第21話 その指先は、墓標に触れていた
「ごめん、待たせた」
落ち着いた、少し湿っぽい神社の中でユリカの髪はよく目立つ。探すまでもなくユリカに近づくことができた。
「あ、ナオトくん。お疲れ様」
無数の人形たちの中にユリカはいた。
比喩ではない。この神社には人形供養の名のもと多くの人形が祀られ、そして鎮座している。
子供の頃はそれが怖くてしょうがなくて、父さんに連れて来られる度に怖い思いをして、それでも、その夜書く絵日記には大量の人形と「楽しかった」という文字を書くのだった。
「どうだ? 面白いだろこの神社」
「うん、ちょっとびっくりしたかも」
曇り気な表情に、少し悪いことをした気持ちになる。
「ねぇナオトくん・・・」
不思議と躊躇い気味にユリカが問いかける。
「この神社のことって話してくれたことってあったっけ?」
「・・・え?」
まるで、この神社のことを知っているような言い方だった。
「ここには、初めて来た。でもね・・・知ってるの。この神社のこと知ってるの! ナオトくんからとっくに聞いてたみたいに!」
何かを思い出した。
そんな顔をしているユリカの目は少しだけ潤んでいた。
「話したこと無いから気のせいじゃないか?」
――白々しく口が動くことが分かった。瞳の雫も知らんぷりした薄情な言葉だ。
「そうかな・・・」
思い出せば終わる。
そんな直感がユリカの中にあるようだった。そんな直感が潤ませた瞳を歓迎する俺がいた。罪悪感が俺を叱りつけた。
「アイス食べようぜ。美味いところ知ってんだ」
「・・・食べる」
溶けかけたアイスの雫が、ふと昔の光景を見せた。
†
――病院の窓から差し込むオレンジ色の光が影を長く伸ばしている。
「すごかった。人形、たくさんあって」
「面白そう! わたしも行ってみたいなぁ」
「今度連れてってあげるよ」
「本当?」
「ほんとだよ」
「きっとかわいいんだろうなぁ」
「でも、たまに動くんだって。お父さんが言ってた」
「えっ? 人形が?」
氷菓を口に運ぶ彼女の手が少し止まる。
「うん。夜になると勝手に場所が変わってたりするらしい」
彼女はしばらく黙り込んだあと、腕をさすりながら小さくつぶやいた。
「・・・かわいいって思ってたのに、ちょっと怖くなってきたかも」
†
最後に残ったコーンを丸ごと頬張ると、キンっとする冷感が頭を痛ませた。
「ちょっと渋くて独特だね」
「でも癖になるんだなこれが」
名産と言うほどでもないご当地抹茶アイスは、ユリカのざわめいた気持ちを少し落ち着かせたようだった。
「じゃ、今日の目的地に行こう」
「目的地?」
「話すって言っただろ? 父さんと母さんのこと」
「あっ・・・そういえばそうだったわね。ちょっと緊張するなぁ」
「着いてきてくれるな?」
「聞かれなくたって行くわよ! 行きましょ」
「うん」
今日の本当の目的地――両親の墓は、この町を見下ろすように山の中腹にあると知っている。どのバスに乗って、どのバス停で降りれば良いのかも全部知っている。知識として頭にあっただけの情報に身を投じるようにバス停へ向かった。
往々にして田舎のバスの本数は少ないものだけど、波に乗れと言わんばかりにバス停に立った瞬間バスは滑り込んできた。
「なんだか人気が無くなっていくわねぇ」
「静かなところだからなぁ」
どこか他人事で呟く。心配ない。今日なら、今の俺なら行けるはずだ。バスに乗り込んだ時点で覚悟は決まっていた。運ばれながら、木々の隙間に遠ざかる海を見つめた。
「次、降りるぞ」
降車を知らせるボタンを押そうとした時、バスのボタンを押すことに執心していた子供の頃をなぜか思い出した。
忘却の中に見た子供の俺に気を取られていると、ボタンを押す前に、それが光った。
――ユリカが先に押したようだ。
「ひひ」
満足げに笑っている。ボタンを押せなくて悔しがる俺は、もう居なかった。
「まさに山ね。本当にここが目的地なの?」
バス停はまるで人の気配がない山の中腹にあった。下に見えるはずの海原は木に隠れてもう見えない。
「ここで良いはずだ」
「“はず”って、なんだか曖昧ねぇ」
「ほらそこ」
木の隙間に見える階段を指さす。
「多分こっちだ」
「この上なのね」
先導するようにユリカが先に進む。
思いのほか短い階段だった。短い森が開けて一気に光が差し込む。
「あっ」
虚を突かれたような声が、この場所で合っていると伝えた。
少し駆け足でユリカに並び立つ。
――眩しいと思った。太陽に照らされた墓標は、悠然とその光を反射している。
「・・・ごめん。驚かせたよな。こういう訳なんだ」
話すまでもなく、すべてを理解したようにユリカはただうつむいた。
「話すよ。父さんと、母さんのこと」
「分かったから、大丈夫だよ。ごめんね・・・ナオトくん」
その気遣いは、聞こえないふりをした。話すことが必要だと思った。墓標の隙間を歩きながら、つらつらと言葉が零れ落ちる。
「俺が大学1年の冬」
「・・・」
「父さんと母さんが車の事故を起こした」
「・・・」
「近くで、怯えて固まってる猫がいたらしい」
「・・・うん」
「最初は、まだ意識があったらしいけど」
「うん」
「俺が戻ってすぐに行っちまった」
「うん」
――3列目の15番目。はっきりと覚えている数字だ。
ゆっくりと近づく。刻まれた名前が目的地に着いたことを教えてくれた。
「・・・だから、引きこもったの?」
「うーん、それはどうだろ。多分、どっちにしろ引きこもってたと思う」
「・・・ナオトくんだもんね」
笑わない目で、笑わせてくれようとしていた。
「だから・・・ありがとう、ユリカ」
感謝している。それは間違いない。ただ、それを本人の前で口にするのはひどく気恥ずかしくて、面と向かって礼を言うのは初めてかもしれないと、思考の中に視線を逃がした。
「今は、こっちを見た方が良い」
ユリカの視線の先にある墓を見つめる。
「そうだな」
――この儀式に意味はない。
それで都合よく現状が好転するとは思わない。
それでも、普通の人がそうするように、俺もまた普通に手を合わせた。
瞼の裏に、昔が映った。
幼稚園の運動会で一緒に走る父さん。
遊園地で弁当箱を開く母さん。
――誕生日会。公園。海。川。山。七五三。ビンゴ大会。車。病院。ビニールプール。スキー。中華料理屋。回転寿司。参観日。お花見。夏祭り。クリスマス。工作教室。牧場。溝掃除。人形劇。キャンプ。食卓・・・。
無数の光景の中で二人は俺を見ていた。
「俺、働くよ」
誰に言うでもなく口が開いた。あまりにも自然で、それが本心かどうかは自分でさえも分からないけれど、今日の目的を終えられたと思えたことは確かな事実だった。
「帰ろうか、家に」
促すと、ユリカは止まっていた。見ると小刻みに震えている。
「ユリカ?」
伸ばそうとした手が途中で止まる。
映写機が結んだ光のようだった。確かにそこに在って、でも触れれば透けてしまうような・・・。
「わたし・・・わたし」
「どうした? 大丈夫か」
「・・・知ってる。ナオトくんのお父さんのこと」
その指先は、墓標に触れていた。
「箱のことも、昨日話してくれた女の子のことも・・・知ってる。この地元に来た時から思い出せそうな気がしてたもの」
ふいに、電車を降り立ったときにユリカから感じた寂しさを思い出した。
「・・・ユリカ?」
一羽の大きな鳥が影を作る。
その悠長な姿に反して、堰を切ったようにユリカは言葉を続けた。
「ナオトくん、箱! あの箱は! 箱の鍵はっ――。」
その言葉を言い終わらないうちに突然白い光が広がった。
同時に、カコン・・・と寂しげな音が響く。
ユリカが手にした箱が落ちた音だった。
ユリカは消えた。
その指先は、墓標に触れていた。




