第15話 アーデルハイム公爵
お話ごとの登場人物
第一王子派
・セヴェリウス ヴィスコンティ侯爵。フローラの祖父。
・シモンズ伯爵 (死亡) ・フェルネル伯爵 (死亡)
第三王子派
・アーデルハイム公爵
・ローデン侯爵 (死亡) ・アルケイア侯爵 (死亡) ・側近アーロン (死亡)
・オルデンベルク侯爵
すっかり日が暮れたアーデルハイム公爵邸では、ソファに腰掛けた邸の主が苦悶の表情を浮かべていた。
アルフレッドの側近の一人、アーロンが昨日、何者かによって殺された。
平民出身の彼の実家には、貴族の邸宅のような厳重な防御魔法も警備もない。とはいえ、王子の側近を務める身だ。個人的な対策は講じていたはずだった。
それにもかかわらず、早朝、彼だけが命を落としているのが発見された。
家族は無事だった。
部屋が荒らされた形跡もない。
死因は攻撃魔法によるものと見られていたが、残された魔力を辿って犯人を追うことは難航していた。
暗殺。
脳裏に浮かんだその言葉を、公爵は認めたくなかった。
ただの推測にすぎない。まだ事実と決まったわけではない。
そう信じたかった。
アーデルハイム公爵は深いため息を吐いた。
演習中の事故でローデン侯爵が亡くなり、魔力暴走によってアルケイア侯爵が命を落とした。
二人の死だけなら、偶然や不運で片づけられる可能性も、まだ残されていた。
だが、アルケイア侯爵の死から半月も経たないうちに、今度はアーロンが殺された。
もはや、偶然で済ませることはできない。
誰かが明確な意図を持って、アルフレッドの周囲の人間を狙っている。
そう考えざるを得なかった。
アルフレッドの立場が強くなることを警戒する者。
反対に、その影響力が弱まることで、自らの立場を確かなものにできる者。
この一連の死によって利益を得るのは、誰なのか。
答えは一つしかない。
けれど、あの兄弟がそのようなことを望むはずがなかった。
異母兄弟とはいえ、エドワードがアルフレッドを傷つけるような指示を出すとは、どうしても考えられなかった。
公爵は、アルフレッドが生まれる前からエドワードを知っている。
彼の母が亡くなったときも。
公爵の妹が後妻として王妃になったときも。
アルフレッドが生まれたときも。
そして、エドワードが目にかけていた公爵の娘が亡くなったときも。
彼は、幼い頃に大切な者を失う悲しみを知ってしまった。
その痛みを知る彼が、弟にまで同じ思いをさせるはずがない。
公爵はそう信じていた。
だが、実際にアルフレッドの周囲で人が死んでいる。
ならば、考えられるのは一つ。
エドワード本人ではなく、彼の王太子としての地位を確固たるものにしようとする、その周囲の人間。
そして、その中心にいる男。
「ヴィスコンティ侯爵……」
その舌を巻くほどの手腕も野心も、昔からよく知っている。
目的のためならば、手段を選ばない。他人の感情などお構いなし。彼の行動原理にあるのは、ただ打算だけだ。
彼に苦杯をなめさせられた貴族は後を絶たない。
そして、自分もその一人だった。
公爵の脳裏に浮かんだのは、一人の少女だった。
ヴィスコンティ侯爵が、長男夫妻に養女を迎えさせたことは知っていた。
あの侯爵が、わざわざ孤児を家に招き入れるなど、何か理由があるに違いない。
そう考えていた公爵は、実際にその少女を目にしたとき、思いもよらぬ事実に衝撃を受けた。
灰青色の瞳に、深い栗色の髪。美人とまではいかないが、整った顔立ちをしている。
何より、その面立ちが亡き娘にそっくりだった。
世界には、顔のよく似た人間がいる。
そんな話は、ただの迷信だと思っていた。
けれど、目の前にいたのは、娘と見まごうほどの少女だった。
乏しい表情。すべてを観察するような視線。落ち着いた声音。
似ているのは、あくまで面立ちだけだった。
別人なのだ。
それなのに、なぜ彼女を養女に迎えたのか。
その答えを、公爵はよく知っていた。
娘のルシエラは、エドワードと仲が良かった。エドワードもまた、彼女を気にかけていた。
ルシエラによく似た少女を身近に置けば、エドワードの心を動かせるとでも考えたのだろう。
死者の面影まで利用するとは。
虫唾が走った。
だが、エドワードもまた、フローラを見るのはつらいのだろう。
彼がフローラに近づくことはなかった。
それだけが、せめてもの救いだった。
しかし、養女がエドワードの関心を引けなかったところで、ヴィスコンティ侯爵の立場が揺らぐわけではない。
あの男は、フローラの存在などなくとも、自らの実力でエドワードの側に立っている。
養女が王子の眼中にないと分かれば、今度は有益な婚約者探しに乗り出した。
どこまでも抜け目がない。
これ以上、ヴィスコンティ侯爵を野放しにするわけにはいかなかった。
そもそも、エドワードはなぜ、あれほどの男を側に置いているのだろう。
自らの側に置くことで、監視も兼ねているのだろうか。
エドワードが、あの男に好き勝手を許すとは思えない。ましてや、侯爵に利用されるのを良しとするような人間でもないはずだ。
公爵は眉間にしわを寄せた。
ヴィスコンティ侯爵への怒りは、容易に収まりそうになかった。
亡き娘の面影を政治の道具にされたこと。
そして、王位継承権を持つ甥が、何者かの手によって危険にさらされていること。
二つの問題は、もはや公爵の中で切り離せなかった。
エドワードを敵に回すわけにはいかない。
彼は、亡き娘が親しくしていた相手でもある。幼い頃から知る彼を、今さら疑いたくはなかった。
だが、アルフレッドを守らなければならない。
エドワードを疑わずに、アルフレッドを守ることはできるのか。
それとも、アルフレッドを守るためには、エドワードの側にいる者たちと対立する覚悟が必要なのか。
どちらを選ぶにせよ、軽々しく動くことはできなかった。
公爵は黙り込んだ。
窓の外はすでに暗く、部屋には静寂が満ちていた。
考えれば考えるほど、答えは遠のいていく。
そのとき、扉を叩く音が響いた。
「失礼いたします」
静かに扉が開かれ、一人の男がワゴンを押しながら入室してきた。
「執事殿が、閣下のことを心配されておられました。僭越ながら、そろそろお休みになられてはいかがでしょうか」
「君か……」
現れたのは、公爵邸に滞在している客人だった。
どうやら、気を遣わせてしまったらしい。
男はワゴンを押して公爵の傍らまで歩み寄る。載せられていたのは、ティーコゼーを被せたティーポットと、二人分のカップとソーサー、それにミルククリーマーだった。
「カモミールティーをご用意いただきました。よろしければ、一杯いかがでしょうか」
「そうだな……」
せっかく用意してくれたのだ。一杯くらい、息抜きをしてもよいのかもしれない。
公爵が頷くと、男はティーセットを手際よく卓上に並べ始めた。
公爵に一杯、自分にも一杯。
その手つきは執事顔負けで、慣れた様子で淹れられた茶からは、カモミールの穏やかな香りが立ち上った。
温かな湯気を眺めているうちに、張り詰めていた心が少しずつ解れていくようだった。
「どうぞ」
「すまない」
「お気になさらず」
男は公爵の向かいに腰を下ろし、ゆっくりとカップに口をつけた。
くつろいだ様子の男を眺め、公爵はため息を吐いた。
「他国の君に話すようなことではないのだが……」
彼は、この国の政治とは無縁の人間だ。
だからこそ、自分が胸の内を吐露したところで、何かが変わるわけでもない。
少し考えた末、公爵は口を開いた。
「知り合いに、母親の違う兄弟がいてな。母親が違うだけで、他の兄弟と何一つ変わらない」
アルフレッドは母親が違うことを気にしているようだが、エドワードもフェルディナンも、そんなことは気にしていない。
「兄が父親を継ぐことは決まっている。弟も納得している。その決定が覆されることはない」
エドワードが王太子の座を失うことはない。
とりわけ魔力が高く、エドワードとはまた異なる人望と人徳を備えたフェルディナンは、自ら継承権を放棄している。
エドワードに万が一のことがあった場合に備え、アルフレッドは継承権を放棄できない立場にある。
だが、アルフレッド自身が王位を望むことはない。
「それなのに、弟の周囲の人間が立て続けに消えている……」
男は静かに耳を傾けていた。
「兄がそんなことをするわけがない。けれど、兄の周りの人間までそうとは限らない」
手をこまねいていては、守りたい者を守れない。手遅れになってからでは遅いのだ。
「私は弟を守らなければならない。けれど、兄と対立するつもりはない……」
言葉を切った公爵を前に、男は寂しげな表情を浮かべた。
「それは、お辛いですね」
「まったくだ……」
眉を寄せて思案する公爵を、男は静かに見つめていた。
やがて、カップを口元から離し、男が尋ねた。
「閣下のお言葉をそのままお借りいたしますが、兄君と対立する必要は本当にあるのでしょうか」
公爵が顔を上げた。
「閣下はあくまで、弟君をお守りしたいだけなのでしょう。浅慮な私の考えではございますが、守るために争う必要はないのではございませんか」
「ふむ……」
「弟君が対立を望まず、閣下もまた同じお考えであれば、そのようになさればよろしいのではないでしょうか」
男は心配そうに公爵を見つめていた。
自分も、彼と同じような表情をしているのだろうか。
男はただ、自分の考えを言葉にして返しているにすぎない。
弟を守るために、兄に手を出す必要はない。
最初から、答えは自分の胸の内にあったのだ。
自分は彼らとは違う。
守るだけだ。彼らのような手段は取らない。
公爵はカップに残っていた茶を飲み干した。
カップをソーサーに戻すと、男が尋ねた。
「少しは、お休みになれそうですか」
「ああ。……やはり、誰かに話すと気持ちが晴れるな」
立ち上がった公爵に、男は頷いた。
「昔から、閣下は答えをお持ちでいらっしゃいますから」
「親父殿から聞いたのか?」
「さあ、どうでしょう?」
悪戯めいた笑みを浮かべる男に、公爵は小さく笑った。
「今度は一緒に来るといい」
「次に会ったときには、伝えておきます」
男に背を向け、公爵は部屋を後にした。




