『公女殿下、初めての魔術授業で歴史的バグをデバッグする』
ライ=ヴァルク公爵家の敷地内にそびえ立つ、重厚な石造りの広大な図書館。
建国からの貴重な魔術設計書や古代のログが山積みにされたその静謐な空間で――新しく招聘されてきた若き女性魔術師、エレノア・ウォルポールは、手にした教科書をぎゅっと抱きしめながら、生まれたての小鹿のようにブルブルと震えていた。
「お、お初にお目にかかります。エレノア・ウォルポールと申します。ほ、本日より、ルーナティア様の魔術の家庭教師として指導に当たらせていただきましゅ!」
噛んだ。完全に噛んだ。
エレノアは己の失態に脳内で絶叫し、引きつった笑みを浮かべたまま硬直した。
無理もない。
彼女の実家は――王都の隅に慎ましく居を構えるしがない男爵家だ。
対して、目の前に座るルーナティアが冠するは、この国の軍事と魔術の頂点に君臨するライ=ヴァルク公爵家。
魔術学校を首席で卒業したという栄誉だけを武器にこの門を叩いたものの――一歩足を踏み入れた図書館の、国家予算レベルの魔導書が平然と並ぶ光景に圧倒され、エレノアの肝はとうに冷え切っていた。
(落ち着け、落ち着くのよエレノア・ウォルポール! 私は首席よ。学校始まって以来の秀才と呼ばれたの。相手はまだ、魔術の『ま』の字も知らない幼子……私が威厳を持って導いて差し上げなくては、男爵家の家計が破綻する!)
ふんぬ、と鼻から息を抜き、エレノアはなんとか震える膝を押さえつけた。
そんな彼女を――大きなマガホニーの机を挟んで見つめるのは、夜空の星を溶かし込んだような瞳を持つ公爵家の次女、ルーナティア。
その背後には――微動だにせずエレノアを品定めするように見つめる老侍女が、お目付け役として影のように控えている。
さらにその向こう――高くそびえ立つ本棚の影からは、仕事の合間を縫って「愛娘の初めての魔術レッスン」を常時監視しにきた、現国家最高峰の宮廷魔術師団長――マギウスが、鋭い目を光らせて無言のプレッシャーを送り続けていた。
「こ、コホン!――ま、まず、講義を始めるに当たりまして。この世界には、魔術と魔法、二つの法則があります」
「まじゅちゅと、まほう?」
「魔術とは、真理の空間に属する言葉を用いてわたくしたちの周りにある魔素に働きかけ、世界の理に干渉する技術。ですから、この真理の言葉の記述には、極めて複雑な術式が必要となるのです」
エレノアは額の汗を拭いながら、必死に『講師』としての手順を維持する。
「対して『魔法』とは、そうした複雑な術式を予めアーティファクトである『アカシックレコード』へと記載しておくことで、簡単に世界の理へとアクセスできるようにするシステムです。パッケージを開くだけで、適性さえあれば誰でも全く同じ結果を出力できます。ですが、それゆえに――」
エレノアは人差し指を立て、警告するように声を潜めた。
「中身の書き換えが、一切利かないのです。大いなる先人たちが遺した、完成されたブラックボックス。それが魔法なのですわ」
「……まな……。じゅちゅしき……。あかちっくれこぉど……」
まだ肉声の文法すらおぼつかない、たどたどしい幼児発声。
だが――そのちいさな頭脳は、エレノア先生が教えてくれた新しい言語データを秒速でデコードし、目の前にある複雑な『真理の言葉』の幾何学的な並びと綺麗にマージさせていた。
『……うえぇ。 ルーン、それってすっごく融通がきかないバカシステムなの!』
ルーンの脳内で、契約幻獣のポムが短い前足をバタつかせながら、呆れたように念話を返してきた。
(そうですわね、ポム。書き換えができない、お読みするだけの完成されたファイル……。バグが出てもお直しが当てられないなんて、ずいぶんと古いシステムなんですのね)
外見は、背筋をすっと伸ばして机の上の教科書をみつめる、おっとりとして愛らしい幼子。
だがその頭脳の内側では、現代のバグフィクサーたるルーナティアと、世界を記述する精霊たる幻獣ポムによる、この世界のシステムへの痛烈なコードレビューが超高速で走っていた。
「……せんせぇ」
ルーンは、ぽて、と小さな人差し指を机に置いた。
エレノアが提示した、魔法の基礎が幾何学的に描かれた教科書のページ――その特定の術式コードをじっと見つめる。
「どうされましたか? ルーナティア様。何か分からない言葉がございましたかしら?」
エレノアは優しく微笑み、内心でほっと胸を撫で下ろした。やはり三歳の幼子には難しすぎたのだ。ここから丁寧に噛み砕いて説明して――
「これ……『あかちっく』の、おんなじのでるシステム?」
「ええ、そうですわ。その既製パッケージを呼び出せば、適性さえあれば誰でも同じように火を灯したり、水を呼び出したりできるのです」
「でも……ここ、めもりぃ……じゃなくて、魔力の『みち(回路)』が、むだに、ぐるぐる、してる」
「へ……?」
エレノアの笑顔が、ぴきりと固まった。
ルーンのちいさな指先がなぞったのは、アカシックレコードからダウンロードされる『初級着火魔法』の標準術式マニフェストの一部。
「おんなじ、ひ、だすだけなのに、ここで3かいもおんなじこと、ぐるぐる回してるの。……うー、むだ。おそうじ(リファクタ)したいなぁって」
「な、何を言って――」
エレノアは困惑に眉をひそめ、促されるままに教科書を覗き込んだ。
そんなはずはない。
これは大いなる先人が構築し、何百年もの間、絶対の最適解とされてきた『魔法』のブラックボックスなのだ。
だが、言われてみれば――なぜこの術式は、ここで奇妙な三重の同心円を描いているのか?
単に「火を出す」という一つの結果を得るだけだというのに、円の内側に全く同じ幾何学記述が三度も繰り返されている。
――それはまるで、何の意味もない無駄な重複処理によって、無駄なリソース(オーバーヘッド)を浪費しているだけの、美しくない欠陥コードにしか見えなかった。
(バ、バカな……ッッ!?)
その瞬間、本棚の影で息を潜めていた現国家最高峰の宮廷魔術師団長――マギウスの脳内に、データクラッシュ級の激震が走った。
国家最高峰のスペックを持つ彼の頭脳は、愛娘の何気ない呟きから、その術式マニフェストの構造を瞬時に逆コンパイルしてしまっていた。
――確かに、無駄だ。
完全に不要な三重ループが回っている。
何百年もの間、全魔術師が「そういう仕様」だと盲信し、無駄に魔力をドブに捨て続けていた歴史のバグ。
それを、わずか三歳の我が娘は、お絵描きを眺めるようなおっとりとした手つきでデバッグしてみせたのだ。
そんな大人の動揺など露知らず。
ルーンは小さな手を膝の上できちんと揃え、脳内でポムに語りかけていた。
『ねえポム。このお名前のついていないパッケージ、お呼び出しするときのパラメータをほんの少しチューニングいたしましたら――』
おっとりと小首を傾げたまま、ルーンの天才的なプログラマ思考が、未来の己へと繋がる『無詠唱3並列処理』の基本アーキテクチャへと触れる。
(あたまの【お勉強】だけではなく、おうたの【お口】や、さっきのエミリせんせいの【おどり】……。これらちがうお仕事をぜんぶ同時に待機させておつなぎいたしましたら、詠唱をスキップして、3つの異なるお直しを同時に、リアルにインジェクションできそうですわね?)
『えっ、ルーン、そんなことできるの!?』
聖獣であるはずのポムすらも、繋がった精神回線の向こうで、そのあまりの規格外な設計思想に目をごろりと丸めて驚愕の声をあげるのだった。
おっとりと佇む公女殿下の頭脳では、世界の常識を根本からひっくり返す『無詠唱3並列パッチ』の基本アーキテクチャが、誰にも気づかれぬまま静かに、そしてクリーンにビルドされようとしていた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
ルーナティアの、最初の魔術の授業です。
前のページではフェルクシア王国の地理や歴史について「授業」という形で世界観のチュートリアルをしましたが、ここでは魔術と魔法についての違いを描いてみました。
魔術も魔法も、似たような事象を起こすものでありますが、これを明確にしている作品はどれほどあるのかな?と(確か、Fateシリーズは両者を分けていましたね)。
本作でも、魔術と魔法の違いを、僕なりの解釈で描いてみました。
それにしてもルーナティア、やはり転生者としか思えない発言の数々……。
「3歳児とは思えないセリフの数々」「もう諦めて転生者ってことにしちまえよw」と思ってくださった方は、ぜひページ最下部の【ブックマーク(お気に入り登録)】や【ポイント評価(☆☆☆☆☆)】をぽちっと押して、これからの連載を応援していただけると大変励みになります!
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