第24話 願うには遠すぎて
次の日もまた河川敷に向かった。昨日の経験に学んで動きやすい服を着て、ペットボトルに詰めた水道水も持参している。
何時に迎えが来るか分からないから朝陽が出てすぐに家を出た。
そわそわしながら朝特有の草が湿ったような匂いを嗅いでいると、音もなくバスが滑り込んできたのが見えた。どこからともなく現れた人間たちが早くもバスの周りで群れているので自分も早歩きでその群れに入り込む。
「おー兄ちゃん。今日も頼むわ」
「よろしくお願いします」
「なんや今日はちょっと気合入ってるみたいやん。ええやん」
「へへっ・・・」
媚びるようにうなずいてからバスに乗り込んだ。
例のごとく山道をうねりながらバスは進む。
人里から離れながら、バスは社会に、町中華屋に、生活に向かっていた。
例の窪地に到着する。昨日捨てたゴミの粉塵が風に舞っていた。見ればみんなマスクをつけているので、俺も倣って昨日もらったマスクをつけた。
ゴミを満載したトラックが来ると、勝手知ったると言わんばかりに俺もせっせとゴミを運ぶ。今日は白い箱が多いようだった。
ひびの入った箱からはエーテルのような甘い匂いがした。そのゴミを運んでは投げ捨てる。
――エーテル。
どこかで「繋ぐもの」という意味だと聞いた気がする。それを投げ捨てながら社会に繋がるのはなんだか皮肉めいた気がした。
無心で身体を動かすのは気持ち良かった。だから多分違法なんだろうなぁと思うこととか、日当7千円が最低賃金を下回っていることもどうでも良かった。
お昼に昨日と同じ冷たいカレーを流し込むと、またせっせと律義に不法行為(多分)に勤しんだ。極めて良好に不良行為に励んだ。
河川敷に戻ると、これまた律義に茶封筒が渡される。おじさんの目は何の質問も口外も許さない目をしていた。それでも口元は笑っていた。不思議な表情だと思った。
次の朝。電気が付いた。昨日コンビニで払った電気代は無事に光に変換されたらしい。さらに明るい気持ちで河川敷に向かった。
今日は大きな機械のゴミが多かった。どれも重くて一人じゃ持てないものばかりだ。しょうがないから一人で持てそうなものを選んで荷台から運び出す。しかし、その軽いゴミはすぐに無くなってしまった。
どうしたものかと立ちすくんでいると声をかけられた。身体が過剰に反応してピクリとする。
「二人一組でやろう。一緒にやってくれる?」
金髪の目が細い兄貴分が言う。どうやら二人で運び出すらしい。見ると他の人たちも二人、あるいは三人組でゴミを運んでいる。
逆らう理由もなくて二人で運んだ。最初は進む速さを合わせるのが難しかったけど、じきに慣れた。
特に大きな機械はもっと多い人数で運んだ。指先と肩に痛みを感じながら小幅で歩く。
――ふと社会の歯車のようだと思った。歯車になることは存外に心地良い、意外な感情だ。目の前の機械もまた、文字通り歯車として働ききって、そして今、投棄されようとしているのだろうか。不思議と葬送めいた敬意が湧いて、すぐに疲労感がそれをかき消した。
昼休みの時間が来た。相変わらず冷えたレトルトカレーだ。自然と一緒にゴミを運んだ人たちと肩を並べていた。
色んな人がいる。ヤンキーっぽい人。中学生くらいにしか見えない人。普通っぽい人。歯の無い人。多分片目が見えてない人。中には会話が成立してない人もいたけど、俺以外のみんなは何らか談笑しながら飯を食っていた。
この感覚は学生以来だ。集団の中に居るからこそ際立つ疎外感。小さいころから、それが怖かったのかもしれない。命綱が欲しくなった。
話に混ざろうかと極小の思いが芽生えるけれども、やっぱりそれは怖かった。
驚かれるんじゃないか。
無視されるんじゃないか。
気持ち悪がられるんじゃないか。
引きこもり気味のニートだって馬鹿にされるんじゃないか。
そう思うと、やっぱり声を出すことはできなかった。
午後の労働は、心の声さえ無言にして、より寡黙にゴミを運ばざるを得なかった。
迎えのバスが来るとどっと疲労感が押し寄せた。少し慣れたはずだけど、昨日よりも疲れた気がした。ゴミが重かったせいだと言い聞かせてバスに乗り込む。乗ってすぐに睡魔が迫った。
「明日は雨っぽいから休みなぁ」
半分眠った鼓膜におじさんの声が響く。外に目をやると厚くて黒い雲が空を覆っていた。
「傘持ってねぇな・・・」
誰にも聞こえないように呟いてから、ギュッと目を閉じた。
時間感覚から逆算して、到着前に目を開ける。予想通り河川敷に着きそうになっていた。
その時、前の座席から振り返る顔があった。金髪の兄貴分だ。細い目をさらに細めながら言った言葉は多分、人生で初めて言われた台詞だった。
「今日飲みに行かない? 明日休みだし、何人かで行こうってなってるんだけど」
返事までの間を愛想笑いで埋めながら、考える。
言葉を発するには少し時間が要ったけれど、考えるまでもなく答えはとっくに決まっていた。
「ありがとうございます。今日は少し予定が・・・申し訳ないです。また誘ってください」
「そうかぁ」
残念そうでもなく、そうつぶやくと視線は前の座席に戻っていく。
当然、予定など無い。
罪悪感と、僅かな後悔のような感情が去来した。
前者の感情が現れることは知っていた。まだ学校に通っていた頃、何度か体験した感覚だからだ。しかし後者の感覚が来ることは知らなかった。
後悔・・・俺は何に後悔した?
バスはまだ動いている。気が付くと雨が降り出していた。
†
「週5で働く人はすごいなぁ」
三日ぶりに訪れた何もしない日を、えらく久しぶりに感じながら布団に転がっていた。
――しかし、これは社会復帰と呼べるのだろうか。
昨日感じた後悔について考えてみる。
眠気で靄がかかる頭を回すと意外にもすぐに答えが出た。
――俺は知りたかったんだ。体験してみたかったんだ。
あそこにいる人たちは、皆どこか社会からはじき出されている人たちだ。そんな彼らが、普段どんなふうに生きているのかを。
それだけじゃない気もした。もっと、自分に近い何かを見つけられたかもしれない。そんな気がした。
――共感。少なくとも俺が戻りたい「社会」には、そういうものが必要なのかもしれない。
ふとユリカの顔が浮かんだ。思えば、ユリカと過ごした日々は共感の連続だった。
だからあの日々は、あんなに心地よかったのだろうか。
あの夏、突然いなくなったユリカ。
どこから来て、どこに消えた?
また逢うことは叶うのだろうか?
――ユリカとの日々に感じていたあの感覚を、一緒に働く人たちの中に見ようとしている自分がいると気付いた。
多分、社会復帰はその機会を得るべく踏み出すことができてはじめて成立するのだ。
同時に、だから社会復帰はまだ遠いと分かる。やはりそこに踏み出すには恐怖が、怖気がまだ大きすぎた。
『・・・ナオトくんの社会復帰の鍵があるはず』
あの箱の中身について、いつかユリカが言った言葉だ。
あの夏以来、机の上の同じ場所でとどまり続ける箱がやけに大きく見えた。
†
次の日も、また次の日もゴミを投げ続けた。昼飯はなんとなくみんなに近づいて食べた。近づいただけだった。
雨の日と日曜日は休みで、決まってその前には飲みに誘われていたけれども、ついに誘われなくなってしまった。
家賃を払った。携帯代を払った。空腹のまま眠ることはもう無くなっていた。
不安定の中で安定した感覚があった。なんだかんだこのままのうのうと生きていけるんじゃないかという安い見通しだった。
飢えの怖さを実感して以来、貯金に執着していただけに金が溜まってきている。金銭的な余裕は孤独感を大きくした。金髪の兄貴分に、同い年くらいの人に、ついに話しかけられないたび、運良く振られた雑談に上の空で返してしまうたびに後悔と自己嫌悪で胃の奥が締まった。そうして社会復帰の遠さを感じた日にはユリカを思った。ユリカを思うたびに、その姿は大きくなって遠のく。
夢でも見ていたのだろうか。ユリカと過ごした時間が、まるで物語の世界だったみたいに実感が薄れて象徴めいたものに変質していく感覚があった。
年の瀬が迫ったある日の夜。まだ来ない新年にじっとしていられないような街の雰囲気に掻き立てられて、なんとなく外に出てみた。良く晴れた湿り気の無い空があった。
何をするでもなく公園のベンチに座って白い息を吐く。凛とした空気がやけに肌を刺すようだった。
東京の空にしては珍しく星がよく見えた。その中にやけに輝く星があった。
その空は、あの日ユリカと見た空によく似ていた。
ふと、あの日願うことができなかった自分の姿が頭をよぎる。
――『星の女神さまは気まぐれで願いを叶えてくれるらしいわ』
「本当かよ・・・」
社会復帰を星に願うのはなんだか違う気がする。願ったところでそれは成しえない諦観があった。だからやっぱり願うことは遂にできなかった。




