あとの祭り
【リシル陛下Side】
「皇帝陛下…こちらをお願いします」
「わかった」
毎日…毎日。
こうして、今更意見など言えるわけもない書類を渡され、
そこへ判だけを落としていく。
――もう、あの日から3年…。
長かったような…
あっという間だったような。
ただ一つ願うとすれば、
次またこの世に生まれてくることができたならば、
人に生まれ、
人として生きてみたい。
そう…願う。
――3年前のあの夜…
「父上…今宵は月が美しいですよ。一緒にいかがですか?」
障子を開けて夜空を見上げた私。
返事もなく、表情一つ変えずに、ただボーっと上座に座る父上の傍へ酒を運んだ。
「そなたは、いくつになった」
「16にございます」
「16…か。なら、カイリが生きていれば、20になっていたのだな」
「…はい」
「あいつと一緒に酒を交わしたかった。
いろんな話しをしてみたかった。
国の話…民の話…食物の話…酒の話…金の話…それに男同士でしか話せぬこともあろう。なぁ?リシル」
「はぃ…」
陛下は…いや、父上は、
私のことなど見てはいなかった。
気にかけているのは、
いつも兄上様のこと。
父上の息子は、今も昔も兄上ただ一人。
私を息子として認めてほしいわけではない。
ただ…ほんの少しだけでいい、
私の存在にも気づいてほしかった。
受け入れてもらいたかった。
でも、これでやっと…
やっと、
生きているのか死んでいるのかもわからない、幻の兄上からも、
そして兄上の話しばかりをする父上からも開放される。
一口飲めば毒が体を回り…
一杯飲めば、死。
父上…共に参りましょう。
わたくしも、お共させていただきます。
「リシル…」
「は、はい…」
「余が側室などもたねば、このようなことにはならなかったのだろうか…。
いや…母たちのことはいい。
なにより…お前たち二人は余の誇りだ。
…お前もカイリも余の大切な息子だ。
それだけは覚えておいてほしい」
“大切な息子…”
耳のずっと奥で何度もこだまする声。
私も…大切な息子…。
そう言葉にされた父上をじっと見つめた。
もし、それが私に向けたお情けの言葉だとしても嬉しい。
一言でよいから…聞きたかった。
私はあなたの息子だというその言葉を。
いつからか、冷たく凍ってしまっていた心が少しずつ解け、
満たされていく自分がいることを実感する。
私は何に不安を感じていたんだろうか。
ただ信じていればよかったのだ。
もしかすれば私こそが、
ずっと父上の愛に、
背を向けていたのではないだろうか。
今さら、幼きころから父上と過ごした楽しかった日々が、
瞬きをする度に、カシャっカシャっと目の前に映し出される。
あぁ…父上。
やはり私は、あなたが大好きです。
父上は、私に向かい盃をかざすと、
一気にそれを飲みほした。
「……ぐっ!!」
えっ?
はっ!!
「ち、父上…それを飲んではなりませぬ!!」
私が父上の手元をはたくと、
コロコロと床へ転げ落ちた盃。
「…っゲホゲホっ!!」
「父上!!父上!!」
うずくまり、苦しみもがいている父上の背中を懸命にさすった。
私は…
なんということを…。
父上…申し訳ございませぬ。
今さらながら、
私はもっと…あなたと話しがしたいのです。
だからお願いです。
死なないでください。
死んではなりませぬ。
「父上!!誰か!!誰かおらぬか!!」
―――
――
―
父上が亡くなられた日の母上の顔は
今でも忘れられない。
母上は気づいておられただろう。
心臓麻痺という処置で、細かなお取り調べは行われなかった。
それもすべて母上の一存。
国葬が行われたその日、
母上はじっと私を見ておられた。
そして、かすかに微笑んだその顔を
今でも忘れることができない。
違う…。
私は、国王になりたいから父上を手にかけたのではない。
共に逝くつもりだった。
なぜだ…なぜ飲まなかった。
…あのとき、
私も飲んでいれば…。
「…つっ」
グッと力を込めた握りこぶしの上に、
ポタポタと涙がこぼれ落ちていく。
恐怖ばかりが先立って、
今さら独りで命を絶つこともできない。
私は…弱い虫けらだ。




