第15話 静かなお城の女の子
文明の利器、スマホによると奥多摩湖にあるダムのほとりで星が良く見えるらしい。それに今日は新月。はじめての星見に向けて舞台が整っていた。舞台袖のベンチでただ夜を待つ。
日が落ちて、周囲が闇を受け入れ始める。まだ見えない星空への高揚をごまかすように口を開いた。
「したいことがないなら、これをしたいことにしたらどうだ」
「これ?」
「あぁこれ、星だとか、自然だとか、そういうのの観察」
「・・・それもいいわね」
不思議とその口ぶりは、諦めたはずの未来を、それでも考えてしまうような寂寥を思わせた。
「その隣にナオトくんが居たらいいな」
独り言みたいにユリカがつぶやいた。
「・・・」
「なんで黙るかな。やっぱ今の無し! でもいいわね自然観察!」
良い未来図だと思ってしまった。そう、思ってしまった。
いつか近い未来、ユリカの記憶が戻って、俺が社会復帰したら?
ユリカはどうなる?
沈黙にしか逃げ場がなかった。
空気を変えるようにユリカがぽつりと呟いた。
「ねぇナオトくん、星には女神さまがいるんだって」
ユリカの声が沈殿した意識を引き上げた。
「女神さま?」
「太陽には神様、だから星には女神さま。星の女神さまは気まぐれで願いを叶えてくれるらしいわ」
色んな神話をごちゃ混ぜにしたような話だった。
「じゃ何か願おうかな」
「良いじゃない、何をお願いするの?」
「・・・意外と思いつかないな」
社会復帰でもない、停滞でもない、曖昧な・・・何か。
それを形にする言葉を俺は持っていなかった。
言葉を探すように空を見上げた時、ユリカも同時に上を向いた。
「「あっ」」
――純粋な星々がただ、そこに在った。
「綺麗、だな」
「・・・」
そこまで、期待していたわけじゃない。でも景色に圧倒された時には陳腐な感想しか出せないことを初めて知った。
星を見るユリカの頬には・・・なぜか、涙があった。
「どうした、泣くほど綺麗だった?」
「星、綺麗だなって・・・ずっと見たかったなって」
「ずっと・・・?」
「・・・わたし、少しだけ、思い出したの」
大きく脈打った鼓動が目を開かせた。じっとユリカを見つめ沈黙で言葉を促す。
一拍おいて、飴玉の詰まった瓶からどれにしようかと迷うみたいに言葉を紡ぎ出すユリカ。
始まったのは、突拍子もない朗読会だった。
「・・・昔昔あるところに小さな女の子が居ました・・・」
ふとすれば夜へと溶けていく物語にそっと耳を傾ける。祈りにも似た視線だけを向けて、途切れかける物語に続きを求めた。
†
静かなお城に閉じ込められていた女の子には楽しみがありました。
どこからか逃げ出してきた男の子が会いに来てくれるのです。男の子は色んな遊びを教えてくれて・・・お礼に女の子はお城の食事を少し盗んで一緒に食べました。
いつもは味気ないお城の食事も半分こすればずっと美味しくて、いつしか女の子は恋をしました。
でも幸せな日々は長く続きませんでした。女の子ときっとずっと一緒にいた悪魔は嫉妬しました。悪魔は女の子を離さないために、地下の深くて暗い・・・時間さえも止まったような牢屋に閉じ込めてしまったのです。出してと叫んでも声は届きません。
寂しくって悲しくって、そのまま、女の子は目を閉じました。
暗闇の中で思いました。あの男の子に伝えそびれた言葉がある。いつも何かに怯えていたあの子が、もう逃げなくても良くなるような魔法の言葉が。その言葉は願いになって飛び出しました。
石の壁も、鉄の扉も難なく超えて、願いは空へと駆けていきます。
冷たい空気や熱い太陽の光に、その身を魂ごと削られながら。やがて願いは星の女神さまのもとに辿り着きました・・・。
「・・・」
「・・・」
「・・・おしまい?」
「おしまい。続きはあるかもしれないけど・・・思い出せないや。願いの結末も、それを聞いた女神さまがしたことも」
伝えたい何かにお伽噺の仮面を被せたのか、ただ小さいころに聞いた話を少しだけ思い出したのか・・・その曖昧さが救いに思えて、追及する口をつぐんだ。
もし、空の星から望遠鏡をこちらに向ければ、過去の全部を知ってしまうことになるのだろうか。
「そろそろ帰るか」
「そうね」
タッタと湖の畔にかけるユリカ。笑っているのか、泣いているのか、こちらを向く顔を夜が隠した。でも、後ろの星々が作り上げた白光は翼のようで、そんなユリカを、女神さまのように思った。
「今日はありがとね! ナオトくん」
†
星を見た俺たちに重税が課せられていた。
東京とは言えども、奥多摩の終バスは早い。そのことをまるで知らなかった。駅まで約六キロメートル。時折横切る車に怯えながら夜道を歩いていた。最初こそは星の感想や秋葉原の話なんかをして気を紛らわせていたけど、すぐに話題が尽きて、仕方なく最後には黙って歩いた。
マップアプリを水先案内にしてただ歩く。たまに後ろを振り返って確認するユリカの姿に、俺は一つの確信を得た。照れくさくて恥ずかしくて誰にも言えないような、そんな確信。
――渇望だった。
人から逃げ回る俺が持つ矛盾した渇望。
人間関係の構築を脱税しながら俺は、こんな風に他愛もなく話せる誰かを望んでいた。
愚か者の願いだった。いろんな奇跡が折り重なった偶然なのかもしれない。でも俺はそんな奇跡を手放したくないと思っている。
暗闇の中で幼い俺が泣いている。誰にも言わず、自分さえにも言わず、あの子との再会を望んだ自分。ユリカは、そんなかつての俺への慰めのように思えた。
やがて見えた駅の光は映画のエンドロールのような寂しさと充足感を同時に感じさせた。
光に吸い込まれるように駅に入り、そして電車に乗り込んだ。ゆりかごみたいなその振動が心地よくて、隣に感じる肩の重みに異常な幸福を感じながら、そっと目を閉じた。




