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第11話 覚えています

「仕方ない、と、言いましたね」


 私は、座ったまま、立ち上がった妹を、見上げた。


 不思議と、声は、震えなかった。


「ロゼリア。私、あなたに、聞いてほしいことがあります。長くなります。座ってください」


「あら。命令? 聖女に?」


「お願いです。——十六年分の」


 妹は、肩をすくめて、座り直した。余裕の仕草だった。何を言われても受け流せると、思っている顔だった。


 私は、目を閉じて、最初の頁を、開いた。私の中の、帳面の。


「あなたが五歳の冬。私の誕生日に、お父さまが、私に子犬をくださいました。三日後、子犬は、いなくなりました。あなたは『門が開いてたの』と言いました。でも、あの日、門番のトムさんは熱で休みで、門は、朝から閂がかかっていました。閂は、五歳の背では届きません。台を使った跡が、雪の上に、ありました。台の足の幅は、温室の踏み台と、同じでした」


「……は?」


「あなたが八歳の春。私の刺繍が、コンクールで佳作をいただきました。発表の翌朝、刺繍は、暖炉で燃えていました。あなたは『風で飛んだのよ』と言いました。あの夜、窓はすべて、閉まっていました。雨でしたから。灰の中に、刺繍枠の金具と一緒に、桃色のリボンの燃え残りがありました。あなたが、その朝に限って、髪からリボンを外していた理由を、私は、訊きませんでした」


「お姉さま、なんの話を——」


「あなたが十一歳の夏。あなたが十二歳の秋。十三歳の冬。十四歳の、あの夜会」


 私は、目を、開けた。


「全部、覚えています」


 妹の顔から、表情が、消えていた。


「日付も。天気も。あなたが着ていた服も。あなたが言った言いわけも、全部。一つも、忘れていません。忘れられなかったんです。だって私には、それを話す相手も、信じてくれる人も、いなかったから。記憶だけが、私の、味方だったから」


 静かな部屋に、隣室の、かすかな、ペンの音がした。妹には、聞こえていない。


「でも、ロゼリア。私、その全部を、誰にも言わずに来ました。あなたは妹で、私は姉で、いつかあなたが、ただの意地悪を、卒業する日が来ると、思っていたから。……あの玄関の日まで、そう、思おうとしていました」


 私は、息を、整えた。


「だから、これが、最後のお願いです。——聖堂の夜に、何をしたのか。誰に、何を、教わったのか。本当のことを、話してください。今、ここで話してくれるなら、私はそれを、姉妹の話として、聞きます」


 一瞬。


 ほんの一瞬だけ、妹の目の奥で、何かが、揺れた——ように、見えた。


 けれど。


「……ふ。ふふ。あはは!」


 ロゼリアは、笑った。仰け反って、本当に、おかしそうに。


「怖い! 怖いわ、お姉さま! 何それ、全部覚えてるって、執念深いにも、ほどがあるわ! ああ、おかしい。……ねえ、お姉さま。それだけ覚えていて、それで? 証拠は? 子犬の台の足の幅? リボンの燃え残り? 十年前の? ——誰が、信じますの?」


 妹は、立ち上がった。今度こそ、出ていくために。


「記憶なんて、なんの力もないのよ。紙にも残らない、誰にも見えない、お姉さまの頭の中だけのもの。そんなものをいくら積み上げたって、世界はわたくしの味方ですわ。だって、わたくしは聖女で——お姉さまは、もうすぐ、いなくなる人ですもの」


 扉に手をかけて、妹は、最後に、振り向いた。


「明日の朝、村で、奇跡を行いますの。見にいらして、お姉さま。——わたくしの力が、本物だって、その目で、ご覧になって」


 白い祭服が、翻って、消えた。



   ◇



 足音が遠ざかって、すっかり消えてから、隣室の扉が、開いた。


 アルヴェインさまは、何も言わずに、入ってきて、私の向かいの——さっきまで妹が座っていた椅子を、見た。それから、それを部屋の隅に、どけた。代わりに、別の椅子を運んできて、座った。


 その、妙な律儀さに、張り詰めていたものが、ふっと、緩んだ。


「……すみません。みっともないところを、お聞かせしました」


「みっともなくは、なかった」


 彼は、静かに言った。


「記憶なんて、なんの力もない、と彼女は言った。——間違いだ。さっきの君の記憶は、すべて、日付と物証つきの証言だ。単体では弱い。だが、揃えば、模様になる。模様は、裁きの場で、力を持つ」


「裁きの場、なんて」


「それと、もう一つ。重要な収穫があった」


 アルヴェインさまは、指を、一本、立てた。


「彼女は、君の問いに、三度、答えなかった。聖堂の夜のこと。誰に教わったかということ。献星の選定方法。——人は、無実のことには、即座に反論する。沈黙と論点ずらしは、急所の地図だ。彼女の急所は、その三つにある」


 それから、彼は、わずかに、声を落とした。


「明日の『奇跡』は、見に行こう。君さえ、よければ」


「……はい」


「ただし、約束してくれ。何が起きても、腕輪から、目を離すな。私は、時計から、目を離さない」


「時計、ですか?」


「数字は、いずれ、揃う」


 彼は、窓の外の、暮れていく空を見た。


「明日、揃うかもしれない」


お読みいただきありがとうございます。


十六年分の記憶を、エステルは、初めて、口にしました。

妹の答えは、嘲笑でした。「記憶なんて、なんの力もない」。


けれど、聞いていた人は言いました。

沈黙と論点ずらしは、急所の地図だ、と。


次回、第12話「偽物の奇跡」。

村の広場で、聖女の奇跡が行われます。

そのとき、腕輪の石は——。


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