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第12話 偽物の奇跡

 翌朝の村の広場は、人で、埋まっていた。


 近隣の村からも、人が来ていた。子供を抱いた母親。腰の曲がった老人。皆、聖女の奇跡を、一目見ようと、夜明け前から集まったのだという。


 広場の中央に、白い壇が、組まれていた。


 私とアルヴェインさまは、群衆の後ろ、パン屋の軒先に立った。彼の手には、銀の懐中時計。私の手首には、腕輪。約束どおりに。


「来た」


 鐘が鳴り、ロゼリアが、壇に上がった。


 白い祭服が、朝日を受けて、輝いた。群衆から、ため息が漏れた。妹は、本当に、美しかった。それは、認めるしかなかった。


「皆さま。本日は、ようこそ」


 よく通る、鈴のような声。


「この村に、長く、病に伏せっておられる方が、いると聞きました。——どうぞ、こちらへ」


 群衆が割れて、戸板に乗せられた老人が、運ばれてきた。粉挽きの、ヤコブ爺さんだった。この冬から、腰が立たなくなって、寝たきりだと、村長さんに聞いていた。


 ロゼリアは、壇を降り、老人の傍らに、膝をついた。


 聖女が、土に膝をつく。それだけで、群衆から、感嘆の声が上がった。完璧な所作だった。完璧に、計算された。


「祈ります」


 妹が、両手を、組んだ。


 歌うような祈祷の声。香炉の煙。聖歌隊の、澄んだ和声。


 そして——


 ヤコブ爺さんの体が、淡い光に、包まれた。


 ざわめき。悲鳴に近い、歓声。光の中で、老人の、曲がっていた腰が、ゆっくりと、伸びていく。爺さんは、自分の足で、立った。立って、歩いた。


「お、おお……腰が。腰が、痛くねえ……!」


「奇跡だ!」


「聖女さま! 聖女さま!」


 広場が、沸騰した。誰もが、泣き、祈り、ロゼリアの名を、叫んでいた。


 その熱狂の真ん中で。


 私だけが、氷の中にいた。


 腕輪の、三つ目の石が——


 ヤコブ爺さんの腰が伸びていく、まさにその間、砂時計の砂が落ちるように、目に見えて、光を、失っていったのだ。


 祈りが始まる前は、確かに、まだ淡く灯っていた。


 今は——ほとんど、黒い。


「アルヴェインさま」


「見えている」


 彼の声は、低かった。視線は、懐中時計に、落ちたまま。


「祈祷の開始、九時十一分二十秒。石の減光の開始、九時十一分二十四秒。差、四秒。祈祷の終了、九時十四分五十一秒。減光の停止——」


 彼は、私の手首を見た。


「九時十四分、五十五秒。差、四秒」


 懐中時計が、ぱちん、と閉じられた。


「数字が、揃った」



   ◇



 帰りの坂道は、二人とも、しばらく、無言だった。


 広場の歓声が、背中の遠くで、まだ続いていた。


「……あの、確認させてください」


 坂の途中で、私は、立ち止まった。


「妹の奇跡は。あの光は。ヤコブ爺さんの腰は——私から、出ているのですか」


「結論から言えば、その可能性が、極めて高い」


 アルヴェインさまも、立ち止まった。


「叙任式の日、君の三つ目の石は、明滅を始めた。あれが、最初の同期だ。今日のは、二度目。誤差は、行きも帰りも、四秒。偶然で二度、四秒は、揃わない」


「では、献星というのは。呪いというのは」


「『呪い』という言葉が、そもそも、まやかしなのだろう」


 彼は、塔を、見上げた。


「君は、祟られているのではない。——使われているんだ。君が世界から忘れられる、その一目盛り一目盛りが、汲み上げられて、あの光になっている。井戸の水のように」


 目の前が、揺れた。


 マルゴが私を忘れた、あの夜。あの夜に流れ出たものが、どこかで、誰かの「奇跡」になった。私の十七年が、私の名前が、思い出が、一滴ずつ汲まれて——あの壇の上の、白い輝きに、なっている。


「ヤコブ爺さんの腰は、治りました」


 気がつくと、そう、口にしていた。


「それは……それだけは、よかったと、思ってしまうんです。おかしい、でしょうか。自分が汲まれているのに」


 アルヴェインさまは、長く、私を見ていた。


 それから、ゆっくり、首を振った。


「おかしくない。それが、君だ」


 彼は、坂の上へ、歩き出した。


「だが、覚えておいてくれ。爺さんを治した水が、君の井戸から汲まれる必要は、どこにもなかった。世界には、医者がいて、薬があって、時間をかけて治す方法があった。彼女らはそれを、君の十七年で、見世物にした。——治ったことと、許せることは、別だ」


「……はい」


「それと、もう一つ」


 彼は、振り向かずに、言った。


「『おかしいでしょうか』と、君はさっき言ったな。君が自分を疑うときは、これからは、先に私に訊け。私は三百年分の、人間の記録を読んできた。君ほど、まっすぐな井戸を、私は、知らない」


 まっすぐな井戸、という言い方が、彼らしくて。


 こんな日なのに、少しだけ、笑ってしまった。


お読みいただきありがとうございます。


数字が、揃いました。誤差、四秒。

聖女の奇跡は、姉の井戸から、汲まれていました。


「治ったことと、許せることは、別だ」——。


次回、第13話「あなたの奇跡の値段」。

塔に戻った姉妹の、最後の対峙です。

エステルが、静かに、引導を渡します。


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ぱちん、と閉じた懐中時計に、☆ひとつ、お力添えを。


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