『公女殿下、はじめて魔術をビルドする』
「きのう、がっこうからおにいさまがおもどりになったの!」
王都フェルクスにある公爵家の広大な庭の上を、ルーナティアはポムを伴いながらトコトコと歩いていく。
『おにいさま?』
一歩遅れてついて回るポムが、繋がったばかりの精神回線の向こうで、鈴を転がしたようなあどけない声で小首を傾げた。
ルーンのちいさな語彙の箱を同期しているポムにとって、まだ見ぬ『お兄様』というオブジェクトのデータは未登録だった。
「ウィズおにいさまは、とおくのがっこうにいってらっしゃったの。かちえる……? だったかしら?」
『かちえる……?』
三歳児のたどたどしいプロトコルでは――ライ=ヴァルク公爵領の都市ライポルトからさらに馬車で三日の距離にある、大陸最高峰の学園都市国家『カティエール』という正式名称も、まだうまく発音できない。
そこは、魔術の深淵を極めた者たちが集い、独立自治を行う魔導の都。
その最先端の学び舎から、大好きな兄が長期休暇で戻ってきたことが、ルーンは嬉しくてたまらないのだ。
「とっても、まじゅちゅがじょうずなの! いまね、おにわで、きらきらしてるのよ!」
『きらきら!?――きらきら、見たい!』
「うん! ぽむ、いこ!」
弾むように歩くルーンの足元で、ポムも嬉しそうに長い耳をぱたぱたと揺らす。
二人がやってきたのは、公爵家の敷地の奥に構えられた――年中クリーンな障壁で囲まれた広大な魔術訓練場。
そこでは――一三歳となる長男、ワイズダムが、額に大粒の汗を浮かべながら、基礎魔術の復習と応用(術式)を駆動させている真っ最中だった。
「――大気を巡る清烈なる奔流よ、我が命によりて穿て! 『ウォーター・バレット』!!」
長い詠唱を懸命に紡ぎ、ワイズダムの手のひらから放たれた一筋の水弾。
それは前方の的に命中したものの――パシャアンと大きな音を立てて派手に霧散してしまった。
魔術のコードを維持できず、コンパイルエラーを起こしたのだ。
「そこまでだ、ワイズダム」
訓練場の中心に威風堂々と立つのは――現国家最高峰の宮廷魔術師団長であり、彼らの父親であるマギウスだった。
お父様は厳格な『管理者』の目を鋭く光らせ、息子へと厳しい最適化のコードレビューを突きつける。
「お手軽な定型たる『魔法』に頼るあまり、術式そのものへの理解度がまったく足りていない。詠唱という既製のパッケージをただなぞっているだけでは、それは生の魔術とは呼べん」
父は厳格な視線をさらに一段と鋭く尖らせ、息子へと冷徹な現実を突きつける。
「【距離変数値】を五ラート、【質量変数値】は一トライル……その程度の基本流速制御すら甘いから、術式がフリーズして処理中断を起こすのだ」
「カティエールも、平易な『魔法』の浸透が深刻化しているというのは本当だったのだな。……まったく、先が思いやられる」
父マギウスはフゥ、と小さく息を吐き、落胆を隠さぬ目で息子を見据えた。
「環境の甘えに同調し、本物の『魔術』を見失ってどうする。そのような腑抜けたパッケージ(魔法)をなぞるために、わたくしは貴様をカティエールへ送り出したわけではないぞ」
「くっ……申し訳ありません、お父様……!」
ワイズダムは悔しそうに拳を握りしめ、額の汗を拭った。
大陸最高峰の学園都市国家で『魔術』を血の滲むような努力で学んできても、普段から染みついた『魔法』の甘えを――父のセキュリティ網は見逃してくれない。
訓練場の隅の芝生にちょこんと座り、ポムをぎゅっと抱きしめながらそれを見学していたルーンは、きらきらとした純粋な瞳でお兄様と父を見つめていた。
「わぁ……お兄様もお父様も、とっても格好いいでしゅあ……!」
まだ「ですわ」と完全なお嬢様口調になりきらない、あどけない肉声の呟き。
だが――そのルーンの頭脳と回線が繋がっているポムは、ルーンの体内から溢れ出る規格外の過剰魔力を肌で感じ取りながら、脳内ではきはきとした声をあげる。
『うん、ルーンのおにいさま? わいずだむ? う~んっ! って、がんばってるね! でも、だすの、とってもおもたそう。ルーンのなかの、あのあまくておいしいキラキラなら、もっと、ぽんってでるとおもうよ?』
『ほんと……?』
ルーンはまだ、世界のシステムのことも何も知らない。
ただ、大好きなポムにそう言われて、純粋にお兄様の真似をしたくなった。
ルーンはよちよちと芝生から立ち上がると、トコトコと訓練場の中心へと歩み寄っていく。
「ルーン? どうしたんだい?」
「……? ルーナティア、ここは危ないぞ」
ワイズダムと父マギウスが不思議そうに振り返る中、三歳のルーンはあどけない笑みを浮かべて――ちいさな、白い手をふわりと前にかざした。
「わたしも、お兄様のまねっこをしますわ! ええっと……たいきをめぐる、せいれつな……」
ワイズダムの詠唱を見よう見まねで口にしてみる。
だが――たった三歳のルーンのちいさなメモリにとって、その長い文字列はあまりにも過剰積載だった。
「……うう、ながくて、むつかしいでしゅわ」
愛らしい眉をきゅっとひそめ、ルーンは口で唱えるのをあっさりと諦めた。
言葉の処理が追いつかないのなら――さっきポムと心が繋がったときのように、ただ頭のなかにあるあたたかいキラキラを、そのまま前に押し出せばいい。
難しい理屈は何もわからない。
ただ、大好きなポムが「もっと楽に、ぽんって出る」と言ってくれたから。
(――ぽん)
ルーンがちいさな口を結び、頭のなかで無邪気にそのショートカット(直感)を駆動させた、その瞬間だった。
何の声も、何の予兆もない。
ただの一リコの遅延すら存在しない絶対的な無遅延で――空間に、ぽん、と静かに『それ』が顕現した。
それは、ワイズダムのものとは比べ物にならないほど高密度な、歪み一つない完全なる球体。
父マギウスが先ほど突きつけた【距離変数値:五ラート】【質量変数値:一トライル】というパラメータを――直感のままに完全な最適解へと自動調整して出力された、一切のノイズがない水晶玉のように透き通った純度百%の、これこそが真の『魔術』だった。
「え」
ワイズダムの思考回路が、完全にサーバーダウンした。
解説されたばかりの数式を完璧にトレースされ、ただただ絶句するしかない。
そして――誰よりも凄まじいシステムフリーズを起こしたのは、他でもないマギウスだった。
「……な、に……っ!?」
国家最高峰の宮廷魔術師団長としての絶対的な知識が――目の前の超大型不具合を前に、完全に処理落ちを起こしていた。
無詠唱。
それどころか、自分がたった今「理解が足りない」とカティエールの現状ごと憂いたその術式の本質を――完璧な最適化で、しかも「ながくてむつかしい」と呪文を諦めたはずの三歳の娘が一瞬で修正してのけたのだ。
周囲のお付きの若き魔術師たちも、目を見開いたまま石のように硬直している。
「……あら? わたくし、なにかやってしまいましたかしら……?」
手のひらの上のきらきらした綺麗な水の玉を見つめながら――不思議そうにおっとりと小首を傾げるルーン。
その足元で、ポムだけが脳内で苦笑いしていた。
『あーあ、やっぱりやっちゃった。ルーンのまねっこ、おとうさまとおにいさまを完全にフリーズさせちゃったみたい。……ふふっ』
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
ついに出ましたね、「わたくし、なにかやってしまいましたかしら……?」
どの程度の魔術が使えるか、少し悩みました。
転生者という設定ではない以上、あまりやりすぎてもいけない、常識の範囲内というのがまた。
常識とは(哲学)
転生者だと、色々と解決できるのだなぁ、としみじみと実感しながら物語を紡いでいます。(でも、転生者設定にはしたくない)
「いや、絶対に転生者だろ」「転生者にしたほうが楽じゃね?」と思ってくださった方は、ぜひページ最下部の【ブックマーク(お気に入り登録)】や【ポイント評価(☆☆☆☆☆)】をぽちっと押して、これからの連載を応援していただけると大変励みになります!
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