鏡
おばあちゃんが部屋を出て行ったあとも、しばらく形見の指輪をはめたまま、
机の上に立て掛けた鏡を通して、その指輪を見つめていた。
あたしのお母さんは、
どんな人だったのかな。
どういう風に愛し合って、お父さんと
結婚したんだろう。
あたしを妊娠したとわかった日は喜んでくれたのかな。
あたしを産んだ日は、
どんな一日だったんだろう。
もうすぐ誕生日だからなのか、
それとも、おばあちゃんから形見を
もらったからなのかはわからないけど、
こんなに会いたいと願ったことはないほど、
今日は、なぜか無償に母が恋しい。
「お母さん…」
指にはめた指輪をぎゅっと握りしめながら、ゆっくりと瞳を閉じると、
ピピッっと単音で小さく聞こえた置き時計が0時になったことを知らせる。
携帯の液晶画面には、
9月16日…の文字。
ハッピーバースデー…
カンナ…。
心の中でそう呟いて、
鏡に写る自分を見つめた。
17歳…おめでとう。
今日は…蓮とデートだ。
一日あたしの好きなことをしていいんだっけ…。
ん~…何しようかな。
始めに美味しいものを食べて、映画見て、
それから・・・
手を繋いで歩いて…
キスも…したいな。
って…もう!!なに一人で想像してんのよ!!
今日一日の妄想をしながらにやけている自分を見ていたら、なんだか無性に恥ずかしくなってくる。
鏡に写った真っ赤になってる自分の顔をペシペシ叩いたその瞬間・・・
えっ?
手を振り上げたまま思わず固まった私の右手。
今、一瞬、鏡面が波打ったような気がしたんだけど…。
はっ…疲れてるのかな…
目がおかしい。
…目の錯覚か。
その錯覚を確かめようと、
もう一度、今度は、さっきよりも優しく鏡面をポンポンっと叩くと
それと一緒に鏡面も、
ぶわんぶわんって波打つ。
ちょっと待って…
なにこの鏡…。
一度、両手で目をこすって改めて鏡を見つめた。
あっ…汚れてる。
ティッシュペーパーを手にとって、汚れた鏡面をキュッキュッとこすった
そのとき、
ズボっと鏡の中に入った片手。
「きゃぁっ!!」
今度こそはっきりこの目で見たその光景にびっくりして、右手を勢いよく引き抜いた。
違う…。
目の錯覚なんかじゃない。
鏡の破片で怪我でもしてないかと、右手をクルクル回して確認するも、
なんの外傷もなくて…。
今のは…一体…
なんだったの?
「お、おばあちゃん!!」
とりあえず、おばあちゃんを呼びに行こうと勢いよく立ち上がると、
立てかけている鏡がガタンとズレてこちらに倒れてくる。
あっ…鏡が…。
鏡を手に取ろうとしたその瞬間、
視界がブワァッと光の中に包まれて、目が痛い。
うぅっ…眩しいよ…。
目を開けたくても開けていられないほどの強い光。
ぐっと瞳を閉じても目蓋の上から差し込んでくる強い光に耐え切れなくなって、
両手で顔を覆いながらその場にうずくまった。
やだ…なにこれ…。
「おばあちゃーん!!」
これ以上ないくらいの叫び声を上げておあばちゃんを呼んでも、
おばあちゃんの姿が見えるどころか、
直接太陽を見てるかのように眩しい光のせいで目が開けられない。
うずくまったまま、どれくらい、そうしていただろうか…。
1分…
おそらく、そのくらいだろうと思う。
光だけでできていた空間は徐々に弱めながらその光を失っていく。
どこから光を放っていたのか、
それとも近い距離で何かに照らされていたのか、
何がなんだかわからないまま、床にうずくまっていたはずのあたしの体は、なぜか急に降下して、ドスンと腰を、床に叩きつけた。
痛っ…。
えっ?
真っ暗…。
ちょっと…今度は暗闇?
何も見えない。
うそ…
本当に何も見えない。
停電?
手で顔を覆ってうずくまったまま、
指の隙間から瞳だけを動かして辺りを見回す。
あたしの部屋…だよね?
部屋の電気が消えちゃったのかな…。
いや…それにしては、
なんだか肌寒い…。
まるで、
外にいるような…。
えっ?
ここ、ど、どこ?
「おばぁ…ちゃん?…いないの?」
まさか、あたしの部屋じゃないの?
その瞬間、ピューッと吹いた風が体を覆って、
ここが部屋ではないことを実感する。
う、うそでしょ?
なにこれ…怖い…
怖いよ…。
恐怖のあまり、
ただその場でうずくまったまま、ピクリたりとも体を動かすことができない。
時折、ゴーとかピューとか
どこからか、風の音が聞こえてきて
ますます恐怖を募らせてくる。
はっきり目を開けているのに何も見えないなんて…。
さっきはあんなに眩しい光を感じたっていうのに。
せめて小さな光でもあれば…。
あっ…もしかして!!
ルームウェアのポケットに上からそっと手を当てみたら…あったぁ!!…携帯…。
藁にもすがる思いで、
ポケットから携帯を取り出すと
震える手でゆっくりと画面を開いた。
手元だけにボワンっと
小さな光を放った液晶画面。
あれ?圏外だ…。
その光を恐る恐る床に当てると、見えたのは土。
思わず、じわっと涙がこみ上げてくる。
「やだ…怖い…怖いよ…」
土の上にうずくまっているけど…時折入ってくる風で
今いるここは建物か何か壁に覆われていて、完全に外ではないことはわかった。
恐怖のあまり、手を伸ばして辺りを照らすことのできなかったあたしは、
近辺だけに携帯をかざして辺りを見回した。
やっぱり壁がある…
よく見えないけど、壁も土っぽい。
ここはどこなの?
洞窟?洞穴?
広さは…あたしの6畳部屋の2倍くらいだろうか…。
それに、あたしを囲むように何個も置いてある大きな箱。
とてもじゃないけど中を開けるなんて勇気もない。
ひゅーっと、また入ってきた風に体を縮めた。
さすがにもう9月。
パジャマにも近いスウェット1枚じゃ寒すぎる。
あっ…でも…もしかしたら
風が入ってきてるところへ向かえば、ここから出られるかもしれない。
でも…出て行ったところで
もしそこが知らない場所だったりでもしたら、それこそ洒落にならない。
だからって、ずっとここにいるわけ?
ここはあたしの部屋ではないとわかったんだから、まずはここを出ないと…。
それとも誰か助けが来るまでおとなしくしていようか…。
先の進まない自問自答が
同じ気持ちを繰り返そうとしてる。
頭では、わかっても、
指先が、つま先が、体全身がガクガク震えて治まらない。
カンナ…勇気を出して。
前に…進むのよ…。
何度も何度も自分で自分を励ました。
「蓮…怖いよ…助けて…」
口に出して、蓮の名前を呼んでみても、何も変わらない状況に、今あたしは一人なんだと実感して、両手でパッパっと涙を払った。
大丈夫!!頑張る!!
今はここから出なきゃ!!
もう一度携帯に視線を落として時間を確認してみた。
0:20…。
一体ここはどこなのだろう。
清水の舞台から飛び降りる覚悟で勢いよく立ち上がると、
少しずつ足を前に進めた。
携帯を前にかざして辺りを照らしながら、風が入ってきているところを目指して歩いているうちに、
その道は段々と幅を狭めてくる。
上を見上げると高さは結構あるのに、通路の幅はそんなに広くない。
「あれっ?行き止まり?」
数メートル歩いたところで
あたしは足を止めた。
進もうにも、その先は草が生い茂っていて何も見えない。
その草にそっと手を当てると、
びゅーっと勢いよく吹いてきた風を、手のひらに感じた。
ここから風が入ってきてたんだ。
もしかして…
この草の先は…。
草を掻き分けながら、2、3歩、前に進むと、そこに見えたのは何本も立ち並ぶ背高い木々。
上を見上げると…
うわっ…きれいな星空。
星空?ってことは…。
や、やった…外に出られた。
とりあえず行き止まりじゃなくてよかった。
ゆっくりと振り返ると、
あたしがさっきまでいたところは
洞穴というよりも、
上の方から続いてる山の延長のようで。
今の今までいたにも関わらず、パっと見、入口がどこかわからない。
まるで入口を、草木で隠しているようにも見える。
あたしは、なんでこんなところに来たんだろう。
あたしがいなくなったって気づいたら、おばあちゃん凄く心配するだろうな。
連絡を取りたいのに、外へ出たにも関わらず、この森の中はいまだ圏外。
右に行けばいいのか、
左に行けばいいのかもわからない。
だけど、山を登って行くより、下ってみよう…。
そう決心すると、
指につけたままだったお母さんの形見の指輪を一度ギュッと握って、足を踏み出した。




