『公女殿下、契約幻獣と思考をコネクトする』
王都フェルクスにあるライ=ヴァルク公爵家の庭園は、年中クリーンに維持された流体術式によって、常に穏やかな木漏れ日に満ちていた。
その青々とした芝生の上を、よちよちとおっとりした足取りで歩くひとりの幼女がいた。
ルーナティア・ルーン・ライ=ヴァルク。
今年でようやく三歳になる、公爵家の長女である。
そんな彼女のすぐ後ろを、一歩遅れてトコトコとついて回る、小さな影があった。
額に燃えるような紅蓮のルビーの核を宿した、愛らしい姿の神獣――カーバンクル。
かつて、ルーナティアが生まれたその瞬間。
彼女の体内回路を焼き切ろうとしていた規格外の『魔力過多症』という致命的な不具合を――その小さな口でもぐもぐと食べて、安全値へと最適化してくれた、命の恩獣だった。
「――あっ」
小さな靴が、芝生の上の小さなくぼみに引っかかる。
重心を崩し、ルーナティアの小さな身体がふわりと宙に傾いた。
その瞬間――。
二人の間で、ルーナティアが肉声でまともな「言葉」を覚えるよりも先に――世界の魔力循環の帯域が、カチリと同期した。
『――ルーン……ルーン!』
ルーナティアの脳内に、驚くほどクリアで、鈴を転がしたような愛らしくもハキハキとした「女の子の言葉」が直接流れ込んできた。
カーバンクルは驚異的な速度でルーナティアの足元へと滑り込み、自身のふかふかの背中で彼女の小さな身体を優しく受け止めた。
芝生の上をごろりと転がり、二人で仲良く弾む。
「きゃははっ、くすぐったーい!」
ルーナティアは顔を上げると、自分を助けてくれた赤くてまあるい神獣をぎゅっと抱きしめた。
その小さな口は、今は開いていない。
けれど――繋がったパスの向こう側から、ルーンのちいさな語彙の箱から言葉を分かち合うように、あどけない、けれど嬉しそうな声が伝わってくる。
『……ルーン、いたいの、ない? ころん、だいじょうぶ?』
「……うん! だいじょうぶ!」
ルーンは脳内でおしゃべりしてくれたのが嬉しくて、ポムのふかふかの首元に顔をうずめた。
それは、これまで世界のどんな人間も、お父様や術者であるお母様すらも受信することのできなかった、言葉を持たないはずの神獣の純粋な意識そのものだった。
まだ三歳の、喋ることすらおぼつかない幼女の演算領域が――ただ生まれ持った魔力の波形を無意識に重ね合わせただけで、世界の仕様をすり抜け、誰も開通できなかった神獣との同期を完璧に執行してしまったのだ。
額にきらめく――ザクロの果実のように深く、美しい極上の宝石を見つめながら、幼もちいさな唇をひらき、一生懸命にその『定義』を紡ぐ。
「……あか。まる。……ざくろの、いし」
まだ肉声のプロトコルすらおぼつかない、たどたどしい幼児発声。
だが、そのちいさな頭脳は、お母様が呼んでくれた初期識別名『ポム』のデータに、目の前のオブジェクトの視覚プロパティを秒速でマージさせていた。
「……ぽむ。……ぽむ、ぐらねーた!」
その瞬間、額のルビーが世界の暗号をデコードしたかのように眩く明滅した。
ライ=ヴァルク家の契約神獣のシステムログに――省略名『ポム』、正式名『ポム・グラネータ』という固有のインスタンスネームが、世界で初めて正式に登録された瞬間だった。
『……ぽむ、ぐらねーた! うん、すっごくステキ! ルーン、ありがとう!』
「……ぽむ! すき!」
『……わたしも、ルーン、すき! ずーっと、いっしょ!』
言葉よりも先に、ちいさな世界のままで完全な同期を果たした一人と一匹。
そのまま、二人は庭園の東屋で開かれていた、母ソフィアとの穏やかなお茶会へと合流した。
テーブルの上には、上品に甘い湯気を立てるお茶と、焼き立てのクッキー。
母からちいさなお皿を分けてもらったルーンは、自分のクッキーをひとかじりすると、目をきらきらと輝かせた。
そして、椅子の足元でお行儀よく座っているポムへと、そのお皿を差し出す。
「……これ、おいしいよ! ぽむも、どう?」
ルーンの無邪気な肉声の誘いに、ポムはルーンを見上げ、嬉しそうに長い耳をぱたぱたと揺らした。
そして――繋がった精神回線を通して、弾むような甘い少女の声で答える。
『わたしは、ルーンのキラキラがあるからだいじょうぶ! ルーンのキラキラ、いっぱい! それにとってもおいしい!』
「……きらきら、おいしい?」
『うん! すっごくおいしい! だからクッキーはルーンがぜんぶ食べていいよ!』
楽しそうに内緒の脳内トークを交わす一人と一匹。
そんな娘の様子を、対面に座る母ソフィアは――流麗な仕草で紅茶のカップを傾けながら、慈愛に満ちた気高くも美しい微笑みで見守っていた。
「ふふ、ルーン。ポムとさっそく仲良くなれたようですね。言葉は交わせずとも、心が通じ合っているのが分かりますわ」
「……うん! おはなし、いっしょ!」
ルーンはおっとりと笑って、クッキーをもう一口頬張る。
母にはまだ――二人の間で完璧な『人語の回線』が同期していることは、秘密のままだ。
けれど、公爵家の庭園には、世界で一番優しくてあたたかい空気が、クリーンに満ち溢れているのだった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
カーバンクルのポムを出す、という案は当初はなくて、近年になって浮かんだアイデアでした。
ただ、そのアイデアのなかでもまだ喋るまではいかず、設定を考えた僕自身ですら「ポムの存在意義ェ……」となってました。
「喋るようにしちゃえ!」となったのは、小説家になろう!に投稿を始める直前。
ルーナティアの豊富な魔力を得て、喋るようになったり人間の姿になったりできるようになるといいね、と考えたところ、急に存在感を出してきました。
「ポム・グラネータ」はそのまんま、柘榴の英名です。
ポムはラテン語で「果実」って意味らしいんですが、フランス語だと「リンゴ」を意味します。
最初、「英語なのにフランス語が混じってる」と思ったのですが、レシピとかもフランス語がそのまんま英語として使われてましたっけね。
というわけで、幼き日のルーナティアとポム。
二人の掛け合いを楽しんでいただければと思います。
「ポムが喋れるのって、そんな感じなんだな」「使い魔みたいな感じなんかな」と思ってくださった方は、ぜひページ最下部の【ブックマーク(お気に入り登録)】や【ポイント評価(☆☆☆☆☆)】をぽちっと押して、これからの連載を応援していただけると大変励みになります!
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