3 警備員の夜勤における怪異
なあ、お姉さん。
席について、早々で悪いんだけど。
ちょっと聞いてくれ。
俺さ、警備員やってるんだけどさ。すごく不思議というか
――怖いことがあったんだ。
夜勤明け? そうそう。だから、こうして朝キャバに来れるんだけどね。それでさ、昨日夜勤だったんだけどね。今日の朝、7時まで仕事してさ。こんなこと家族にも言えないし、こういった一期一会のところでしか話せないからさ。怖がらせるつもりは無いんだけど…ちょっとだけでも聞いてよ。
あ、飲み物? あーどうしようかな。じゃあ、ハイボールで。あ、お手拭きありがとう。
ふー…あ、それで? ああ。そうだね。今日っていうか昨日かな? 疲れたよ。本当に。いつもはさ、もっと体力残る感じなんだけど、昨日の夜…深夜2時ごろあったことがさ、余計に疲労を加速させた感じがするよ。でも、こういった仕事も大変だよな。朝からやってまた夜もやるの?へー正午までなんだ。
それで昨日の夜…深夜の2時ごろだったかな?日付的には、今日になるんだけど。その日、いつも通りの業務で終わるって思っていたし考えていたのね。俺は、設備の警備員をしててさ。まあ、施設っていってもオフィスビルなんだけど。夜間に業者さんが入って、点検や工事をするときの受付とか、清掃業者の人の受付とかするんだけど、それも……終わった時だったかな?そのあと、巡回したのね。施錠確認とかさ、異変がないか、とかを見に回ったの。え? 結構まじめ? そうかな。ありがとうね、お姉さん。そう言ってくれるのお姉さんだけだよー。まあ、お客さんのビルだし仕事だしね。んで、巡回の時間になったから行ったのよ。あ、その時は一人で行ったんだけど。俺の職場って小規模のオフィスビルだから、一人で十分なんだよね。まあ、ちょっと寂しいし、怖い感じはあるけど。それで、俺は上から順番に巡回してたんだけど。確か、あれは、もう少しで巡回が終わるって時だったかな。
フローリングの床を、誰かが歩いている音がしたんだ。
最初は誰かが残業しているのかな? もしかしたら、オフィスで寝ちゃってて、今から帰りなのかな? とか思ったんだ。夜遅くまで残業する場合、こっちに連絡くるんだけどね、普通。でも、たまに連絡が来ないことはあるし。まあ、一番良いのは連絡あったほうが良いんだけどさ。人のやることだしね。そういう事もあるし、実際に前、あったからさ。
だから、今回もそれかなーって思ったんだ。手に持っていた懐中電灯を足音がした方向に、向けたんだ。こう…足元を照らすような感じで。それで、「お疲れ様です。残業ですか? ご連絡、忘れちゃいました?」って感じで、ちょっと親しみやすい感じで話しかけたんだ。
でも…そこには誰もいなかったんだ。
あれ? って最初は思ってさ。こっちじゃなかったか? って考えたんだ。間違った方向に、声かけちゃったかなって。周囲を見回してさ、右、左を見てさ、それでも誰もいなかった。あれー? って思うだろ? 俺、疲れてるのかな? 幻聴を聞いたのかなって思ってさ。もしかしたら外の音を間違って聞いてしまったかもしれないって考えてさ、巡回を再開しようと一歩、踏み出した瞬間。
俺の前の方から、また足音が聞こえたんだよね。
今度は俺の前を歩いて、遠ざかるような感じ。あの音の近さは、絶対に1m以内。こうして、お姉さんに話しかけているぐらいの距離だった。絶対そう。間違いないんだよ。慌てて、音のする方へ懐中電灯を照らしたんだけど…やっぱり、そこには誰もいなかった。足音だけが俺から遠ざかっていったのね。俺さ…急に怖くなっちゃって。何て言うのかな、背筋が凍るって言うのかな。そういうの初めて経験してさ。急いで、他のところも巡回してさ。…え、真面目? そうかーお姉さんだったら逃げるか。ま、そうだよな。でも、その時は巡回しないとっていう気持ちもあったんだよね。今思えば怖かったけど、少し気持ち的に余裕があったのかも。なんでかってというとさ、そういう"もの"に出会うかもしれないっていう覚悟はあったんだよね、実は。
この会社で俺さ、3社目なんだけど。入社したばかりの頃に、研修があったのね。警備員の研修。その時、座学で年配の人から教わったのね。その年配の人から、「警備員していたら、不思議なことが1つや2つぐらい起きることがあるかもしれないけども、冷静に対処してほしい」って教わったんだ。だから、なのかもしれないよね。巡回しようと思えたのは。
その後、急いで巡回してさ。いつもの監視モニターがある部屋に、戻ったんだけど。冷静にって言われても俺、初めてでさ。そんなこと経験するの。だから、監視画面を見ているんだけど、何も集中できなくて。手を合わせながら、早く終われ、早く終われって、何度も心の中で強く祈ってさ。もう、その時の手の平は汗びっしょり。気持ち悪いぐらい。今思えば、ずっと業務時間中は汗かいていた気がするけどね。もう、それが止まらないの。画面見ながらさ、手を合わせていたらさなんか、ボソボソって声がするの。え? 何? 交代の時間になったのかと思って時計を見たんだけど、まだ午前3時なの。そんな時間に次の人が来るわけないしさ。さっきの事もあったから、余計に怖くて。声? ああ、俺の後ろの方から。振り返ろうと一瞬したんだけど、出来なくて。もう、どうしたら良いのか分からなくて泣きそうだった。本当だって。でさ、少ししたら、ボソボソっとした声が聞こえなくなって、周りがすっごく静かになったのね。聞こえるのは外から空調が動いている音と、画面からかすかに聞こえる電子音だけ。それで俺、少しずつだけど気持ちが落ち着いてきたのね。きっと気のせいだった。仕事してて、俺は疲れてたんだって。もし、この業務が終わったらどこか有給取ろう、そうしようって考えていたのね。そしたら。
「憲兵、じゃないのか」
俺の耳元から急に、はっきりと低い男の声がしたんだ。
しかも…何か怒っているような、どこか落胆しているような、何ていったら良いのか分からないけど、すっごく暗くて冷たい声だったのは分かった。今、思ったんだけど憲兵って戦中の時だよね。ほら、歴史の教科書で習った。ま、いいや。んでさ、その時は椅子に座ってモニターを見ていて、椅子から立ち上がって遠ざかろうとしたんだけど。
――体が、動かないの。
1㎜も。指先も足も首もなにもかも。金縛りにあったみたい、いや、金縛りにあったんだろうなって思う。どうしよう、え、どうしたら良いんだろうって思ってさ。何したら良いのかも、分からなかった。ずっと、このままなのかと思ったよ。息するのもさ、辛くて、額から汗が垂れてくるわ。足が震えそうになるのに動かなくて変な感覚になるし。でも、分かっているとは思うけど、ずっとは続かなかった。こうして朝キャバに来れたっていうことはさ、何とか生還したんだけど。え?どうやって?
なんか急に金縛り、解けたんだよね。どうして? それは、俺にも分からない。でも、解けてさ。体が動くようになった瞬間、後ろを振り向くこともせずに目をつぶって手を合わせて念仏を唱えたよ。お経とか全然、分からないけどさ。もう必死に人生で一番心込めて唱えたと思う。ずっと、唱えていたらさ、誰かが急に肩を叩いてきたんだよ。俺、驚いちゃって、椅子から転げ落ちちゃって。恐る恐る後ろをみたら、そこには驚いた顔をした交代要員の人がいたの。
「え、どうしたんです?」
不思議そうな顔をされた。今、思えば恥ずかしかったなーって思うんだけど。その時はものすごく安堵してさ。やっと、普通の人に会えたことが嬉しくて。本当に泣きそうだったよ。急いで画面に映っている時刻を確認してみたら6時45分。もう少しで、俺の業務が終わる時間だったのね。その後は、通常の引継ぎをして、オフィスのタイルカーペットを急いで歩いて、出てきたって言う感じ。
そんなお話し。…なんか、ごめん。こんな話ししちゃって。夜にこんな話しはしたくないし、出来ないしさ。朝だったら出来そうだなって思ってさ。聞いてくれてありがとうね。
え? 何?
うん、うん。聞きたいこと?
良いよ、何? なんでも答えちゃうよ。
…え?俺、フローリングって言った?
確か、巡回した時に聞いた足音は…ちょっと待って。
え? お願い待って。
…その階の床、全部。
タイルカーペットだ。




