第26話 RE;pray
体を起こすと頭の歯車が火花を立てながら猛烈な回転を始めた。ユリカとの記憶を燃料に、その回転は止まらない。僅かに溜まった金が潤滑油になった。
手の中には、あの日から同じ場所を動かなかったあの箱があった。存在を確かめるように、まじまじと箱を見る。
――あの日々の中でユリカが発した言葉を記憶の中から取り出すことは容易だ。点在する言葉を歯車に運ばせて現実と幻想の境界が曖昧な世界観を構築する。
ユリカは箱の中に社会復帰の鍵があると言った。――社会復帰。人の輪に飛び込むこと。心と心で会話すること。
良く知らない人とそれをすることはやっぱりまだ怖い。しかしそれを目指した先にユリカが居るような気がしてならなかった。
ユリカが発し続けていたシグナル――世界の理から外れたみたいに記憶の中のあの子と合致する面影。
消える間際にユリカは言った言葉――俺の父さんを、あの子を・・・知っている。それらの記憶は俺の地元を訪れたその瞬間から輪郭を帯び始めていた。
答えは出ているようなものだった。ユリカに会えるとすれば病院しかない。俺があの子との時間を過ごした“あの病院” しかない。
『・・・遠いところ。だけど、ちゃんとある』
いつかユリカが示した箱の鍵の場所。鍵もそこに在るんだろ? なぁユリカ。
――あるいは、可能性は零と同じかもしれなかった。俺が導きかけている結論はすべて願望に等しい。
ユリカは徹頭徹尾不可解だった。突然目の前に女の子が現れるなんてこの世の理が許してくれるはずはない。――起きるはずのない奇跡。けれどもそれは確かに起きた。
奇跡が、不条理が一度きりなんて誰が決めた?
分からないから確かめるしかない。頭の中であの日見た星空が広がる。星の女神さまの気まぐれにすがってみせるぜ。
思いが走り出して、そして願った。
再び奇跡に巡り合うことを。
自分の足でそこにゼロコンマ数センチでも近づけることを。
家を飛び出す瞬間、玄関の扉が牢屋のそれに見えた。
一瞬立ち止まって振り返れば、昔よりも寂しくなった部屋が見える。それは俺のシェルターであり、ゆりかごであり牢屋だった。
「じゃあな」
誰に言うでもなく呟きドアノブに手をかける。
真の意味で、望んで扉を開けるのは初めてかもしれなかった。
外に出ると陽の光が目を刺した。どうやら朝だったらしい。
もしかすると、それは内面化された祈りだったのかもしれない。今はまだ青空の向こうにある星から落ちてくるみたいにユリカの声が聞こえた。
――「こっちだよ」
「あぁ今行く」
星の声に導かれる。耳を傾ける。
――「ナオトくん」
――「星の女神さまは」
――「女の子のお願いに身体を貸したの」
――「だから・・・」
なぜか続く言葉が分かった気がした。だからこの言葉はきっと俺の妄想だ。
「関係ない。ユリカはユリカだ」
†
気が付けば俺は地元の大地に立っていた。文字通り気が付けばだ。我を忘れて、世界をただユリカの姿その一点に収束させていたと分かった。
それでも俺の無意識は確かに身体をこの町に運んでいた。進んだ時間と減った金がそれを証明している。
――「*****************」
いつしか祈りは声に変っていた。その声を聞き取ることはできなかったけど、その声が聞こえる方は分かった。声はどこかで約束されていたみたいに病院の方から聞こえた気がした。
駅から徒歩30分。走れば10分。迷うことなく走り出す。
滑りだした風景の中に閉店したタピオカ屋が見える。
母さんとよく買い物をしたスーパーはまだ閉店していない。
父さんとドライブするとき、いつも待たされた信号は俺の足を止めない。
――「********! *******!」
きっと俺を呼ぶ声はさっきよりも大きくなっている。
切れる息のそれ以上に胸が高まり、そして妄想じみた仮定が確信に変わっていく。
この足が向かうその場所に、目の前の角を曲がったその場所に――。
角の向こうの病院は白く巨大な様相で俺を見下ろしていた。
「ユリカ!」
正門を見るとともに叫ぶ。警備員が不審な顔でこちらを見た。
ユリカの姿は見えない。それでも
――「********! *******!」
声はまだ聞こえる。
「こっちじゃないよな。なぁ?」
俺が出入りしていたのは正門じゃない。裏にある職員用の通用口だ。息を整えながら、勝手知ったる入り口を目指す。
記憶の底から通用口を通った先の病院の広場が現れる。
――「じゃんけんで負けた方が鬼ね!」
――「ナオトくんが怪獣役ね!」
その広場の中にかつてそこで遊んでいた俺たちの姿が見えた。遊んでいた相手を初めて見たとき「外国の人かな」と思った。
透き通る金色の髪をツインテに結った少女
幼げな顔つきに反して長いまつげ
鼻はそんなに高くない
そう、――こんな風に。
薄い緑の瞳が迷いなく俺を射抜く。
「社会復帰の時間よ! 鷹無ナオトくん!」




