を気にかけている。その事実を否定するでもなく、特別なことだと喜ぶでもない。
本当に、ただのお茶を飲む間柄だと考えているらしい。
フェルディナンは、困ったように眉を下げた。
フローラにとっては、そういうことなのだろう。自分が彼女を気にかけているのは事実だが、彼女に何かを求めているわけではない。
けれど、アルフレッドは納得できなかった。
「兄上は、おまえを特別に気にかけてくださっているんだぞ! それなのに、何とも思わないのか!?」
「殿下には、日頃からよくしていただいております」
「そういうことを聞いているんじゃない!!」
アルフレッドは声を荒らげた。
感謝しているなら、もっと嬉しそうにすればいい。兄が自分を気にかけていることを、もっとありがたく思えばいい。
少なくとも、アルフレッドにはそう思えた。
しかし、フローラは静かにアルフレッドを見つめているだけだった。
「……兄上がこれほど気にかけているというのに、おまえは……!」
言葉に詰まったアルフレッドの視線が、フローラの顔から身なりへと下りていく。
そして、口をついて出たのは、彼女の立場を貶める言葉だった。
「所詮は魔力だけが取り柄の養女のくせに!」
肩で息をするアルフレッドの隣で、フェルディナンの表情が凍りついた。
「……アルフレッド」
いつもの穏やかな声音だった。
けれど、そこにあったのは、先ほどまでの柔らかな温かさではない。静謐な響きに、アルフレッドの身体が強張った。
自らの過ちに気づいたときには、もう遅かった。
「今の発言は、取り消しなさい。王族として、あるまじきことです」
「……っ」
全ては兄のためだったはずなのに。
青金石の瞳は、笑っていなかった。
アルフレッドの視線が泳ぐ。
「たしかに彼女は養女ですが、出自を理由に貶めるなど、あってはならないことです」
ヴィスコンティ侯爵が、子を亡くして久しい長男夫妻に養女として迎えさせた少女。それがフローラだった。
この国の貴族ならば、誰もが知っていることである。
「彼女は子爵家の人間として、教養も作法も身につけています。ダンスも刺繍も抜きん出ていますし、教会や子どもたちのために労を惜しむこともありません」
養子や養女の中には、出自を笠に着て努力を怠る者もいると聞く。
けれど、フローラは違った。
侯爵の指示のもと、短期間で淑女教育を仕上げたのだろう。社交界に出られる年齢になると、早々にデビュタントを迎えている。
その努力は、並大抵のものではなかったはずだ。
「アル、あなたの発言は、彼女自身を踏みにじるものです。謝罪しなさい」
人の上に立つ者としての威厳。揺るぎない声音。真摯な眼差し。
そこにいたのは、もう、のんびりとした兄ではなかった。
もう一人の兄と同じように、王族として凛と佇む次兄。
アルフレッドが、まだ持ち得ていないものだった。
自分は兄たちとは違うのだと、突きつけられたような気がした。アルフレッドは目を伏せる。
「殿下方が気にされるようなことではございません。事実ですから」
フローラは、何でもないことのように首を振った。
「あなたの寛容さに感謝いたします。弟の無礼をお許しください」
フェルディナンは深く頭を下げた。
その姿に、アルフレッドは唇を噛む。
「……言い過ぎたのは認める」
アルフレッドの言葉に、フェルディナンが顔を上げた。
まだ、フローラへの不満が消えたわけではない。
けれど、兄が頭を下げるところなど見たくはなかった。
フローラを睨みつけ、アルフレッドは吐き捨てるように口を開いた。
「悪かった」
「お気になさらず」
責められても、侮辱されても、謝罪されても、フローラは眉ひとつ動かさない。
立場を理解しているからなのか。端から相手にしていないのか。それとも、そもそも何も気にしていないのか。
アルフレッドには分からなかった。
こんな無愛想な女のどこがいいのやら。
調子が狂いそうだった。
まだ何か言いたげな弟に、フェルディナンは微笑みかけた。
「アルが私を想って行動してくれたことは、理解しています。――フローラ嬢が私をどう想っているのかも」
フローラは変わらない。
それが嬉しくもあり、寂しくもあった。
「フローラ嬢に非はありません。アルなら、本当は分かっていますよね?」
「……はい、兄上」
いつもの優しい兄だった。
アルフレッドは、小さく頷いた。
静かになったアルフレッドを見て、フローラは尋ねた。
「お話は終わりということで、よろしいでしょうか?」
「兄上に免じて終わりにしてやる」
反省しているはずなのに、フローラには相変わらず尊大な態度を崩さない。フェルディナンは苦笑した。
「お手すきであれば、お手伝いいただけないでしょうか?」
「僕に手を貸せと言うのか!?」
再び噛みつくアルフレッドに、フェルディナンは思わず笑みをこぼした。
「玩具の修繕のお手伝いですね。フローラ嬢ほど慣れてはおりませんが、喜んでお手伝いいたしますよ」
「兄上……!!」
嬉しそうに答えるフェルディナンに、アルフレッドは困惑した。
そんな二人を気にする様子もなく、フローラは目の前に、欠けた積み木やままごとの道具、それにやすりを並べた。
「子どもたちが怪我をしないよう、やすりで磨いてください。積み木は斜めになると積めませんので、水平になるようお願いします」
「わかりました」
フェルディナンは喜々として積み木とやすりを手に取った。
その様子を見たアルフレッドは、気に入らないとばかりにフローラを睨みつける。
「アルフレッド殿下であれば、この程度は容易いと思ったのですが……」
「このくらい、僕にできないはずがないだろ!!」
「ご助力、感謝いたします」
どうやらフローラは、アルフレッドの扱いを習得しつつあるらしい。
二人のやり取りを見て、フェルディナンは必死に笑いを堪えた。
「今日はレモンの砂糖漬けのマフィンがありますからね。早く終わらせて、皆で食べましょうね」
「僕はこいつとお茶は飲まないぞ!」
吠えるアルフレッドに、フェルディナンは穏やかに答えた。
「では、アルフレッドは先に戻っていてもいいですよ」
「……っ。あ、兄上と僕のお茶に、こいつは同席させてやるだけだ! 兄上とお茶を飲むのは僕だからね!!」
「そういうことにしておきましょう」
鼻を鳴らしたアルフレッドは、手近な椅子にどっかりと腰を下ろした。
片手で掴めるだけ積み木を取ると、目の前に広げる。
しぶしぶやすりをかけ始めたアルフレッドに、フェルディナンは目を細めた。
反対側に回ったフローラは、緩んだ引き車の車輪を確かめ始める。
やがて、再び子どもたちが集まり始めた。
アルフレッドの険しい雰囲気に警戒していた子どもたちも、フローラにやすりがけの不備を指摘されるたび、むきになって反論するアルフレッドを見て、次第に面白がるようになった。




