第10話 献星の残りかす
二人きりの茶会は、塔の二階の、日当たりのいい部屋で開かれた。
隣室との扉は、開いている。ロゼリアは、気づいていない。アルヴェインさまは、足音はおろか、気配の音まで、消せる人だった。
「ねえ、お姉さま。帰ってこない?」
お茶が半分になった頃、ロゼリアは、唐突に、そう言った。
「……帰る? どこへ」
「王都へ。わたくしの、おそばに」
妹は、頬杖をついて、にこにこと笑った。
「考えましたの。お姉さまを、聖女付きの、侍女にしてさしあげる。そうしたら、毎日、おそばにいられるわ。呪いで皆に忘れられても、平気よ。だって侍女ですもの。誰もいちいち、名前なんて、覚えませんわ」
ぞっとするほど、合理的だった。
忘れられる人間の居場所は、最初から誰にも覚えられない場所——それが、妹の優しさの、設計図だった。
「それは、できません」
「あら、どうして?」
「私、ここで、仕事をしていますから」
「仕事?」
ロゼリアは、目を、ぱちぱちさせた。それから、ころころと、笑った。
「お仕事ですって。お姉さまが? あの、お屋敷の隅で、本ばかり読んでいたお姉さまが? ……ふふ、ごめんなさい。それで、どんな?」
「忘れられた人の記録を調べて、世界に、返すんです」
「…………」
妹の笑いが、止まった。
「死んだ人の、名前を調べて、墓石に、彫り直すの? それ——なんの、得になるんですの?」
「得には、なりません。でも」
「ああ、いいわ。分かった。分かりました」
ロゼリアは、ひらひらと、手を振った。退屈した子供の、仕草だった。
「お姉さまは、昔から、そういう、もの、が、お好きよね。押し花とか。古い手紙とか。死んだ人とか。——生きている人間の役に、立たないものばかり」
そのとき、扉が、小さく、鳴った。
お茶のお代わりを運んできた、テオだった。盆を持って、入っていいものか、戸口で、もじもじしている。
「あら、あなた」
ロゼリアが、テオを見た。
「昨日から思っていたのだけど。あなた、どこの子? 使用人にしては、行儀が、なっていないわ」
「テオは、この塔の、家族です」
「家族?」
ロゼリアは、テオの顔を、じっ、と見た。聖女の目が、すっ、と細くなった。
「……ああ。思い出した。報告書で、読んだわ。先代の献星の、産んだ子ね」
産んだ子、という言い方に、指先が、冷えた。
「母親の記録は、確か、五年前に抹消完了。ということは、あなた——」
妹は、小首を傾げて、にこ、と笑った。テオに向かって。天使のような顔で。
「献星の、残りかすじゃない」
時間が、止まった気がした。
「回収もされずに、こんなところに残っていたのね。母体の記録が消えたら、付随物も処理するのが決まりなのに。教会の帳簿づけは、本当に、ずさんだこと——」
「ロゼリア」
自分の声が、自分のものでないみたいに、低く、響いた。
妹が、こちらを向いた。
「あら。お姉さま、怖い顔」
「今の言葉を、取り消しなさい」
「言葉? どの?」
「全部です」
テオは、盆を持ったまま、棒立ちになっていた。大きな目が、見開かれて、揺れていた。残りかす。付随物。処理。その一つ一つが、十歳の子供の、どこに刺さったか——考えるだけで、目の前が、白くなった。
「テオ。お茶を、ありがとう。下で、ハンナさんと、味見をしていてくれますか。とびきり甘いのを」
テオは、こくり、と頷いて、廊下を、駆けていった。
足音が消えるのを待って、私は、妹に、向き直った。
「ロゼリア。あなた、今、報告書、と言いましたね」
「……あら」
「先代の献星の報告書を、読んだ。記録の抹消が、完了している。付随物の処理の決まりも、知っている。——あなた、献星の制度に、ずいぶん、お詳しいのね」
ロゼリアの扇が、ぱちん、と開いた。
「聖女ですもの。お勉強くらい、しますわ」
「では、お勉強の成果を、もう一つ、聞かせてください」
息を、吸った。三月間、訊けなかったことを、訊くために。
「献星は——どうやって、選ばれるのですか」
扇の上の目が、初めて、泳いだ。
「ロゼリア。私が選ばれた、あの日。査問官さまが家にいらした、あの日の前の晩。あなた、聖堂に、いましたね。私、覚えているんです。あなたの靴に、聖堂の白い砂がついていたのを。あなたは『散歩よ』と言いました。叙任前の候補が、夜の聖堂に、一人で入れるはずが、ないのに」
「…………」
「あなた、あの夜、聖堂で、何をしていたの」
長い、長い沈黙のあと。
ロゼリアは、扇を、ゆっくりと、閉じた。
そして、笑った。今度は、天使の顔ではなかった。
「——お祈りよ」
妹は、立ち上がりながら、言った。
「『お姉さまが、選ばれますように』って。……だって、わたくしと、お姉さま、二人にひとつしか、ないんですもの。仕方ないじゃない?」
窓からの光を、背に受けて。
聖女は、それはそれは、美しく、微笑んだ。
お読みいただきありがとうございます。
仮面が、剥がれました。
「お姉さまが、選ばれますように」——あの夜の聖堂での、お祈り。
呪いの押し付けは、偶然では、ありませんでした。
テオに向けられた言葉は、書き写すのも、つらい言葉でした。
ですが、隣の部屋で、すべてを聞いていた人がいます。
次回、第11話「覚えています」。
エステルの反撃は、彼女が一番得意なやり方で。
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