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第9話 隣の席

 夕食の席で、最初の攻防は、起きた。


「わたくし、お姉さまの、お隣がいいわ」


 ロゼリアが、当然のように、テオの椅子に、手をかけたのだ。


 いつもの席。七日目の祝いの夜から、ずっと、テオが座ってきた、私の隣の席に。


 テオが、びくりと、立ちすくんだ。


 そのとき。


「そこは、埋まっている」


 アルヴェインさまが、言った。彼は、自分の席——上座を、引いた。


「聖女どのには、こちらを」


「まあ。上座を、わたくしに? 番人さまは、お優しいのね」


「優しさではない。上座は、この食堂で、唯一、誰の隣でもない席だ」


 ロゼリアの笑顔が、また、一瞬、固まった。


 誰の隣でもない席。それはつまり、あなたの隣に座りたい者は、この食堂にいない、という意味で——けれど言葉の上では、最上の礼遇だった。抗議のしようが、ない。


「……ふふ。では、お言葉に甘えて」


 ロゼリアは、上座に座った。アルヴェインさまは、空いた席——私の、もう片方の隣に、何でもないことのように、腰を下ろした。


 モリスさんの羽根ペンが、さらさらと、動いた。あとで帳面を盗み見たら、こう書いてあった。


『本日の夕食。席次、変更。番人さま、エステルさまの右隣に着席。当塔開闢以来、番人さまが上座を譲られた記録、なし』



   ◇



 食事は、表面上、和やかに進んだ。


 ロゼリアは、よく喋った。王都の流行。叙任式の様子。枢機卿さまに褒められた話。話題の九割が、自分の話だった。


 そして、デザートの星菓子が出た頃、本題は、来た。


「ところで、お姉さま」


 ロゼリアは、菓子を、小さく割りながら、言った。


「その腕輪。まだ、着けていらっしゃるのね」


「ええ」


「それ、わたくし、ずっと気になっていましたの。だって、ほら——縁起の、よくないものでしょう? 石が消えていくのを、毎日見ているなんて、お姉さまのお心に、毒だわ」


 妹は、すっと、手を、差し出した。


「わたくしが、教会で、お預かりしましょうか。聖堂の宝物庫なら、安全ですもの。ね、お姉さま。そんな怖いもの、手放してしまいましょう?」


 優しい声だった。心配する妹の、完璧な声。


 でも、私は、もう知っていた。この腕輪は、私の残り時間を教えてくれる、唯一の計器だ。これを手放せば、私は、自分があとどれだけ残っているのか、分からなくなる。暗闇で、目隠しをされるのと、同じ。


 そして——妹は、それを、分かって、言っている。


「ありがとう、ロゼリア。でも、結構です」


「お姉さま、遠慮なさらないで」


「遠慮では、ありません」


 私は、妹の目を、見た。


「これは、母さまから、いただいたものですから」


 ロゼリアの睫毛が、ぴくり、と動いた。


「……母さまから? あら、おかしいわ。お母さまは、もう、お姉さまのことなんて——」


 言いかけて、妹は、口元を、押さえた。


「いやだ、わたくしったら。ごめんなさい、お姉さま。意地悪を言うつもりじゃ、ないのよ? ただ、事実として、お母さまの記憶は、その、お加減が」


「記録上、その腕輪は、エステル・メルローゼ嬢の私物だ」


 アルヴェインさまの声が、食卓に、静かに、落ちた。


「当塔への入塔時に、所持品として記録済みだ。所有者の意思に反する持ち出しは、王国法第十一章、私有財産の項に抵触する。——聖女であっても、だ」


「……まあ」


 ロゼリアは、扇を開いた。扇の上の目だけが、笑っていなかった。


「番人さまは、なんでも、記録なさるのね」


「なんでも、記録する」


「わたくしとの、この楽しいお夕食も?」


「一言も、漏らさず」


 ロゼリアは、ゆっくりと、扇を閉じた。


 そして、その夜、初めて——演技ではない表情を、見せた。それは、苛立ちですら、なかった。「理解できないものを見る目」だった。記録され、記憶されることを、武器ではなく脅威と感じる人間の、目だった。



   ◇



 夜、客間に下がる前に、ロゼリアは、廊下で、私に囁いた。


「お姉さま。明日、二人きりで、お話ししましょう? ね? ……ああいう堅苦しい方の前では、姉妹の本音は、話せませんもの」


「ええ。私も、あなたと、話したいと思っていました」


「うれしい」


 妹は、私の頬に、頬を寄せた。香水の匂いの奥で、小さな小さな声が、言った。


「ねえ、お姉さま。……いつから、そんなに、強くなったの?」


 それは、その日初めて聞く、妹の、本当の声だった。


 甘くなかった。幼くもなかった。ただ、静かに、刃を抜く前の、鞘の音がした。


「おやすみなさい、ロゼリア」


「おやすみなさい、お姉さま」


 白い後ろ姿が、客間に消えた。


 廊下の角で、アルヴェインさまが、待っていた。


「全部、聞こえていた」


「……地獄耳ですね」


「耳がいいのは、否定しない。——明日の『二人きり』は、条件通り、私が同席する。隣の部屋で、扉を開けて、だ。彼女には、見えない。私には、聞こえる」


「ふふ。約束、でしたものね」


 私は、頷いて、それから、ふと、訊いた。


「アルヴェインさま。今夜の夕食、どうして、私の隣に?」


 彼は、少しだけ、黙った。


「……君の左隣は、テオで埋まっていた」


「右隣の、理由を訊いています」


「————空いていた」


 数字の人が、今夜いちばん、不正確な答えを言った。


 私は、笑いを噛み殺して、おやすみなさい、と頭を下げた。

お読みいただきありがとうございます。


席を巡る、静かな攻防でした。

テオの席は、守られました。腕輪も、守られました。

「上座は、誰の隣でもない席だ」——。


そして妹は、最後に、本当の声で言いました。

「いつから、そんなに、強くなったの?」


次回、第10話「献星の残りかす」。

ロゼリアの仮面が、初めて、はっきりと、剥がれます。


ブックマーク・評価・感想、何卒、お願いいたします。

「空いていた」の不正確さに、☆ひとつ、お力添えを。


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