第3話 魔法なき世界、そして素顔の真実
ハルが住むアパートの部屋は、俺がいた城の回廊とは比較にならないほど狭く、それでいて不思議と温かみに満ちていた。壁には異世界の文化を記録したという漫画やポスターが所狭しと貼られている。
「ほら、そこ座って。重装備、やっと脱げるね」
ハルに促され、俺は勇者としての象徴であるフルプレートアーマーの留め金を外していく。ガチャリ、ガチャリと、金属音がフローリングに響く。何層にも重なった鉄の板を剥がすと、ようやく俺の身体が解放された。
鎧の下に纏っていた薄いシャツを脱ぎ、ふう、と息を吐く。
「……あ」
背後でハルの声が止まった。
振り返ると、彼女は呆然と俺を見つめている。手に持っていたペットボトルが、カランと床に転がった。
「ど、どうした? 何か異物でも付いていたか?」
俺が訝しげに尋ねると、ハルは顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がった。
「いや! 異物とかじゃなくて……! あんた、そんな顔してたの!?」
「顔? 私の顔だが」
「漫画とかアニメにはイケメンなんていくらでも出てくるけどさ……リアルでそのレベル!? 勇者って外見までステータス補正かかるわけ!?」
ハルは俺の顔をまじまじと見つめ、信じられないものを見るような目で溜息をついた。かつての戦友たちにも言われたことはあるが、この世界の人間がこれほどまでに外見に動揺するとは。
「……よく分からん。戦場では皆、私の背中を見ていたからな」
「もったいな! ていうかさ、その名前。佐藤勇者句……だっけ? 何回聞いても変な名前! 転生する前はなんていう名前だったの?」
質問を投げかけられ、俺は背筋を正した。そうだ、かつての誇り高き名前を教えるべきだろう。
「うむ。私の名は……ラグナ=フェルディア=クロムヴァルド=シルヴェイン=アルティナス。代々アルティナス家に伝わる……」
「わっ、わかった!!」
ハルが俺の言葉を勢いよく遮った。
「長い!! ……ごめん、今のでもうお腹いっぱい。佐藤勇者句でいいや。うん、勇者句で決定!」
「……そうか。ならば勇者句で構わん」
俺は苦笑した。かつては威厳を示すために重宝されたその名前が、ここでは「耳障りな雑音」として排除される。だが、不思議と嫌な気はしなかった。
ただ、ふと視線を部屋の隅にやったとき、俺の顔から笑みが消えた。
積み重なったゴミ袋、読み終えた漫画の山、そして空気中に漂う埃っぽい匂い。かつて自分が統治していた城の、磨き上げられた大理石の床とは対極にある光景だった。
「ハル……この部屋は……狭いし、酷く汚れているな」
俺が率直に告げると、ハルは「うっ……それは言わない約束でしょ!」と顔を真っ赤にして慌て始めた。
かつての勇者は、剣を失い、名前を奪われ、そしてこの狭く汚れた「迷宮」の一室で、日常という名の新たな試練に直面していた。鎧を脱ぎ捨てた素顔はイケメンであったかもしれないが、当の本人は今、埃とゴミの海をどう攻略すべきか、真剣に頭を悩ませているのだった。




