第23話 油。塩っ気。炭水化物。
一瞬眠って、すぐに目が覚めた。
――寒い。
毛布で体を包んでいるとは言え、やはり夜の外は寒かった。毛布をより強く体に巻き付けて、睡眠を試みても何度も目が覚める。風に、車に、虫の音に苛立った。
ようやく迎えた朝の冷え込みと眠気がダブルパンチして、昨夜の高揚が嘘みたいに気分が沈む。
しかし、不思議と家に帰る気にはならなかった。
何もできないのは家も外も同じだと言い聞かせて、ただ川を見つめながら座り込む。空腹は水道水でごまかした。
また夜が来た。
やっぱり寒くて、眠いのに眠れない。それに加えて空っぽの胃がきりりと痛んだ。
朝になると、今度は空腹で目が覚めた。食べ物を求めていた。
「帰ろう」
家には、まだ食料がある。きっと変わるはずだった何かを諦めて立ち上がった時だった。
「兄ちゃん、暇か?」
作業着に身を包んだおじさんだった。爬虫類みたいな目をしながらにやついた口をしていた。無造作に伸びた髭の端で唾液が光っている。
「・・・」
驚きと言うか、思考停止のせいか言葉が出なかった。
「暇そうやな。人手足らんねん、来てくれや。飯あるで」
考える間もなく、おじさんのマイクロバスに乗り込んだ。
――バスの中にはいろんな人がいた。
所在なさげにスマホを触る人。
寝る人。
うつむく人。
外を見る人。
なぜか笑ってる人。
髪の色や年は違ってもみんな似たような人だった。
1時間ほど揺られると、バスは山の中に入っていった。何度も蛇行しながらぐんぐんと山を登っていく。
おおよそ道とは思えない樹の間を器用に抜けると、だだっ広い土地で停まった。
周りの人に合わせて外に出てみると例のおじさんが話しかけてきた。
「日当7千円。食事つき。悪くないやろ。作業は周りの人に合わせて適当にやってくれて良いから」
「はあぁ」
「なんや覇気無いなぁ。まぁええわ。一応これ付けとき」
軍手と使い捨てのマスクが支給される。
「ほな、夕方戻るから。頼むで」
そう言い残すとおじさんはまた道なき道を戻るのだった。
周りを見ると、同じような人たちが立ち尽くしている。中には談笑する人もいる。どうやらこの仕事の先輩のようだ。
空腹でぼーっとしているとようやく「何やってんだ俺」という気持ちになれた。
ふとすると大きな音を立てながらトラックが侵入してきた。荷台には瓦礫や変な機械や白い箱とかが無造作に乗せられている。
トラックが停まると周りの人たちが、そこに集まり荷物・・・というかゴミのようなものをせっせと運び出した。見ると運んでは土地の真ん中にある深い窪みに投げ込んでいる。
しょうがないから周りの人の真似をした。
恐る恐る瓦礫を掴んで、運び、そして投げた。
――どうやら間違ってないらしい。少しだけ楽しい気持ちになってまたゴミを窪みに投げ込んだ。
重いゴミ。軽いゴミ。とがったゴミ。丸いゴミ。
やがて額から汗がにじみ、気付けば服全体が汗で湿っていた。久しぶりに流した汗だった。
「これは持てないな」
重い、錆びついた機械の端を掴んでそうぼやくと、何も言わずにもう片方が掴まれた。金髪の目が細い“兄ちゃん”と言う感じの人だった。そういう習わしらしく、何も言わずに二人で運んで、そして投げた。
トラックが空になると、また新しいトラックが来て作業は終わらなかった。
荷台に上がって、再び瓦礫を掴む。今度は白い箱を掴む。・・・メディカルボックス・・・何のことかよく分からなかった。とにかくエンドレスに運んでは、何も考えずに投げ続けた。
ようやく昼休みが来た。待ちに待った飯だ。レトルトのご飯とレトルトカレー。どちらも冷たいけど問題ない。まず初めに支給された水を一気飲みして、その後カレーも一気飲みした。美味い飯だった。
アリになったような気持ちで午後もひたすら運んでは投げていると、いよいよ身体が上手く動かなくなってきた。
周りの人は疲れ知らずのようにペースを崩さず作業を続けている。
隠れて座り込もうかと思った時、今度はトラックじゃなくて来た時に乗ったバスが来た。ようやく終わりかと思うと、また元気が湧いてきてゴミを掴む手に力がこもった。
「あがりー」
夕焼けの空に、おじさんの声が響く。無言でバスに乗り込む人に合わせて、俺もバスに乗り込む。席に着くとすぐに眠りに落ちた。
――久しぶりの熟睡だった。
気が付くと、バスは河川敷に戻っていた。
「はい、これ兄ちゃんの分。ありがとうな」
渡された茶封筒の中には千円札7枚だけが入っていた。
「気ぃ向いたら明日も来てや」
「・・・ありがとうございます」
自然とこぼれたお礼を言い終わらないうちに、バスとおじさんは走り去っていった。
一緒にバスを降りた人たちはいつの間にかもう居なくて、河川敷には沈んでいく太陽と俺だけが残されている。
まるで夢でも見ていたみたいに、今日の労働らしきものの姿が遠く感じた。
それでも耳の奥に穴に投げ込んだ瓦礫同士がぶつかる金属音がまだ確かに響いていて、だから今日の昼間の出来事は夢じゃないと分かった。
それに手元にはその物証として、茶封筒が固く握られている。そのことに気付くと胸がドクンと高く跳ねた。
飯だ。飯が食える。
ラーメン。チャーハン。餃子。計1280円也。
気が付くと、古びた町中華屋に汗まみれの服のまま座っていた。注文した後に汚れた自分に気付いて申し訳なくなる。
できるだけ小さくなって俯いていると、机の上がぬらぬらと油で光っているのが見えた。その光がなんだか愛おしくて、少しだけ“帰ってきた”ような気持ちになった。
――帰ってきたってどこに? どこから?
その答えになり得る言葉を見つけることはできない。
油。塩っ気。炭水化物。現代社会で敵対視される三銃士は、どこまでも俺の味方みたいな顔をした。たらふく食った。それでも金はまだ残っている。こんなに幸せなことは無いように思えた。
夜の道に恍惚みたいな光を見ながら歩いて、二日ぶりに家に戻ると、電気のつかない風呂場で水だけのシャワーを浴びてから布団に倒れ込んだ。
実に心地よい眠りだった。




