第2話 幻影少女、居座る
元・不法侵入者としてちゃっかりと自分の分まで作った朝飯の前に座らせる。
「ちょっと冷めちゃったわねぇ。まぁいっか。いただきますと」
サクッとトーストを頬張る元・不法侵入者。
パンなんか俺の家にあったか・・・? そういえば冷凍庫を開けるたびに氷漬けの茶色い塊を見かけていた気がする。あれはパンだったのか。
「うーん、サクサクして美味しい! 目玉焼きも乗っけてと・・・」
指先で卵の端を掴んで器用に乗せる。あ、服の裾で指拭いたぞこいつ。
「これが美味しいのよねぇ。ほらナオトくんも食べた食べた!」
卵を見つめる・・・賞味期限は確か・・・ダメだ思い出せない。
「いや・・・作ってくれたところ申し訳ないけど腹減ってない」
「あら、こんなに美味しいのにもったいない。それじゃありがたく」
サクサクもぐもぐと食べる様子を呆然と眺める。内心の焦りに反してユリカは呑気そうだった。二つ目のトーストの角を飲み込んだのを確認してから、意を決して問いかける。
「さっきは・・・どうやって俺の家に入った?」
「それがね。分からないの。気が付いたら汚い部屋にいたの」
腐った空気がよどむ空間を見つめる。少し馬鹿にされた気がしたけど事実だからしょうがないと反論しないことにする。
「俺を社会復帰させるとか、記憶ないとか言ってたのは?」
「記憶がないのは本当。正直言ってわたしも今の状況にビビりまくってるわ。でもね、なんでか分からないけど、あなたを・・・ナオトくんを社会復帰させなきゃって思う気持ちは本当だって分かったの。だから叫んでみた」
「意味が分からない・・・」
「意味が分かんないのはこっちの方よ! だからねナオトくんに一つお願いがあるの」
「えぇ・・・」
俺の危機感知センサーが反応を始める。
「わたしにナオトくんの社会復帰を手伝わせてくれないかな。そこにわたしの記憶を探すヒントがある・・・気がする」
当面は働かずに金を得る手段を模索したいと思っているところだった。
もし働くのなら、崖から落ちそうな子供をそっとつかまえるような仕事がいい。誰にも見られず、感謝もされず、それでも誰かが落ちずに済むような仕事。
「・・・社会復帰は嫌だ。まだ早い」
「脱ニートする気ないって、でも尽きかけてるんでしょ? あなたの貯金が」
「なっ・・・なんでそれ知ってるんだよ」
「いや、これ机の上に置きっぱなしだったから。不用心ねぇ」
預金通帳が机の上に放りっぱなしになっていた。以前お金をおろして、その残高に絶望した後に放置していたことを思い出す。
「勝手に見やがって・・・貯金の話はしないでくれ。心が沈む」
「そうやって現実逃避ばっかりじゃ生きていけないよ?」
「正論が人を傷つけることを、おまえは学んだほうが良い」
「いい機会なんじゃないの? 遅かれ早かれ働かなきゃいけないわけで」
「間に合ってる」
「うぅ・・・強情ね・・・。ね、お願いだから! 今のわたしが確かだと思えるのはナオトくんを助けたいって気持ちだけなの! ねぇすがらせてよぉ」
――「ね、お願い! それ一口ちょーだいっ!」
ごにょごにょと手を合わせながら揺れる金髪ツインテにあの子――大昔に居たたった一人の友達の姿が不意に重なった。こいつはもしかしたら・・・いや、そんなわけない。面倒な会話をさっさと切り上げたくなって本心ではない言葉が口をついた。
「じゃやれるもんならやってみろよ・・・」
どうせ無理だろうがな。
「本当!? 本当に!?」
「あぁ。じゃあ今日はもう帰ってくれ」
「帰る場所、分からないんだけど・・・」
やっぱりかぁ・・・。んなこと俺に言われてもどうしようもない。
額に手を当てているとユリカが無駄にきらりとした目で口を開いた。
「でも大丈夫! あてならあるわ!」
「ほう」
ユリカはピンと伸びた人差し指をズバリと振りかざす。その指が向いた方は・・・。
「いや、ダメに決まってるだろ」
押入れに向いた指先がヘナヘナ萎れる。
「即答!? なんでよ! 可愛い女の子が困ってるのよ! 家なき子なのよ!?」
「自分で可愛いとか言うんじゃない」
・・・しかし、困った。いくらソロプレイを手放したくないとはいえ、見て見ぬふりというのも気が引ける。しょうがないか・・・。
「ほらよ」
俺の最大限の譲歩・・・五千円札を事故にでもあったものと諦めながら差し出す。
「これだけあればネカフェとかで夜は凌げるだろ?」
「えー! やだやだ! やだぁ! ね! ね! 迷惑かけないからぁ」
「ほらほら駄々こねないの。俺の社会復帰の手伝い? だっけかはしても良いから」
しかし、ユリカは動く気配を見せない。・・・しょうがないと一芝居打つことにする。
「外に・・・見慣れないものがあった。おまえが来る前はなかったもの・・・関係あるんじゃないか」
もちろん嘘だ。
「本当に!? 聞き捨てならないわ、案内してちょうだい!」
一縷の光を見つけたみたいに、ユリカの顔がぱっと明るくなる。その顔を見て、胸の奥が少しだけ痛んだ。記憶がないというのは、たぶん俺が思っているよりずっと怖い。
「よし、じゃ行ってみよう」
ユリカを外に連れ出した刹那・・・すぐさま部屋に引き返して鍵をかける。
ドンドンドン!
「ちょっとナオトくん!? 卑怯よ! 騙したわね」
暴れるドアを固定するみたいにもたれて叫び返す。
「うるさいな! 警察呼ばれないだけありがたいと思ってくれ!」
「うう・・・人でなしぃ・・・ナオトくんしか頼れる人いないのにぃ」
ドアの向こうの声が、やけに近く感じた。手を離せば開けてしまいそうで、無理やり力を込める。しょうがない。俺だって不審な人間と一つ屋根の下ってのはごめんだ。ただの人でさえも怖いんだから。
しばらくして扉の音が止んだ。諦めてくれたかとそっと覗き込むようにドアを開ける・・・まるでユリカなんて最初から居なかったみたいにいつもの光景。良かった・・・大人しく帰ったみたいだ。
そう納得すると一気に疲労感が押し寄せて、そのまま玄関にへたり込んだ。その時だ。
ドンッ!
朝聞いたのと同じ音が居間の方から響く。
「おいおい嘘だろ・・・」
もしやと思って行ってみると、倒れ込むユリカがいた。
「ひえっ」
なぜいる? なんでなんでなんで・・・。
「なんか念じたらここに戻れたみたい?」
急にファンタジーというか展開がホラーじみてくる。
――幽霊? ――あの子の面影? 非現実な想定と目の前の現実を頭の中で掛け算してみる。まさか、ありえない。
「どうやら、脱ニート・・・そしてわたしの記憶探し、頑張ってもらわないといけないみたいね」
不敵な笑みを浮かべながらユリカは手を差し伸べる。
「さあ、行こう。あなたの人生を、ここから始めるために!」
ユリカの差し出した手は柔らかそうで、でも逃げ道を完全に塞ぐ形をしていた。
――逃げ道はないらしい。
俺のゆりかごは人ならざる何かに侵食されて、停滞した日常は強制的に動き始めるのだった。




