『公女殿下、英才教育をロードする』
「フェルクシアおうこく。いま、わたくしたちがすんでいるのは、おうとフェルクス……」
ライ=ヴァルク公爵家の一室。
大きな机の上に広げられた、分厚い王国の地理歴史書を前に――三歳のルーナティアは小さな指で羊皮紙の文字をなぞりながら、おっとりと肉声のプロトコルを紡いでいた。
『よむのはやーい! ぽむにもおしえて!』
机の端にちょこんと座ったポムが、繋がった精神回線から、鈴を転がしたようなあどけない少女の声で嬉しそうに弾む。
ルーンは「ふふ、いいですよ」とおっとり微笑み、自分のちいさな語彙の箱をポムの頭脳へ共有しながら、その可愛い相棒へ向けて優しく本の地図を指差した。
『……うん! この絵本、とってもきれいな形をしていて、おもしろいですわ。ぽむ、みて。わたくしたちのおうちは、この広大な王国の、ちょうどまんなかにありますの』
ルーンのちいさな人差し指が、王国の中心に位置する王都フェルクスをぽんと叩く。
そこから指をすうっと左へ滑らせて――誇らしげに脳内で言葉を繋いだ。
『ここが、わたくしたちのライ=ヴァルク公爵領。にしのげんかんぐちの、ライポルト。おにいさまがいらっしゃったカティエールは、ここから馬車で三日もかかるところにありますのよ』
『へぇー! ライポルト! ルーンのおとうさまの領地だね! じゃあ、あっちの右のほうにあるのはなぁに?』
『おみぎはね、ヴァルトシュタイン辺境伯領の、ハーフェノスト。……そして、このいっちばん上にあるのが、ハイウィンド辺境伯領のネスゴランですわ』
ルーンのちいさな指先が、北の最果てにある険しい山々のマーク――ネスゴランの『竜の巣』が構える防衛境界線をそっとなぞる。
三歳のルーンにとっては――それは綺麗な色彩で描かれた楽しい「お絵描き」のような感覚だった。
だが、彼女の天賦の頭脳は、王都を中心としたこの完璧な十字の防衛・経済インフラ構造を、秒速で脳内のローカルストレージへ記憶していた。
「……にしがライポルトで、おみぎがハーフェノスト。……じゃあ、おうとのすぐお隣にある、このおっきなきらきらマークはなぁに?」
ルーンはちいさな首を傾げ、王都フェルクスのすぐ東側の境界に美しく描かれた――大聖堂の意匠マークを小さな指先でつついた。
羊皮紙に刻まれた難しい古代文字のコードを、その天賦の頭脳で秒速で読み解き、ルーンは誇らしげに脳内で言葉を繋ぐ。
『……ここはね、ぽむ。王国のひとたちがみんなお祈りをする、めるきあきょう?の総本山――大聖堂という、とっても歴史が古くておっきな聖地なんですって。わたくしたちのおうちに時々遊びにくるホーリーさまも、ここでお勉強をしてるらしいのよ』
繋がったばかりの精神回線から、一リコの遅延もなくルーンのクリアなデータを受信したポムは、長い耳をぱたぱたと跳ね上げて、嬉しそうに脳内ではきはきとした声をあげる。
『へぇー! だいせいどう! ホーリーさまのお勉強部屋なんだね! ルーン、難しい字もぜんぶ読めてすごーい!』
『ふふ、すごいですのよ。それにね、この国のいまの王さまは、フェリックス二〇世っていうんですって。ごひゃく年前の、しょだい国王フェリックスさまがこの国を作ったの』
ルーンはちいさな胸を張り――おっとりと誇らしげに脳内のパケットを繋ぐ。
『その時にお手伝いしたのが、わたくしたちのご先祖さまの、ライ・ヴァルクさまなんですわ!』
『わぁ、お手伝い! ルーンのご先祖さま、建国のお手伝いに関わってたんだね! かっこいー!』
三歳のルーンにとっては――それは綺麗な色彩で描かれた楽しい「お絵描き」を読み解くような感覚だった。
だが、彼女の天賦の頭脳は、王国の地理構造だけでなく――五〇〇年の時を紡ぐ建国の歴史ログまで、一切の不純物なくダイレクトにマージしていた。
厳しいことで有名だった歴史と地理の家庭教師は、手にした教科書を落とさんばかりに震わせ、感動の涙を流して絶句した。
「……な、な。三歳にして王国の全領地と、大聖堂の興り、さらには王家の系譜まで完璧に読み解かれるとは……!」
老教師がそんなシステムエラーを起こすのは、もはや日常の光景であった。
そんな老教師と入れ替わるようにして、パタパタと部屋の扉が開く。
次に入室されてきたのは――ぴしりと背筋の伸びた、いかにも厳格そうな礼儀作法とダンス専門の女家庭教師だった。
彼女は部屋に控える侍女たち、そして何より大きな机の前に座る三歳の次女を見据えると、手にした扇を胸元でスマートに収めた。
自由自在に流れるような完璧な所作でドレスの裾を持ち上げ、一寸の歪みもない至高の淑女の拝礼であるカーテシーを美しく決めてみせたのだ。
「――お初にお目にかかります、ルーナティア様。本日より礼儀作法とダンスの指導を任されました、エミリと申します。ここからは作法の基礎……まずは拝礼の時間となります。……よろしいでしょうか」
先ほどの授業であれほどの神速のデコードを見せた、公爵家の次女だ。
きっとフィジカルの作法も――エミリが披露した至高のコードを一瞬で、美しいステップで踏んでみせるに違いない。
新しく入ってきた講師も、周囲の侍女たちも含めて、全員の期待値が跳ね上がっていた。
「はい、エミリせんせい。……がんばりますわ」
ルーンはちいさな白いドレスの裾をきゅっと持ち上げ、おっとりと前を向いた。
難しい理屈は、まだ何もわからない。
だが――彼女の純粋な瞳は、たった今エミリ先生が見せてくれた完璧なカーテシーの「美しいお姿の記憶」を、一寸の狂いもない完璧な設計図として、すでに脳内へ完全に焼き付けていた。
「では、背筋を伸ばし、右足から優雅に踏み出して――」
「はい。……ええっと、みぎあしを、こう、ですわ……」
一歩、二歩と踏み出した、その瞬間だった。
脳内の設計図は完璧。
だが――それを駆動させる実際のちいさな手足は、まだ発展途上の三歳児なのである。
『……あら? おててとあんよ、おもったのとちがう――』
「ふにゃっ!?」
手足の制御バランスが派手にバグを起こし、ルーンは絨毯の上へと可愛らしくペタンと転がってしまった。
『ルーン、大丈夫!? やっぱりからだが、頭のなかのきらきらに追いついてないよー!』
大きな机の上から飛び降りたポムが、慌ててトコトコと駆け寄り、ふかふかの身体でルーンを支える。
「うう……あたまの中のきらきらは綺麗に回っているのに、おててとあんよが、いうことをききませんわ……」
絨毯の上でちいさな眉をきゅっとひそめ、手足をぱたぱたさせるルーン。
女家庭教師のエミリは、おっとりとした声音でそのエラーを優しく指摘した。
「ルーナティア様。そこは『いうことをききません』ではなく、『お労しゅうございます』と言うのですよ」
絨毯の上にペタンと座り込んだまま、ルーンは健気にも小さなお手手でドレスの裾を整え直す。
「……おいたわしゅう、ございますわ?」
まだ使い慣れない言葉に、ちいさな首をおっとりと傾げる。
座学は神の領域なのに、物理制御ではラグでよちよち大苦戦。
そのあまりのギャップの愛らしさに――新任の女教師も、周囲の侍女たちも、叱るどころか「か、可愛すぎる……!」と、一斉に胸を押さえて激しくフリーズするのだった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
ここから、ルーナティアの英才教育が始まります。
ルーナティアの勉強内容に合わせて、フェルクシア王国という国の地理や歴史をほんの少しだけチュートリアルしてみましたが、いかがだったでしょうか。
作者さんによっては、物語を作る前の段階で世界観をみっちり作り込む方もいらっしゃるのかもしれません。
が、僕の脳みそはそこまで緻密にはできておらず、最低限の範囲のみの肉付けとしました。
必要に迫られたり、時間が出来たなら、きっと深堀りするかもしれませんし、しないかもしれません。
「国の地図の画像があれば完璧だった」「もっと他の領地も出てくるのかな?」と思ってくださった方は、ぜひページ最下部の【ブックマーク(お気に入り登録)】や【ポイント評価(☆☆☆☆☆)】をぽちっと押して、これからの連載を応援していただけると大変励みになります!
毎日18時に一リコの遅延もなくパケットを定期ドロップ(更新)中です。どうぞよろしくお願いいたします!




