第13話 箱の鍵、探索の果てに
「わたしの探索から逃れるとは・・・」
「多分、無いものを探してたんだからしょうがない。でも傾向は何となく分かったぞ」
青の看板の某大手ショップと、同じく大手のオレンジの看板の某ショップにはその気配さえ見つけられなかった。
トレンド最先端を突っ走る店には、古い、それもややマイナーなアニメの品は置いてないらしい。
「傾向? 何か心当たりができたの?」
「中古品が置いてそうな店に焦点を絞ろう」
言葉がやけに弾んでいた。
そもそも瓦解した目的に向かって二人で駆けることは案外楽しかった。
心もとない貯金と、今のところ叶いそうにない就職のビジョンはどこかへ隠れてくれたようだ。
しかし、逃避が作り上げた偽物の安寧は、次の店で容易く崩れ去った。
見つかるはずがない・・・ということにしていた箱が、見つかってしまったのだ。
ユリカの声がそれを知らせた。
「ナオトくん! 待って、これ!」
寂れたグッズ屋のショーケースだった。くすんだガラスの奥で、懐にある箱と同じそれが、ただそこに在った。
――魔法少女プリズムプリマギア 秘密のパフュームケース
俺たちが探していたものの名前を初めて知る。
いかにも子供向けの名前は、この箱は確かにあの子から受け取ったものだということを凛然と伝えていた。
二重の恐れがあった。一つは、あの面接がより強固に社会を遠ざけたこと。
もう一つは今、気づいたことだった。
俺はやっと自覚した。箱が開くこと・・・箱が“今この時”を不可逆に変化させるだろうことを、いつの間にか恐れ始めていたことに。
「さ、ショーケース開けてもらいましょう! 店員さん呼ばなきゃ」
「待ってくれ」
弱々しく、その声が響かないようにユリカを呼び止める。片方の恐れが俺の視界をクリアにした。だから働く店員さんの姿が鮮明に見えた。
何らかのファイルを手に歩く人
電話をする人
商品の補充をする人
そのすべてが、俺を非難しているようであり、同時に自分が決してそこに交われないことを告げる。そんな人に近づくのが怖くて怖くてしょうがない。
瞬間、風景があの工場の雑然とした事務所の一角に変わり、言葉だけが空間を飛び回っていた。あの面接の版違いだ。面接官の声が変調を繰り返しながら飛ぶ。
『どうして働こうと思ったのかな?』
『どうして働いてないのかな?』
『どうして働けないのかな?』
恥じらいなく言葉が噴き出す。
――「父さんと母さんが死んだことを考えたくないからです」
人目には破綻しているであろう論理は、俺の中でだけ素晴らしい、凛とした、矢のような、切先の閃光のような一貫性を持っていた。
そして、もう一つの恐れ・・・。箱が開く可能性は、むしろ俺を社会から遠ざけた。
「大丈夫。・・・大丈夫だから」
ユリカの声が、いつの間にか顔を覆った手のひらの暗闇から俺を連れ戻した。
前髪が汗の雫で光っている。黒くうごめく何かが全身を濡らしていた。
「・・・ユリカ?」
「そう、わたしはユリカ。今、ナオトくんの隣にちゃんといる。だから大丈夫。」
「・・・」
「箱を見たとき、少しだけ思い出したの。箱の中にはナオトくんを大丈夫にする何かがある。きっと、怖いものじゃない。それに・・・」
ユリカの両の手が、俺の頬っぺを掴んだ。じっと射貫く視線。俺の躊躇いごと後ろに抜けていくような・・・。
「わたし、ナオトくんに、わたしの記憶を戻して欲しいんだ」
はっとした。
今、ここにいる理由を思い出した。
俺は俺のためにいるんじゃない、目の前のユリカの・・・ユリカの記憶を求めてここにいるんだ。
自分事では動けない、でもそれが誰かのためなら動ける。
極めて模範的な社会性じゃないか。
知らない自分に気が付くあたり、例えこれが偶然の産物だとしても、箱は否が応でも俺を社会に引っ張っているのかもしれない。
ユリカのために頑張る。それが今の俺の行動原理だ。
足が店員さんに向いた。その後ろ姿は、今、手を伸ばすことができる範囲にある。
脈打つ鼓動は胸を痛ませない。それを自覚した時、自然と口が開いた。
「・・・すいません、少しよろしいですか」
言葉の尻は途切れていた。それでも、透明な隔たりは確かに開き、手元の箱と同じそれは目の前に鎮座した。
――銀細工を縁にまとった黒い箱、目当ての鍵は無造作にテープで側面に張り付けられている。
付いた値札は3000円。俺の人生を、変える値段。
それを目の前にした後は、流れるように事が進んだ。
店前のベンチに座り一息つく。数分ぶりに呼吸をしたようだった。
「開けるわよ」
余韻を噛みしめる間もなくユリカが言う。
途方もなく長く思えた購入までの一連も、傍から見ればただ、ガラスケースの商品を買っただけだ。時間にすれば5分もかからなかった。余韻も何もないだろうし、そこに自分の記憶があるのならば急かす気持ちも理解できる。試練の突破は思考と時間感覚を正常にした。
「開く保証はないけどな」
「それでも、試さなきゃ」
この作戦は玩具だから同じ鍵が使えるだろうというセキュリティ意識の欠片もない発想の上に成り立っている。
それでもと事を急ぐユリカの姿は記憶がないという切実な焦燥を感じさせた。
開くという恐怖。開かないだろうという楽観。後者にベットして、もう一つの箱に張り付いた鍵を剥がし取った。
指先の重みが鍵の実在をありありと伝える。少し引っ掛かりながらも鍵は奥まで届いた。
固唾を飲むユリカに見守られながら指に力を込めると、鍵は――回らなかった。
瞬間、ユリカは目を少し開いた後、折り重なった感情を吹き飛ばすように大げさに笑った。
「やっぱり・・・開かないや!」
無理に形を保った笑顔だと分かった。
作戦は失敗だ。あっけない結末が呼んだ沈黙に抗うようにユリカは鍵を何度も往復させている。
「どうかされましたか?」
突然降りかかった声だった。商品の不備を不安に思ったのか、中年の店員さんが柔らげな表情を携えて声をかけてきたのだ。身構える間もなくユリカが答える。
「箱が開かなくて・・・この鍵って別の箱には使えないんですか?」
言葉足らずにユリカが言う。しかし2つの箱と一つの鍵の光景に察するところがあったようだ。
「量産品ですし、使えると思いますよ。少しお借りしてもよろしいですか」
まずは、自分たちの商品を確かめるように、元々陳列されていた箱を開けて見せ、次に俺たちの箱を手に取る。その手ぶりは鍵の互換性を当然のように示していた。
――穴だらけのように思えた作戦は、どうやら良い線を行っていたらしい。単なる思い付きの中に確かな活路があったことに内心驚く。
「これは・・・珍しい」
「珍しい?」
今度は俺が答えた。
「お二人の箱は限定品ですね。ほら視聴者プレゼントとかあったのって覚えていますか?」
視聴者プレゼント――確か、番組の最後に流れる「応募してね」ってやつだ。
「あぁ・・・あったような」
「この二つをよく見てください」
ユリカと一緒に店員さんの手の中にある箱を見比べる。
――確かに俺たちの箱には、さっき買った箱よりも重厚感があって、特に装飾が違っていた。片方はただの着色、もう一方・・・俺たちの箱の銀細工は、本物の銀じゃないにしても何かの金属によって丹念に作り込まれていた。
「貴重なものですから大切にするのが良いと思いますよ」
そう言い残して店員さんは去っていった。
「一筋縄じゃ行かないみたいね」
そう言ってユリカはまた少しだけ笑った。
ユリカもまた、開かなかったことに少しだけ安堵しているのではないか。
この笑顔の根源が、俺と同じであることを願う自分が酷く卑しい人間に思えた。




