彼氏の存在
―――……15年後。
「え~。次のページ、…奈良県高市郡に所在するキトラ古墳の壁画には、
東西南北の壁の中央に、青龍、白虎、朱雀の模様が描かれており、
1983年に見つかった玄武によって四神すべてが発見された。
四神は中国・朝鮮に伝わる神とされ、
その壁画から当時の日本も、
アジアの文化的影響を強く受けていたと考えられる」
「だるっ…」
ボソボソとひたすらお経のように続く山田の授業。
古墳やら、四神やら、
全くもって興味ない。
昼休み明け、空腹も存分に満たされ、
窓に近いあたしの席には温かい太陽の光が刺し込んで、“昼寝”という言葉が見事に当てはまるシチュエーション。
あぁ…どうしよう。
本当に睡魔が。
山田を見つめたまま合掌するかのように、パタンっと机に伏せ落ちた頭。
高校二年の夏。
名門私立の進学校に入学したあたしは、
夏休みだというのに学校で勉強中。
進学率は90%。
じゃぁ…残りの10%はなんだろう。
浪人?就職?
あたしは間違いなく
その10%に入ると思う。
へたすりゃこの先バイトでもいいと思ってるくらい。
夏期講習は強制でもないし、任意の授業だ。
あたしだって当然夏休みにまで学校にくるほど勉強が好きなわけじゃない。
だけどこうして学校に来るのも、もちろん理由がある。
「おい!カンナ。見てるぞ」
心地よく眠りの世界に入りこんで行こうとしていたあたしを、引きずり戻すかのように食らった、隣に座る蓮のひじ打ち。
「ん…?」
ゆっくり顔だけ机から起こすと、ギョロっとした山田僧侶の目があたしを見てる。
やばっ…
あたしは満面の笑みを作って、
口元を左右に引き伸ばした。
ゴホンっとわざとらしい咳払いした僧侶は再び教科書に視線を落とす。
そしてまた続けられるお経。
「はぁ…なんであたし、日本史選択したんだろう」
「カンナが世界史選んだとしても同じこと言ってると思うぞ」
「ハハっ同感」
そう…。
あたしが夏期講習に通う理由。
それは、
毎日、蓮に会いたいから。
“受験勉強って何?”って言う、努力しなくても(いや、もしかしたら影の努力があるかもしれないけど)そんな元から頭の細胞が違う蓮を横目に、
あたしは必死で勉強して、
寝る暇も惜しんでこの高校を受験した。
あんなに勉強嫌いのあたしが合格したなんて、
恋のパワーって、
本っ当すごいと思う。
「由里と同じ理数系にすればよかったなぁ」
「理系?」
「いや、今更ながら、ユリが言ってた意味がわかったなぁって」
理系と文系に夏季講習の
クラス分けをする際、
迷わず理系を選んぶユリはやっぱり頭が切れる子なんだとうなずけた。
「へぇ~、ユリなんて言ってたの?」
「“数学は答えが一つだから”って」
世界史でも日本史にしても覚えることたくさん。
その中から受験に出てくる問題なんて一握りだし。
蓮は苦笑しながら
“なるほどね“ってうなずいた。
「お前らぁ~二人!!」
げっ…やば…。
談笑していたあたしたちは、
ついに僧侶の怒りに触れてしまったみたいで。
「「はい…」」
山田は
ゆっくり近づきながら、
蓮とあたしを交互ににらみつけてくる。
「私の授業はそんなにつまらんか?」
「い、いえ。とても興味深いです。青龍も、白虎もそれから…朱雀に玄武…でしたっけ?」
「ふむ」
たんたんとしゃべる蓮に、先生は満足気な表情で黒板へ戻って行った。
「なに?めちゃくちゃ詳しいね!」
あたしが小声で問いかけると
「今ハマってるRPGのゲームに出てくる」
同じように小声で耳元へ返してきた蓮 。
「今度、カンナにもやらせてやるよ」
「えぇ~できるかなぁ?」
「できるできる!すっげー面白しれー。俺がRPGを伝授してやるよ!」
「本当~!?」
「お前ら‼︎いい加減にしろよ?」
やばっ…
そっと視線だけ動かして前を見ると、
ドアを指差しながら、教壇に立つ僧侶の顔は
いつになく穏やかだった。
「出て行け」
「怒られちゃったね」
「まぁ~いいんじゃね?こうやってカンナと二人になれたわけだし」
「うん!!」
自然にあたしの手を取ると指を絡めてきた蓮の左手。
優しく絡められたその手を見つめながら
蓮と出会った日のことを、思い出していた。
「俺…カンナが好きなんだ」
目を閉じれば、何度でも思い出せる。
男の人から告白されるなんて、
初めてだった。
ドキドキして、胸が苦しくて、
現実だとは思えないほど、幸せな瞬間だった。
「あ、あたしも!あたしも蓮が好きだよ」
言うつもりなんてなかったのに、
自分でもびっくりするくらい自然に出た言葉に、慌てて口元を片手で覆っていた。
「ま、まじ?」
コクリと大きくうなずいたあたしを、フワっと包みこむように抱きしめてきた蓮。
「じゃぁ今日から、俺のものな」
ゆっくりと大きな影が近づいてきて
それを拒むことなく、あたしは瞳を閉じた。
そして、優しく重なってきた唇は、
柔らかくて、温かくて、
ボーっとした世界に連れて行く。
両想いだったことが嬉しくて
一度重ねた唇は離れることを知らない。
あたしの気持ちも伝えようと、蓮の唇に自分の唇を精一杯押し当てた。
「どした?ボーっとして」
出会ったころの思い出に浸ってニヤけていたあたしの顔を、突然覗き込んできた蓮に思わず赤面してくる。
「ん~夏休みもあと数日だなって」
赤くなった頬に片手を当てて冷やしながら、
蓮に妄想がバレないように言ったつもりが、ずいぶん苦しい会話になってしまった。
蓮のことを考えていたことは、きっと彼にバレバレだろう。
そんなあたしを見て蓮は穏やかに微笑むと、絡めていた手をギュッと握った。
「特になんもしなかったな」
「本当…勉強ばっか…」
「あっ…来月の16日は空けとけよ?その日は一日お前の好きなことしようぜ」
来月の16日って…
あたしの誕生日。
蓮…覚えてくれてたんだ…。
誕生日って言っても、
今まで、唯一おめでとうって言ってくれるのは、
幼馴染であり親友のユリと
一緒に暮らしてるおばあちゃんだけだった。
それで充分って思っているのに、どこか心の片隅で、
一度でいいから
両親に“おめでとう”って言ってもらいたかった…。
そう思ってしまうのが本音。
あたしの両親は、
交通事故で死んだ。
そのときあたしは
まだ2歳だったらしい。
行き場のなかった赤ん坊のあたしを、おばあちゃんが引き取ると言ってくれて、今日まで育ててくれた。
お父さんとお母さんは形見どころか写真すら、何も無い。
「カンナって、お父さんとお母さんがいないんだって」
「えっ!? そうなの?」
「やだ。かわいそー」
もう、そんな会話も聞き飽きた。
“今日はあたしの誕生日だよ?どうしてあたしには、お父さんもお母さんもいないの?おばあちゃんなんか大キライ!!”
まだ小学校くらいだっただろうか、
そんな言葉でおばあちゃんに酷いことを言ったのを今でも覚えてる。
あの日以来、
あたしがお父さんとお母さんのことを口にしたことは一度もない。
おばあちゃんは、あの日の会話をあたしがもう忘れてると思っているかな?
ずっと謝りたくても言えないまま、
誕生日が来るたびにその日のことを思い出して、
どうしておばあちゃんに酷いことを言ってしまったんだろうって、後悔してしまう。
だから、あたしの誕生日はここまで育ててくれた、あんなに優しいおばあちゃんに対する、懺悔の日なんだ。
「蓮…」
「ん?」
「覚えていてくれてありがとう…」
「誕生日は特別な日だろ?」
「うん。…そう…だよね」
くしゃくしゃっとあたしの頭を撫でると蓮の大きな腕の中に包み込まれた。
蓮の胸に身を寄せると、ゆっくりと脈打つ鼓動が伝ってきて、なんだか気持ちが落ち着く。
蓮の腕の中は、すごく安心するんだ。
蓮…大好きだよ。
ずっと…。
ずっと一緒にいようね。




