『公女殿下、総合団長室のパワハラ環境をリファクタリングする』
「……はぁ。市場に売られていく仔牛って、こんな気分なのね」
「いや、ディオ姉よぉ、あいつらにそんな感情はねぇって! むしろ今の気持ちは、戦場へ赴く兵士なんじゃないか?」
「ほう。私と戦う気で来た、と?」
「「ヒッ……!?!?!」」
ライ=ヴァルク総合団長室へと続く、静まり返った豪華な廊下。
完全に死罪を覚悟して絶望の淵に立たされていた師団長のディオナと、妙にズレたツッコミを入れていたハンナ先輩の心臓が、同時に一リコ単位でフリーズした。
二人は幽霊でも見たかのように、声のした方へ恐る恐る視線を向けた。
そこには、団長室の重厚な扉の前で、これ以上ないほど冷徹な威厳を放ちながら腕を組んでいる一人の男の姿があった。
フェルクシア王国最高峰の魔術師であり、ライ=ヴァルク公爵家の現当主――マギウス・マギア・ライ=ヴァルクその人である。
((終わった……!! 廊下で不敬な雑談を吐いてたの、ぜんぶ閣下にダイレクトパスで聞かれてた……!!))
二人が完全に白目を剥いて泡を吹きかける中、ルーナティアは一歩前へと出て、ジト目で呆れたような声を上げた。
「……お父様、わざわざ部屋の外で待ってらしたのですか?」
「ル、ルルル、ルーンーーーーーッ!?!?!」
最愛の娘から、あまりにも的確なデバッグ――「待ちきれなくて部屋の外に出てそわそわしてたの?」という指摘を喰らった瞬間、マギウス閣下が纏っていた国家最高峰の威厳が音を立てて大崩壊した。
「違う! 違うのだルーンよ! 私はただ、廊下の空気の換気ログを最適化しにだな……いや、そんなことはどうでもいい! 無事か! 悪い男に噛まれてはおらんかーっ!!」
マギウスは超高音質クリアボイスで叫びながら、高級絨毯の上を滑りそうな勢いで愛娘に抱きつこうと猛突撃(突入コマンド)を敢行した。
「――恐れながら、旦那様。ルーン様がお疲れでございます」
だが、その親バカな暴走は、ルーナティアの手前にすっと割り込んだアンネローゼの、完璧に洗練された一礼の所作によって静かにインターセプトされた。
アンネローゼは頭を深く下げながらも、その手に携えた愛用の杖を、一リコの遅延もなくお父様の進行軌道を優雅にいなす絶妙な角度でホールドしてみせたのだ。
ライヴァルク流杖術の師範代としての技が、主従の礼節を一切崩さぬまま、現当主の突撃を綺麗に強制終了させる。
さらにその真横では、ポムが例の『メイドの威嚇ポーズ』を旦那様に対しても一切の容赦なく敢行していた。お淑やかな挨拶の皮を被った野生のシステムの構えが、完璧に固定されている。
「コ、コホン……! あ、ああ、すまない。少々取り乱した……」
洗練された一階級上の防壁と、幻獣のあまりに前衛的なセキュリティを前にして、マギウスはようやくハッと我に返った。
すかさず何事もなかったかのように高級な上着の襟を正し、一つ大きな咳払いをする。
次のスコネッドには、再び廊下の温度が数度下がるほどの冷徹極まりない「総合団長」のシステムへとログインし直していた。
「さて」
その瑠璃色の鋭い双眸が、未だにガタガタ震えている二人の魔法使いへと向けられる。
「――グレンヴィル第八師団長。ならびに、バルクマン一級魔法士。我が娘を危険な前線に連れ出し、さらには悪い虫どもを群がらせた事の経緯について、じっくりお説教をしようか」
その氷点下の双眸に見据えられ、ディオナとハンナ先輩は揃って喉を鳴らした。
「「了解です閣下」」
マギウスが促すと、重厚な団長室の扉が静かに開かれる。
『はっはっは! 娘の前で格好をつけようと必死だな、外面だけは良い父親だ。……なあルーン、あやつの内心のパニックログは、今「娘に嫌われたらどうしよう」で八割が埋め尽くされておるぞ』
(もう! ライ・ヴァルク様ったら、お父様をからかわないでください)
ルーナティアは、杖に宿るご先祖様のフランクな爆笑に脳内でぷりぷりと怒りつつ、ダボ袖を揺らしてお淑やかに部屋へと足を踏み入れた。
団長室の内部は、王国の最高権力者の一人にふさわしい、洗練された重厚な調度品で満ちていた。
マギウスは執務机の奥の椅子へと深く腰掛け、再び冷徹な上司の表情を稼働させる。
その正面で、ディオナとハンナ先輩はまるで裁判を待つ罪人のように、背筋をこれ以上ないほど伸ばして直立不動で並んでいた。
ルーナティアはアンネローゼとポムを従え、少し離れた応接用のソファへと優雅に腰を下ろした。
戦々恐々としながらお父様の理不尽な威圧感に耐えている、直立不動の先輩二人。ルーナティアはその姿に(早く魔導具の開発業務に移ればよろしいのに……)と、呆れの混ざったジト目を向けながら、お淑やかに静観する。
我が娘の冷ややかな視線をその頬に浴びながらも、マギウス閣下は威厳を保つように、重々しく机を叩いた。
「グレンヴィル師団長。報告書はすでに訓練場の結界から自動同期されている。我が娘、ルーナティアが初日から異次元の『無詠唱三並列』による四段重ねマルチバフを構築し、現場の前提をリファクタリングしたそうだな?」
「は、はいッ! 閣下! ルーナティア様の生の魔術は、既存のアカシックレコードの仕様を完全に超越しておりました!」
ディオナが直立不動のまま、裏返った声で必死に肯定する。
「ふむ……。初日からそこまで完璧なパッチを適用してみせるとは、さすがは私の愛娘。世界で最も美しく洗練された天才プログラムだ……!」
「――お父様?」
一スコネッドだけ親バカのバグが露出しそうになったが、マギウスはすかさず「――うぉっほん!」と大きな咳払いをして冷徹な双眸をハンナへと向け直した。
「だが、バルクマン一級魔法士。技術の確認とはいえ、運動が苦手なルーナティアを、男どもの群がる土煙の前線へ強引に連れ出した不具合は重い。……これよりお前たち第八師団には、今回発生した環境バグを相殺するための、極めて重大な特命仕様を課すこととする」
「と、特命、仕様……ですか?」
ハンナ先輩が不穏なキーワードに顔を引き攣らせた。
マギウスは一枚の書類をディオ姉の前へと滑らせ、冷酷極まりない声で宣告する。
「数日後、数年おきに定例となっている、王都郊外での『総合野外演習』が執行される。草原の魔物や害獣の間引きを兼ねた、大規模なフィールドワークだ。お前たち第八師団も、いつも通り支援魔法の一団として参加してもらうが――」
マギウスはそこで言葉を区切り、瞳の奥にギラリとした過保護な魔力の光を宿した。
「――この定例の野外演習において、我が愛娘ルーナティアを死守せよ! 現場の悪い男どもを半径十ラート以内に接近させる不具合を出した瞬間、お前たちの首を物理的に処刑する。これが今回の特命だ」
「「アイ、サーーーッ!!!!」」
死罪を免れた安堵と、それ以上に理不尽な「公女殿下絶対防御デスマーチ」という特命タスクを課された重圧に、ディオナとハンナ先輩は揃って涙目で直立不動の敬礼を捧げた。
『わっはっは! ルーンのこととなるとマギウスは本当にインテリジェンスが一リコほどになってしまうな』
(もうっ! お父様ったら!)
ルーンは脳内でご先祖様の愉快そうな笑い声にぷりぷりと怒りつつ、すっかり白目を剥きかけている先輩二人を、今度こそ本気で心配そうに見つめるのだった。
こうして、初日の大騒ぎは過保護な特命任務へとスライドする形で処理され、物語の舞台は一気に、王都の外へと広がる広大な草原――ただの魔物間引きに過ぎない、完全無欠の安全性が保証された簡単な野外演習へとシフトしていくのである。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
本作では、現実世界との差異を出すために、距離や時間に関する単位としての用語を別に設けました。
時間に関する単語は、現実世界の英語の単位をアナグラムで変異させて使っています。
距離や長さの単位
• ヴェルト(1000)
• ラート(基準)
• アルコ(1/100)
• リコ(1/1000:アルコの1/10)
時間の単位
• フーロ(huro) ➡ hour(アワー/時)
• アインタム(eintum) ➡ minute(ミニッツ/分)
• スコネッド(sconeds) ➡ second(セカンド/秒)
概念としてはそのまま、現実世界のそれらと同じだと思ってくださって構いません。
あと、今Xで話題になっている「超弩級」も、言語化できたらなぁ、なんて思ってます(笑)
「第1話から出てきた謎の単位の意味、ようやく理解したわ」「トマトとかジャガイモはどうするんだろう」と思ってくださった方は、
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