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『公女殿下、安全第一の初期ビルド(水魔術)に挑む』

「では、ルーナティア様。まずは最も安全性の高い『水』の魔術から、初期化の訓練を始めますわ」


 お給料を10倍に上方修正され、完全に講師としての手順を再起動させたエレノア先生は、キリッと真面目な顔で教科書を指し示した。


「魔術学校のカリキュラムでも、最初は『水』、次に『土』、その後に『風』、最後に『火』の四つの順番で習得していくのが絶対のセオリーとされておりますの。水や土は暴発しても物理的な破壊力が低く、重大な事故に繋がりづらいからですわ」


 エレノア先生のその解説に合わせて、背後に控える有能なメイドたちの配置がさらに一段、ぴしりと引き締まる。

 彼女たちの手には、大量の吸水用布巾、特製の乾燥魔導具、さらにはルーナティアが万が一ずぶ濡れになった場合の着替え一式が完璧な防衛陣形として用意されていた。


「逆に、最初のチュートリアルで『火』などを選べば、可燃物に引火して一瞬で部屋が燃え落ちますから、くれぐれもご注意くださいね」


「……みず、つち、かぜ、ひ。あんぜん、だいじ、ですわね」


 ルーナティアは小さな手を膝の上できちんと揃え、おっとりと頷いた。


 初心者の初めての魔術発動――それは、空間から水がベタベタと漏れ出し、周囲の床や衣服を水浸しにする暴発が当たり前の世界なのだ。

 公爵家の使用人として、令嬢の初めての失敗に対する備えは万全だった。


「ではルーナティア様、まずはこの空のガラスコップを見つめてください。そして、真理の言葉――『アカシックレコード』に登録された水のソースコードを頭の中にロードし、空中からコップへと水が注がれるイメージを持つのです」


「はい、せんせぇ」


 ルーナティアは、机の上に置かれたちいさなガラスコップをじっと見つめた。

 その夜空の星をとかし込んだような瞳が、教科書に刻まれた『初級水魔法』の幾何学記述を秒速で解読していく。


『……ねえポム。このお水のパッケージ、先ほどのスパゲッティな雷と違って、とっても綺麗なプリミティブ型のコードになっていますわ』


 ポムがルーナティアの肩のあたりで、楽しそうに精神回線を揺らす。


『きゅぃ! これならお掃除しなくても、そのまま綺麗にビルドできるの!』


『ええ。ですけれど、先生の仰るように空中からお水をコールしましたら、位置座標のブレで周囲の床を汚してしまいますわ。せっかくメイドの皆様が待機してくださっていますけれど、あのように無駄なリソースを使わせるのは、美しくありませんわね』


 おっとりと佇む三歳の公女殿下の頭脳は、すでに一般の魔術師には不可能な、神懸かり的な領域の解析を開始していた。


 周囲のメイドたちが「いつでも拭き取れます」と言わんばかりに布巾をぎゅっと握りしめ、エレノア先生が固唾を呑んで見守る中――。


 ルーナティアは、ぽて、と小さな可愛らしい右手を、ガラスコップの少し上へと静かにかざした。

 そして、ちいさな唇を開き、おっとりと、けれど一寸の歪みもない精緻な響きで、彼女がゼロから組み上げた未知のコードを紡ぎ始める。


「――座標固定(ロケーション・アンカー)。物理レイヤー、コップ底面を基点(ソース)と定義。周囲の魔素(マナ)をクリーンに集約し、下層より湧き上がれ(インジェクション)」


 それは、エレノア先生の教えた教科書にはどこにも載っていない、世界の理をダイレクトに再定義する、全く新しい真理の言葉。


 上空の不確実な空間からダウンロードする既製の魔法ではない。

 指定したメモリ座標へ一滴の遅延もなくダイレクトに水を発生させる、ルーナティア専用の最適化された魔術の詠唱だった。


 ただ、ルーナティアが定義した絶対の座標に従い――コップの底から湧き上がるように、一滴の歪みもないクリスタルのように透明な水が、静かに満ちていく。


 空間からバシャバシャと漏れ出す常識のバグなど、そこには欠片も存在しなかった。

 床を汚すことも、ルーナティアの衣服を濡らすこともなく、澄んだ水は上へと正確にインクリメントされていく。


 そして。


 コップのフチに達した瞬間、きっかり一リコの漏れもなく――表面張力の限界ギリギリで、ピタッと完璧にすべての処理が停止した。


 プルプルとガラスの縁で盛り上がったまま、一滴たりとも外へ溢れ出さない完璧な静的確保。


「…………な」


 エレノア先生は、手にした教科書を床に落とすことすら忘れ、化石のように硬直していた。


 布巾を構えていたメイドたちも、一歩も動けずに目を丸くしている。


 今、この幼い公女殿下が口にしたのは、教科書にあるお仕着せの『魔法の詠唱』などでは断じてなかった。

 世界の構造を完全に理解し、座標をピンポイントで固定した上で、既存の魔術を独自に最適化したパッチを当てて物理層へ注入する――世界の理そのものを書き換えた、未知の命令言語。


(ア、アンカーだと……っ!? 空間の座標を直接定義して物理層へ直に叩き込んだというのか……!?)


 少し離れた本棚の影で(今回は本棚を壊さないように必死に耐えながら)その全貌をリッスンしていたマギウスの思考回路は、あまりの衝撃にオーバーヒート寸前だった。


(本来なら第3階梯以上の空間制御魔術で使われる高度な術式コードだぞ……!? それを、初めての水魔術の訓練で事も無げに組み込み、完璧に表面張力を制御してみせただと……!?)


 そんな大人の驚愕など露知らず。


 ルーナティアは頬に右手を当て、おっとりと小首を傾げた。


 ガラスの縁で完璧な均衡を保つ美しい水をみつめてから、驚きのあまり硬直している家庭教師を夜空の星をとかし込んだような瞳で見つめ、無邪気に微笑む。


「エレノアせんせぇ。……いかが、だったでしょうか?」


 そのちいさな唇から紡がれた愛らしい問いかけは、一スコネッドの遅延もなく、静かに図書館のログへと刻まれるのだった。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


 さて、やはり魔術の基本は水からでしょうね。

 火は見た目の派手さはありますが、やはり初心者向けではないだろうな、というのがありました。

 水か土か……で悩み、水魔術のほうを選択。

 コップの上から水を落とす、という定番のパターンを逆張りして、コップの底から湧き上がる演出にする、というもの。

 後発作品だからこそできる発想ですね(これすらも後発の可能性)。


 さて、次は土の魔術です。

 今度はどんな魔術で、エレノア先生や父マギウスの度肝を抜いてくれるのでしょうか?


 「水魔術は定番だな」「思ったより普通だな」と思ってくださった方は、ぜひページ最下部の【ブックマーク(お気に入り登録)】や【ポイント評価(☆☆☆☆☆)】をぽちっと押して、これからの連載を応援(バフ)していただけると大変励みになります!


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