第六話 「参府」
文政九年、正月。
まだ明けきらない大波止に、旅支度の一行が集まっていた。
オランダ商館長の江戸参府。
4年に1度、商館長が江戸へ上り、将軍様に拝謁して献上品を納める、出島でいちばん大きな旅だ。
商館長のステューレル様、書記、そしてヤンセン様。
日本側からは、検使のお役人に、江戸番を務める大通詞の岩下様。
荷を運ぶ人足、駕籠かき、料理番。総勢で百人を超える長い列になるという。
その列の末席に、私がいた。
稽古通詞が参府に加わることは、まずない。ヤンセン様が「イオーリ、イッショ、イク」と言って譲らず、商館長様から奉行所へ願いが出され、なぜか通ってしまったのだ。
岩下様は、そのことを伝えに来た夜、いつも以上に石のような顔をしていた。
「今村。道中、お前はヤンセン殿の付き通詞として働け。それ以外のことには、口を出すな」
「はい」
「それから」
岩下様は、ほんの少しだけ間を置いた。
「江戸は、長崎ではない。言葉ひとつで首が飛ぶ所だと思え」
そう言って帰っていく背中が、心なしか、いつもより丸く見えた。
列の中ほどに、見慣れない若者がいた。
背が高く、肩の厚い、眉の太い男だ。
供の者の着物を着ているが、荷を担ぐ手つきが、どうにもぎこちない。
「お前が、今村伊織か」
男は、私を見下ろすようにして言った。
「鳴滝の塾頭、岡野旺棋だ。ヤンセン先生の従者として同行する」
塾頭。ヤンセン様の塾で、いちばんの秀才だと噂に聞いていた。
陸奥の水沢から、蘭方を学ぶためだけに長崎まで来た男だという。
「先生は、お前の耳を買っておられる」
「……恐れ入ります」
「だが、俺は耳でも学でも医術でも負けん」
岡野殿は、にやりと笑った。
「蘭書を読ませれば、長崎の通詞の誰より速い自信がある。お前が聞いて訳すより先に、俺が読んで解いてやる」
ずいぶんな自信だった。けれど、嫌な感じはしなかった。
この人は、本当にそう信じているのだ。
その横で、絵師の紀下回庵殿が、黙々と画帳と筆の束を荷にくくりつけていた。
道中の景色も、人も、草木も、すべて描き留めてオランダへ送るのだという。
出立の刻限が近づいたころ、人垣の向こうに、見覚えのある姿があった。
華殿だった。
なぜここに、と思う間もなく、華殿はまっすぐ私の前まで歩いてきて、一冊の薄い帳面を突き出した。
「これを」
「……これは」
「道中で目にするであろう草木の、和名と漢名を書き留めておきました。本草の書から、主だったものだけ」
めくると、几帳面な字がびっしりと並んでいた。
石蕗、南天、山茶花。和名の横に、唐土での呼び名が添えてある。
「蘭方の医者は、行く先々で草木の名を聞くと聞きました。蘭癖の次男坊はオランダ語は分かっても、漢名は分からないでしょう」
「わざわざ、私のために」
「――勘違いしないでください」
華殿は、きっと私をにらんだ。
「江戸で、長崎の通詞は字も知らぬと笑われたら、長崎の恥です。それだけです」
そして、くるりと背を向けて、人垣の中に消えていった。
横で見ていた岡野殿が、ひゅう、と口笛を吹いた。
「おめ、らずもね相手にまなぐつけられでるな。あのおなごは別嬪だどは思うが、おらはあいな気の強い女は無理だ」
半分も分からなかった。
ただ、「まなぐ」が目のことだとは、どうにか察しがついた。そして、華殿を褒めているのか、からかっているのか、その両方なのだということも。
「……岡野殿。もう一度、長崎の言葉でお願いできますか」
「えらい相手に目をつけられたな、と言うたんだ」
玄伯先生と、同じことを言われた。
普段は堅い江戸ふうの言葉で話す岡野殿だが、冗談めかしたときだけ、陸奥の言葉が顔を出すらしい。
旅は、長かった。
長崎から陸路で小倉へ。
関門の海を渡って下関。
そこから船で瀬戸内の海を東へ進み、室の津で再び陸に上がる。
そして大坂、京。
ヤンセン様は、行く先々で、あらゆるものの名を聞いた。
「イオーリ、アレ、ナニ」
山の名。川の名。宿場の名。道端の地蔵。茶屋の団子。村の子どもが歌う手鞠歌。
私はそのたびに、日本の名を言い、オランダ語で意味を添えた。
ヤンセン様はそれを帳面に書きつけ、回庵殿がその横で絵にした。
そして気づいた。
宿場を一つ越えるたびに、人々の言葉が変わっていく。
小倉の言葉は長崎に近かった。下関では、語尾の調子が違った。
瀬戸内の船頭たちの言葉は、また別のものだった。
大坂に着くころには、宿の女中の早口が、半分しか聞き取れなくなっていた。
弥七の島の言葉を、兄上がすらすらと聞き取ったことを思い出す。
私は、オランダ語の耳ばかり鍛えてきた。
けれど、日本の中にさえ、私の知らない言葉がこんなにもあるのだ。
大坂では、一つ忘れられない夜があった。
ヤンセン様が、どうしても芝居を観たいと言い出したのだ。
お役人がしぶしぶ許しを出し、私たちは道頓堀の芝居小屋の桟敷に通された。
演目は浄瑠璃を下敷きにした時代物で、恋人同士が家の争いに引き裂かれる話だった。
「イオーリ、ヤク、シテ」
ヤンセン様は、舞台を見つめたまま言った。
私は、役者の台詞を追いかけて訳そうとした。
できなかった。
言葉が、速すぎるのではない。
古い言い回し、掛詞、太夫の語りに乗った節回し。
一つの言葉に、二重三重の意味が畳み込まれている。
それを一語ずつオランダ語に置き換えようとすると、そのたびに、舞台の上の何かが死んでいく気がした。
私は、途中で訳すのをやめた。
そして、ただ一言だけ、オランダ語で囁いた。
「この娘は、好きな男の家と、自分の家との間で、引き裂かれています」
ヤンセン様は、黙ってうなずいた。
それからは、もう何も聞いてこなかった。
舞台の上で娘が泣き崩れたとき、私はふと横を見た。
ヤンセン様の淡い色の目が、濡れていた。
台詞は、ほとんど訳していない。それでも、この方には伝わったのだ。
言葉を一つずつ移すことだけが、訳すことではないのかもしれない。
その夜、宿に戻ってからも、私はそのことを考え続けた。
尾張の宮の宿に着いたのは、旅に出てひと月半ほどが過ぎたころだった。
熱田の社の門前で、東海道でも指折りの大きな宿場だ。
ここで、ヤンセン様に会いたいという者たちが待っていた。
尾張の本草家の一団だという。
宿の座敷に通されたのは、年配の学者と、その弟子らしい若者たちだった。
その中の一人が、私と同じくらいの年の、目のきらきらした若者だった。
「木島慶介と申します」
若者は、両手で風呂敷包みを差し出した。
解かれた中から出てきたのは、何十枚もの押し葉だった。
どれも丁寧に台紙に貼られ、和名が書き添えてある。
「尾張の山で採ったものです。蘭方の先生に、西洋の名を教えていただきたく」
慶介殿の声は、震えていた。
ヤンセン様は一枚一枚を手に取り、目を細めて眺めた。
そして、オランダ語とも違う、聞き慣れない言葉で、草の名を口にし始めた。
羅甸語だ。
西洋の学者たちが、国の違いを越えて草木を呼ぶための、古い言葉。
オランダ語の書物にもときおり出てくるが、私はほとんど知らない。
ヤンセン様は羅甸の名を言い、その意味をオランダ語で説明する。私はそれを日本の言葉に移す。
ところが、慶介殿が首をかしげた。
「その草は、本草の書では別の漢名で呼ばれております。同じものでしょうか」
私は、詰まった。
和名は分かる。オランダ語も分かる。
羅甸の名も、ヤンセン様が教えてくださる。
けれど、慶介殿の言う漢名が、どの草を指すのかが分からない。
本草学の漢名は、私が稽古通詞の中で学んだ漢字とは、まるで別の世界のものだった。
慶介殿が困ったようにこちらを見ている。ヤンセン様も、私の言葉を待っている。
そのとき、懐の帳面を思い出した。
華殿の、几帳面な字。
急いでめくる。
和名の欄を指でたどる。
あった。
慶介殿の言った漢名が、その横に、きちんと書き添えられていた。
「……同じ草です。漢名では、確かにそう呼ばれます」
慶介殿の顔が、ぱっと明るくなった。
「ありがとうございます! では、こちらの草は」
それから一刻あまり、座敷では、四つの名前が飛び交い続けた。
和名と、漢名と、オランダ語と、羅甸語。
慶介殿が和名と漢名を言い、私が華殿の帳面でそれを確かめ、オランダ語に移し、ヤンセン様が羅甸の名を答える。
それを、また私が日本の言葉に戻す。回庵殿は、その一枚一枚を写し取っていく。
四つの国の言葉で、一本の草を呼ぶ。
一人では、とても訳せなかった。
華殿の帳面がなければ、木島殿の問いに一つも答えられなかった。
別れ際、ヤンセン様は木島殿の手を両手で握り、片言で言った。
「キジマサン、ナガサキ、イッショ、ベンキョウ」
木島殿は、深々と頭を下げた。その肩が、小さく震えていた。
宿を出たあと、岡野殿が私の横に並んだ。
「あの帳面、林家のお嬢のものだろう」
「……ええ」
「惜しいな。あれだけの漢名を書ける者が、長崎の唐通事にも、どれだけいるかわからん」
岡野殿は、それ以上は言わなかった。
私も、黙って懐の帳面を押さえた。
長崎に戻ったら、礼を言おう。
たぶん、また「勘違いしないでください」と言われるのだろうけれど。
文政九年、三月。
私たちは、ついに江戸に入った。
品川を過ぎ、人の波をかき分けるようにして、日本橋へ。
長崎のどんな祭りの日よりも、人が多い。
物売りの声、駕籠かきの掛け声、どこかの屋敷から聞こえる三味線の音。
そのすべてが、私の知らない江戸の言葉だった。
オランダ人一行の定宿は、日本橋本石町の長崎屋だという。
宿の前には、もう人だかりができていた。
異人を一目見ようという町人たちに混じって、羽織袴の男たちが、何人も門前で待っている。
「蘭学者たちだ」
岩下様が、低い声で言った。
「江戸中の学者が、蘭人に会うために集まってくる。これからひと月、この宿は昼も夜も客が絶えん。お前は休む暇もないと思え」
私は、門前の男たちを見渡した。
その中に、一人、杖をついた白髪の老人がいた。
まわりの学者たちが、皆その老人に道を譲り、頭を下げている。
老人の横には、息子だろうか、四十がらみの男が、そっと寄り添っていた。
そして、少し離れたところに、もう一人。
私よりいくつか年上の、痩せた男だった。
腕に何冊も書物を抱え、異人の一行ではなく、なぜか宿の看板を、じっと見上げている。
その目が、ふと私と合った。
男は、小さく会釈をした。
あれが誰なのか、そのときの私は、まだ知らなかった。
最後の杖をついた老人は、この作品でも屈指の大物です。
ちなみに、どうしても出したかった実在の人物です。
岡野旺棋……鳴滝の塾頭、トップ。岩手県水沢出身。天才と称される蘭方の腕前を持つが、玄伯以上の自信家で偏屈者。実在の鳴滝塾塾頭・高野長英がモデル。たまに故郷の仙台・水沢の方言がまじる。
木島慶介……尾張の本草学者。今回の江戸参府途中でヨハンに会い、翌年長崎へ留学することになる。本職は植物学者・本草学者。モデルは「おしべ」「めしべ」「花粉」という言葉の考案者、伊藤圭介。




