第9話 舞踏会 前編
お話ごとの登場人物
・フローラ ヴィスコンティ子爵令嬢。
・セヴェリウス ヴィスコンティ侯爵。フローラの祖父。
・マグヌス ヴィスコンティ子爵。フローラの父。
・アデライド ヴィスコンティ子爵夫人。フローラの母。
王宮では、建国記念を祝う舞踏会が開かれていた。
幾重にも重なるシャンデリアには光魔法の灯火が淡く輝き、磨き上げられた床には、その光が鏡のように反射している。
高い天井には、歴代国王と教会によるこの国の歩みを描いた壮麗な天井画が広がり、白と金の六角柱の間には、色とりどりの花々が飾られていた。
ホールの中央では、楽団が奏でる優雅な旋律に合わせ、男女が踊っている。
色鮮やかな礼服を纏った貴族たちは談笑し、その中には、祝賀のために訪れた各国の特使たちの姿もあった。
昨年と変わらない、恒例の祝宴。
けれど、この場にいる者たちの目に映る景色は、誰もが同じではなかった。
第一王子と第三王子、それぞれを支えようとする貴族たちの間で、立て続けに起きた死。
それは偶然なのか。
それとも、誰かの意図によるものなのか。
どちらにも与しない者でさえ、華やかな祝宴を心から楽しめずにいた。
疑心を隠した笑み。
探るような視線。
誰もが何事もないように振る舞いながら、その実、周囲の動きを気にしている。
そんな空気の中で、セヴェリウスはいつもと変わらぬ顔をしていた。
彼の隣にはフローラがいる。
その少し後ろには、マグヌスと妻アデライも控えていた。
今夜、彼らがここへ来た目的は、祝賀だけではない。
フローラの婚約者候補を探すためだった。
セヴェリウスは、ある家族の前で足を止める。
「ご覧の通り、表情の固い孫ですが、口も固いですし、魔力は飛び抜けております」
まるで商品の長所を並べるような言葉に、フローラは何も言わず一礼した。
深い薔薇色のドレスの裾が、優雅な動きに合わせて静かに揺れる。
顔を上げる。
向けられたのは、婚約者候補の両親による値踏みするような視線だった。
それでも、フローラの表情は変わらない。
「お噂はかねがね伺っております。慈善活動にも熱心だとか」
「ええ。時間があると、よく訪問しております」
「ご自宅では、どのようにお過ごしで?」
「読書が多いですね」
質問には、主にセヴェリウスが答えていく。
「最近はどのような本を?」
そこで初めて、セヴェリウスがフローラへ視線を向けた。
フローラは一瞬だけ考える。
「最近は、旅人の冒険録を読みました」
「まあ。どちらの地方を旅した記録ですの?」
興味を示した夫人が尋ねる。
「東方の山岳地帯です。食料の調達方法や、野営の仕方なども詳しく書かれていて、とても参考になりました」
「……実用的なのですね」
夫人が目を瞬かせる。
フローラは小さく頷いた。
「旅先では、何が起こるか分かりませんから。知っていて損はないと思います」
「ご覧の通り、何をさせても無駄のない孫です」
セヴェリウスが満足そうに続ける。
「そのようですね」
夫人は微笑みながら答えた。
その一方で、婚約者候補の男は何も口にしなかった。
ただ、フローラの顔から、露わになった首筋、肩や鎖骨へと、さりげなく視線を滑らせている。
その様子に気づいたマグヌスとアデライドは、互いに視線を交わした。
ほんの一瞬、二人とも小さく肩をすくめる。
けれど、何も言わない。
セヴェリウスはそんなことには構わず、次の言葉を続けていた。
「魔力量については、すでにお聞き及びでしょうか。闇属性ですが、量だけなら一級です。迎え入れるには、十分かと――」
「そのようですね」
フローラを静かに見つめていた当主が頷く。
「検討させていただきましょう」
「ぜひ」
セヴェリウスと当主が握手を交わす。
その様子を、硝子玉のような灰青色の瞳でフローラが静かに眺めていた。
やがて相手方の家族がその場を離れると、セヴェリウスは次の候補へ目を向ける。
フローラも何も言わず、その後に続いた。
華やかな音楽が流れ続ける中、幾組もの貴族たちが行き交っていく。
その中を、フローラはただ静かに歩いていた。
セヴェリウスから解放されたフローラは、両親と別れると、さっそく軽食に手をつけた。
ローストビーフに、チキンのミートパイ。豚のゼリー寄せ。
続いて、メロンのゼリー、クリームをたっぷり使ったミニケーキ、一口サイズのアプリコットのタルト。ルバーブと苺のコンポートに、給仕に切り分けてもらった桃。
野菜には目もくれず、いくつかの料理を口に運んで空腹を満たす。
ひと通り食べ終えると、透明度の高い薄紅色の液体が注がれたグラスを手に取った。
人気のない、六角形に張り出した柱の陰へ迷わず歩いていく。
壁際に背中を預け、姿勢を崩さないままグラスに口をつける。
甘い。
それでいて、アルコールの強さもしっかりと感じられた。
口の中に残る余韻を味わいながら、フローラは大広間を眺めた。
煌めくシャンデリア。
美しく保たれた天井画と柱。
食べきれないほど並べられた軽食。
美しいドレスや礼服。そこかしこで光を返す宝飾品。
贅の限りを尽くした空間で、当たり前のように穏やかな談笑を交わす人々。
社交界に出るようになってから、幾度となく見てきた光景だった。
教会の孤児たちが、目を輝かせながら尋ねてくる世界。
自分も、その一員であるはずなのに。
それでも、どこか別の世界のように見える。
茶会も夜会も、同じだった。
家のために社交をする。
それが貴族令嬢としての役目であり、自分もその役目を果たしている。
けれど、どうしても積極的にはなれなかった。
遠くでは、第一王子と第三王子が、それぞれ特使や貴族たちと歓談している。
昼間の式典で活躍した第二王子は、国王と王妃とともに王族の席についたままだ。
三人とも基本となる王子装束は同じだが、それぞれに色味や装飾が異なっている。
フローラは三人の姿を一通り目に留めると、再びグラスへ口をつけた。
甘いのに、軽い飲み心地だった。
そのため、ついもう一口と煽ってしまう。
その時、フローラの視線に、一人の男が映り込んだ。
首元まで伸ばされた、少し癖のある黒髪。
前髪がわずかに目にかかり、その下には琥珀色の瞳が覗いている。
整った顔立ちに浮かぶのは、柔和な笑み。
アーデルハイム公爵や周囲の貴族たちと穏やかに言葉を交わす姿は、誰が見ても感じの良い美丈夫だった。
「……っ!」
フローラの瞳が大きく見開かれる。
グラスを握る手に、力がこもった。
男から視線を外し、その場を離れようとした。
けれど、その瞬間。
琥珀色の瞳と目が合った。
男の目が、くすりと笑う。
アーデルハイム公爵との言葉を終えると、男はゆったりとした足取りでフローラのもとへ向かってきた。
そして、大広間の視界を遮るように、すぐ目の前で立ち止まる。
「やあ。君が見つけてくれるとは、思わなかったよ」
甘く、低い声が響く。
「どうしてここに?」
「どうして、と言われてもねぇ」
男は勿体ぶるように言葉を切った。
フローラの灰青色の瞳から、すっと光が消える。
「そんなに怖い顔をしないでおくれ。僕にも身分があるんだ。君なら分かってくれるだろう?」
「理解したとしても、認めない」
「そう言うと思ったよ」
男はどこか役者めいた笑みを浮かべた。
「今日は一段と綺麗だね。お祖父様のご趣味かな?」
「だから?」
日頃、フローラが好むのは青や緑といった落ち着いた色のドレスだ。
けれど今日は、婚約者候補を探すための夜会でもある。
候補の男性やその家族に、女性らしく貞淑な印象を与えるものを選べと、セヴェリウスから言われていた。
胸元はしっかりと覆われているものの、首から肩にかけては露出した、夜会ではよくある型のドレス。
色は、深い薔薇色だった。
「君には、赤がよく似合うと思っただけさ」
「……」
フローラは、今すぐグラスの中身を目の前の男へ浴びせてやりたい衝動を、辛うじて抑えた。
「祝いの宴で一人ぼっちだなんて、可哀想に」
慰めるような口調に、フローラは眉をひそめる。
「おまえには関係ない。一人が嫌なら、公爵のところへ戻れば?」
「君を一人にしてはおけないよ。やっぱり君は、こんな場所じゃなくて、僕と一緒にいるべきなんだ」
「嫌」
即答だった。
それでも男は、変わらぬ笑みを浮かべている。
「一曲だけ、どう?」
「断る」
「残念だ」
男はわざとらしく肩をすくめた。
辟易したフローラは、忌々しそうにその名を呼ぶ。
「ゼノン」
「なんだい?」
「用件は?」
「ないよ」
あまりにもあっさりと返され、フローラの表情が曇った。
「……私に話しかける意味ある?」
「もちろん。この前、君と過ごした日のことが忘れられなかったんだ」
ゼノンが、フローラの空いている左手を取る。
その手の甲へ、軽く唇を落とした。
グラスで殴りつけたい衝動を堪え、フローラは握られた左手を振り払う。
そして代わりに、右手に持っていたグラスをゼノンへ押しつけた。
「片付けておいて」
それだけ言うと、目の前のゼノンを避け、そのまま歩き去っていく。
あまりにも鮮やかな手つきに、ゼノンは目を細めた。
手の中に残されたグラスを眺め、僅かに残った中身を煽る。
途端に、顔をしかめた。
甘い。
よくもまあ、こんなものを好んで飲むものだ。
「そういうところだよ、フローラ」
琥珀色の瞳が、楽しそうに煌めいた。




