一番怖いこと
レーティアが突然やって来て友達になってから暫く。森には冬がやって来た。
家の中やその周りはアングレカムが魔法で温度調節してくれているらしく、冬仕様の服を着ていなくても温いがそこから出るとまあ寒い。
どんなものかと腕だけ魔法の範囲内から出してみたら、一瞬で全身の体温が奪われる程度には寒かった。
それでもあんまり雪は降らないんだけどね。積もったら雪だるまとかかまくら作りたいとか思ってたけど、これは無理そうだと早々に諦めたよ。
ちなみに冬になってから、毎度家の周りで喧しく鳴いていた怪鳥を見なくなった。
冬になると春になるまで別の場所に移動するそうな。魔物でも寒いのは嫌いらしい。食べ物も少なくなっちゃうからね。
さて、そんな魔物たちと違ってぬっくぬくのお家にいられる私は、現在台所でとある食材と格闘中だった。
「うあぁ、ヌメヌメするぅ」
ぬるぬるっとした体に八本の触手。
頭らしき部分は大きく膨らんでいて、色艶が良く、刺身にしても焼いてもなにしても美味しそうなそいつ。
そう。日本人にはお馴染みの美味しい海の幸、タコである。
刺身で食べるも良し、寿司のネタにするも良し、煮物にするのも良し。ちなみに私はたこ焼きが好き。大きいのが入った奴。
そんな美味しいタコをアングレカムが、今朝海に遊びに行った時に持って帰ってくれたのだ。
私が前に食べたいと言っていたのを覚えてくれていたのだ。
……タコの入ったバケツ渡してもらった時に『こいつ本当に食べるんか??』と、ちょっと引き気味の眼差しを向けられたけれど。
美味しいんだけどなタコ。動きがウニョウニョしてるのが気持ち悪いんかな。
そんなことを考えつつ、塩でモミモミとタコの体を揉んで汚れとかぬめりを落とす。
あんまりやり過ぎると塩辛くなるから、大体の汚れを落とした所で水で洗う。
洗い終わったタコをまな板の上に乗せて、味見にと足を一本切り落として一口サイズに切り、一切れをパクリ。
「美味しいぃ……」
コリコリとした歯応えと、ほんのりと感じる塩味。
僅かに磯の香りを感じるのは、とれたて新鮮だからだろうか。
お昼ご飯を食べたばかりだというのに、もう一口、もう一口と食べていたら、あっという間に足一本分はなくなってしまった。
「これもう下手に調理せず刺身でいいな」
うんうんと一人頷く。
付けるのも醤油じゃなくて、塩とレモンの方がいいだろう。
ただ問題があるとしたら、アングレカムと一緒に食べるとなるとちょっとこのタコは小さい。
いや、記憶にあるマダコよりも数倍大きいけれど一匹分しか無いから、たぶんアングレカム的には足りない。
見た目に対して忌避感あるみたいだったけど、一度食べたらバクバク食べるだろうし……。
「って、今日もなんか出かけるらしいから別にそんな気にしなくていいか……」
タコを届けてくれた後、そそくさとまたどこかへと飛んで行ってしまった彼の姿を思い出し、はあと溜息を吐いた。
アングレカムはあんなにも長時間出かけるのを避けていたのに、レーティアが遊びに来たその次の日から今度は逆にあんまり帰ってこなくなった。
原因は分からない。今までずっと長時間出かけることをやめていたから、その反動で色々な所を飛び回っているのか。
……それとも、私が嫌われるようなことをしてしまったのか。
「あー、もー、やめやめ! せっかくの美味しいタコが不味くなる!」
軽く頭を振って、無理矢理悪い想像を振り払う。
さっさと残っているタコの身を切ってしまおう。
止まっていた手を動かして、タコを切る。
今日の夜食べる分と明日食べる分とで二つの皿に分けて載せて、冷蔵庫に入れた。
冷蔵庫も台所にあると便利だから作ってもらったんだよね。
地下にある保存庫に置いておいてもいいんだけど、あそこはリビング通って地下室に繋がるドアのとこまで行かなきゃいけないから、それで冷蔵庫を設置してもらった。
最初は小さい物を作ってもらおうと思ってたんだけど、話しているうちに盛り上がって、最終的に私の背丈と変わらない大きさの冷蔵庫ができあがった。
たくさん入れられるし、冷凍もできるから便利なんだけどね。
本当にアングレカム様様である。
タコを冷蔵庫に入れたついでに、アイスティーを入れているピッチャーを取り出す。
食器棚からコップを取って、そこにアイスティーを入れた。
ピッチャーは冷蔵庫に戻して、コップの中身をこぼさないように歩いて、リビングのソファに座る。
よく冷えたアイスティーを飲んでのんびりしていたが、ソファの前に置いているテーブルの上に載せられた薄青色の水晶玉を見る。
これは前にアングレカムが持って帰ってきたものだ。前に飾ってあった真珠は私の部屋の方に移動させて、代わりにこっちをテーブルの上に置いている。
そうしてぼんやり水晶玉を見つめていたら、これを持って帰ってきたアングレカムの顔が浮かんで。
「……今日も、遅くまで帰ってこないのかな」
ポツリと、何気なしに呟いた言葉が寒々しく響いた。
アングレカムが家をよく開けるようになってから、当たり前だけれど彼との会話が減った。
そして一緒にご飯を食べる回数も減ってしまって、ここ最近では全く一緒に食事をしていない。
おやつにと作ったお菓子だって、ほとんどが保存庫に眠ったまま。
顔を合わせても必要最低限の会話だけ。
すぐに話を打ち切ると、どこかへと飛び去ってしまう。
こうまでされて、分からないほどに鈍くはない。
――避けられているのだ。アングレカムに。
その理由は、分からないけれど。
嫌われたのかもしれない。
そう考えるだけで、心臓を針で刺されたみたいな痛みが走る。
それと同時に、足元から崩れていくような強い恐怖を覚えた。
彼に見捨てられてしまったら、まともな自衛手段が無い私はこの森で生きていけない。もしもそうなった場合、呆気なく野垂れ死ぬだろう。
でも、ぶっちゃけ死ぬのはあんまり怖くない。いや前はものすっごく怖かったけど、今はもっと怖いことがある。
彼に嫌われてしまうこと。侮蔑の眼差しを向けられ、捨てられてしまうこと。
それがなによりも怖い。怖くて堪らない。
前は別にそうじゃなかった。
まともな自衛手段を持ってなくて、魔法もろくに使えない私は、アングレカムにとってお荷物でしかない。
寄生虫みたいなもんだ。
だから、捨てられてもしょうがないって諦めてた。
こんなお荷物をずっと抱えてるのは、誰だって嫌だろうし。
なのに、今は捨てられたくないって思ってる。
面倒だって思われて、嫌われてしまうことが怖いなんて思ってしまう。
そう思う資格なんて、無いのに。
「理由聞いて、嫌なこと直すようにしたらまた普通に話してくれるかなぁ……」
……まあ理由を聞けるだけの勇気なんて、持ってないんだけど。
その日の夜食べたタコの刺身は、美味しいはずなのにあんまり味を感じなかった。




