第20話 来たときよりも、日は高く
少し躊躇って、でも躊躇う理由はないと自分に言い聞かせてからチャイムを押した。返事はない。
ガーデニングのハナミズキやライラックを眺めているとややあって玄関から叔母が飛び出してきた。
黒紫に染めたふわふわと長い髪が勢いよくなびいている。
「久しぶりね! ナオトくん! 元気!? あ、ごめん。元気じゃないかもね。まぁいいや! ようこそ我が家へ!」
――相変わらずテンションが変な叔母だ。もういい年だろうに明るさが高じてやけに若く見える。どちらかと言えば寡黙だった父さんと違って明るさが取り柄の叔母だ。俺にも同じ血が流れているかどうか本当に疑わしい。
「お久しぶりです。ええと・・・いつもありがとうございます」
そのテンションに反して、これまできちんと実家の整理を進めてくれた叔母に、深々と頭を下げる。
「兄さんのことはいいからいいから、あがって」
「お、お邪魔します」
感謝しながらも少しだけ苦手な叔母だった。
やけに整理された居間で所在なさげに立ち尽くしていると麦茶を持った叔母が駆け足で現れた。
「まぁまぁ座って座って」
ダイニングテーブルの前には、椅子が一脚しかない。座っていいものかとためらったが、叔母の視線を追う限り、そこに座れということらしい。
「ありがとうございます」
着座早々デンっと麦茶が置かれる。
「で、どうだった?」
実家のことを聞いているのは明白だった。
「綺麗に片づけてくださってありがとうございます」
叔母は立ったまま、「そうじゃない」と言いたげな顔をした。
「ちゃんとお別れは言えた?」
「おかげさまで・・・あ、あぁ、これ・・・鍵」
「どうもどうも」
鍵を返せば目的は完了だ。やることはなく、報告すべき言葉も見つからずに一瞬の沈黙が流れる。
何かを見抜いたような視線が俺を貫く。次の瞬間、叔母の顔が急接近した。目元が父さんに似ているな・・・と思った途端――匂いを嗅がれた。
何をしているんだこの叔母は。
「くんくん・・・この匂い・・・女の匂いね!」
なぜ分かる・・・。ぞくりと背中が粟立った。
「彼女はいませんよ・・・」
「 “彼女は” ねぇ・・・まぁいいわ! 大事にするのよ! あ、麦茶全然飲んでないじゃない! 5月でも熱中症怖いのよ? さぁグイっと」
なんなんだ・・・と思いつつ麦茶を飲み干し、グラスを机に置いた途端第二陣が注がれた。
「さて、仕切り直して良いかしら」
「ど・・・どうぞ」
武人が向き合うような、凪いだ、けれども緊張感を伴う間が流れる。
グラスの氷が音を立てた時、意を決したように叔母が口を開いた。
「ナオトくんはこれからどうするつもりなの?」
色んな含みを持った言葉だった。返す言葉を探していると椅子と俺に挟まれた薄い財布がやけに存在感を放った。やけ気味に、沈黙を埋める言葉が口をつく。
「・・・働きます。働いて、身を立てます。遺産ももうないですし」
「できるの?」
――できない。と答えるとどうなるのだろうか。
叔母さんに甘えて生きていきます。
実家を売ってできる金はやっぱり俺が貰います。
そんなこと言えるわけがない。
色んな期待を裏切る言葉だと分かった。ふとユリカの顔が頭をよぎる。そんな生き方はユリカに対して恥ずかしいと思った。
ちんけなプライドが俺の中に生まれていたことに少し驚く。
「できますよ・・・多分」
「そ。ごめんね! きついこと言っちゃった。大学辞めちゃってふさぎ込んでたみたいだったけど・・・大丈夫そうね! うん。ナオトくんは大丈夫」
一人で納得したようにうなずく。
本当に大丈夫なのだろうか。
疑問が拭いきれないけれども、口にすればわずかに自信が湧くのだった。
俺の姿に何か思うところがあったのか、確かめるように叔母が問いかける。
「今は・・・今日のナオトくんは行けそう?」
あの事だと直感した。
今日俺がこの町を訪れた真の目的は両親の墓参りに行くことだった。
両親が死んで以来、何度か叔母に誘われることはあったけれど、それでもついに行くことができなかった墓だった。
客観的に見て、墓開きにさえ姿を現さない息子は、ひどく薄情に見えただろう。しかし叔母は責めることなく、ただ「気が向いたらね」と言ってきたのだった。
昨日、両親が死んだことを思って、初めて泣いた。その瞬間、ふと墓参りに行こうと思った。――だから俺は今、ここにいた。
「墓参り・・・ですよね。行こうと思います。ちょうどいい機会ですし」
所在なさげに髪をいじる叔母の目がふっと和らいだ。
「いいわね! バシッと行ってきなさい! 兄さんも、ナオトくんのもお母さんもきっと喜んでくれるわよ!」
「だと良いんですけど」
「子供が来て喜ばない親なんていないわよ! ・・・多分。わたし子供いないから知らないけど・・・ぶー」
「・・・はは」
「何よその乾いた笑い方。笑うところよ?」
「返事に困ること言わないで下さいよ」
「まったく。硬いところまで兄さんそっくりね」
「そんなに似てますかね」
「似てる似てる、似まくりよ! 変に律義なところとか、大人しいところとか、口下手だけど実は情に厚いところとか」
「最後のはどうだか・・・」
「そう? あなたのお父さん、ああ見えて結構激情タイプだったのよ?」
「そうですかね、あんまりそんな姿見たこと無かったですけど」
「表には出さなかったからねぇ・・・でもね、そんな人だったから『頑張って幸せになれ』って応援してると思うわよ」
「幸せになれ・・・ですか」
「そう。幸せに。あの人、事あるごとにあなたに幸せになって欲しいって言ってたわ。本当よ?」
「・・・」
「そんなに深く考えなくたって良いわよ! 隣に居る人をちゃんと見れば、きっとそこにあるはずよ」
「・・・頑張ります」
「自然体よ、自然体! 肩ひじ張らなくても大丈夫。あっごめん、説教くさくなったわね! まったくもう、年取るといいことなんてないんだから」
「説教だなんて・・・ありがとうございます」
いつの間にかのどが渇いていた。氷が解けかけた麦茶を一気に飲み干す。
「お、良い飲みっぷり。もう一杯いっとく?」
「いや、大丈夫です。そろそろ行きます。本当諸々ありがとうございました」
自然と深く頭が下がった。
「そんなかしこまらなくて良いわよ! また来てね。あ、彼女、大事にするのよ!」
「そんなの居ませんって」
お土産にと、なぜか渡された梅干を手に玄関に向かう。
外に出ると桃色のライラックが、その花弁に水滴を煌めかせていた。柄にもなく花って良いなと思いつつ、軒先で見送り手を振る叔母に改めてお辞儀をする。
来た時よりも日が高くなっているようだった。




