『公女殿下、野外演習の弛緩した環境をリファクタリングする』
フェルクシア王国の王都「フェルクス」から馬車で半日ほどの場所に広がる、レクシア平野。
普段は遮るもののない青空と緑の絨毯が広がるだけのその平野は、今、無数の軍用テントが整然と並ぶ、無骨な「前線基地」へと姿を変えていた。
数年おきに定例となっている、王国軍と魔術師団の総合野外演習。
草原の魔物や害獣の間引きを兼ねたこの大規模な遠征演習は、その安全性の高さから、現場の兵たちの間では通称『たのしいピクニック』と揶揄されている。
だが。
そんな弛緩した空気が漂う演習場の一角にだけ、明らかに周囲の光景から浮き上がった、異質な『超高級サロン空間』が局所的に生み出されていた。
極上の天幕の中に敷き詰められたふかふかの絨毯。贅を尽くした調度品。そして、最高級の茶葉がもたらす優雅な香り。
およそ泥臭い野外演習には不釣り合いなその空間の片隅で、背筋を硬直させた二人の女性が、借りてきた猫のように小さくなっていた。
「……ねえ、ディオ姉。私の目がおかしくなったんじゃなければ、ここだけ世界の理が狂ってるように見えるんだけど」
「げ、現実逃避しちゃ駄目よハンナ! 私だって、自分の五感が正常かどうか疑いかけてるんだから……!」
「――お嬢様、マーキス・マーカスのセカンドフラッシュが淹れたてでございます。砂時計の計測ログに1リコの狂いもございません」
「ありがとう、アンネ。いつもながら完璧なタイムマネジメントですね」
白を基調とした最高級の日傘の下、ルーナティアは、ライ=ヴァルク公爵家の圧倒的な資本力によって局所的に構築された『超高級サロン空間』で、優雅に極上の紅茶を口に運んでいた。
領内の特級温室でしか育たない魔導柑橘『ベルガモンド』の気品ある香りが、殺風景な平野に不釣り合いなほど華やかに漂う。
ルーナティアはにっこりと微笑んで頷くと、そのまま、青い顔で硬直している先輩たちへと視線を向けた。
「グレンヴィル団長にバルクマン先輩? 先ほどからお茶が進んでいらっしゃらないようですが――もしかして、お口に合いませんでしたか?」
「「めっ、滅相もございません公女殿下(公女様)ーーーッ!!!」」
寸分の狂いもない完全同期のコーラスで叫び、慌ててティーカップを手に取る二人。
だが、冷や汗を流しながらも恐る恐るその琥珀色の液体を口に含んだ瞬間――ハンナのシステム(理性)が、あまりの美味さにバグを起こした。
「うンま! なにこれ! こここ公女様、こんなん飲んでんの!?」
「ちょっとハンナ!? 言葉遣い! 言葉遣いエラー吐いてるわよ!?」
驚愕のログを出力――素で絶叫したハンナを、ディオナが自身の胃を押さえながら必死に咎める。
そんな賑やかな先輩たちを見つめながら、ルーナティアは「ふふ、お気に召していただけて良かったですわ」とおっとりと微笑み、自身のカップを味わい直して視線を演習場の中心へと向ける。
そこでは、他の魔術師団の『一級魔法士』たちが、草原に現れた害獣の群れを相手に、これ見よがしな大声を張り上げていた。
「――大気にとどまる炎の精霊よ、我が呼び声に応え、敵を焼き尽くす烈火の球となりて撃ち出されよ! いざ行かん、ハァァァァッ!!」
本来なら「『烈火の球』」という平易な合言葉をワンタップするだけで即座に発動するよう、先人たちが世界の理 《アカシックレコード》に登録してくれた定型化マクロ(魔法)。
にもかかわらず、現代の魔法士たちは「それっぽい口上があった方が格好いいから」という極めて頭の悪い理由で、わざわざ自分から冗長な装飾を盛り盛りに肉付けして唱えていた。
自ら無駄な遅延時間を発生させておきながら、ようやく火球を出力させた現場の魔法士たちは、「これぞ現代のスマートで高尚な戦闘だ」と言わんばかりにドヤ顔を浮かべている。
(……はぁ。システム本来の低遅延の利点を自ら潰して、要らない盛り付けばかりして……融通の利かない『伝統魔法』の使い手たちは、見ていて目眩がいたしますわね)
ルーナティアは『フィジカル・アナライズ』の眼で、彼らの発動した魔法のログを解析していた。
ただでさえあらかじめ羊皮紙に固定された数値の通りにしか出力されず、現場の地形や魔物の個体差に合わせた微調整が一切利かない魔法だというのに、あんな無駄なヘッダ情報を読み込ませていては精神のメモリの無駄遣いだ。
おまけに、出力を少し上げるためだけに無駄に魔力をドバドバと注ぎ込んでいるため、周囲の空間に深刻な魔力汚染のノイズを引き起こしていた。
(本来の「魔術」の精緻なコードを直接書き換え、リファクタリングすれば、もっと少ない魔力で何倍もの出力を出せますのに。発動までに時間がかかるという魔術本来の仕様なら、私の『無詠唱3並列』でとっくにパッチを適用していますわ)
『やれやれ、ルーナティア。あの子たちの術式は、ずいぶんと見事なスパゲティ状態だね。インデントすら狂っているじゃないか。まるで、よく切れないナイフで刻んだ古いオマットのサラダを見せられている気分だ。効率が悪すぎて、見ていて少し頭が痛くなってくるよ』
ルーナティアの持つ杖のコアから、ライ・ヴァルクの呆れた脳内念話が飛んでくる。
(ええ、ライ・ヴァルク様。あんな非効率なマクロ、私なら3行にリファクタリングして、無詠唱で3並列処理しますわ。……うずうずします。今すぐあの冗長なコードを綺麗に書き換えて差し上げたいです……!)
ウズウズと右手を小さく震わせるルーナティア。完全なエンジニアの職業病――リファクタリング衝動である。
だが、ここは平和な『たのしいピクニック』。彼女が手を下すまでもなく、だらだらとした遠征演習は数フーロの定時通りに終わるはずだった。
ルーナティアは深くため息を吐くと、その退屈な「魔法士団」の陣地から、さらに前線――泥臭い鉄の匂いと、実戦の熱気が立ち込める「騎士団」側の領域へと、静かに視線を移していくのだった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
紅茶の名前、少し考えました。
最初はダージリンをベースにしようか迷ったのですが、妙案が浮かばなかったのでアールグレイへと変更。
アールグレイの名の由来が1830年代にイギリスの首相を務めた実在の政治家、第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ――伯爵(Earl / アール)のグレイということです。
ので、その一つ上の爵位、侯爵(Marquess / マーキス)とし、韻を踏むように「マーカス」という名を出しました。
なので、この紅茶は、マーカス侯爵が発明した紅茶、という意味になります。
領地経営にバグった内政チート(またはただのグルメ)で有名な「マーカス侯爵」が、お抱えの錬金術師に命じて開発させたフレーバーティー。
ナーロッパ名物の「魔植物の果実」や「幻の柑橘類」の香りとして、魔導柑橘『ベルガモンド』を極秘の魔術製法で定着させている、という裏設定があったりします。
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