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第65話 消えない場所

 北へ帰る山道は、もう、雪解けを、過ぎていた。


 十日をかけて、馬車は、見慣れた坂を、登った。木々は、若葉を、広げていた。冬の朝に発ったときは、白かった山が、いまは、緑だった。


 坂の上に、塔が、見えてきたとき。


 私は、息を、のんだ。


 門の外に、三つの、人影が、立っていた。


 モリスさんが、いつものように、背筋を、伸ばして。ハンナさんが、エプロンのまま。そして、テオが、いちばん前で、両手を、振っていた。


「星のひとーっ!」


 馬車が停まるより早く、テオが、駆けてきた。私は、飛び降りて、その小さな体を、受け止めた。


「ただいま、テオ」


「おかえり! おかえり、星のひと! ぼく、まいばん、ぜんぶの灯り、つけてたよ。やくそく、まもった」


 モリスさんが、静かに、歩いてきた。


「お帰りなさいませ、お嬢様。……記録は、一日も、休みませんでした。塔の帳面には、この百七十三日の、すべてが、残っております。書き留めて、おきましたよ。あなたのいない日々も、ここに、ちゃんと」



   ◇



 私は、ハンナさんの前に、立った。


 彼女に、伝えなければならない、報せが、あった。


「ハンナさん。……アンネリーゼさんのこと、です」


 ハンナさんの、顔が、こわばった。三十年、悔い続けてきた、娘の名前に。


「王都の、新しい記録に、いちばん最初に、名前が、戻りました。名誉回復の、第一号として。アンネリーゼさん。十五歳。星菓子が好きで、歌が上手な、あなたの、娘さん。……もう、誰にも、忘れられません」


 ハンナさんは、しばらく、動かなかった。


 それから、エプロンを、両手で、握りしめて。いつもの、倍の声で、泣いた。


「あの子……あの子の、名前が。三十年。三十年、あたし、一人で、覚えてました。世界中が、忘れても。あたしだけは。……やっと。やっと、みんなに、覚えてもらえる」


 私は、ハンナさんを、抱きしめた。


「星菓子を、王都中に、自慢するんでしたね」


「焼きます! 今夜、焼きます。いちばん、上等なのを。……あの子の、好物を」



   ◇



 テオが、私の袖を、そっと、引いた。


「ねえ、星のひと。……ぼくの、なまえは。ぼくの、ほんとの、なまえも、かえってくる?」


 私は、しゃがんで、テオと、目線を、合わせた。


「まだ、です。テオ」


 嘘は、つきたくなかった。この子には。


「でも、王都に、名前を返すための、場所が、できました。忘れられた人の名前を、探して、返すための。……あなたの名前も、必ず、探します。台帳の、破られた頁の、その先を。時間は、かかるかもしれない。でも、私は、もう、探し始めています」


 テオは、少し、考えて。それから、笑った。


「うん。ぼく、まってる。……でも、まってるだけじゃ、ないよ。ぼくも、さがす。いっしょに」


「ええ。一緒に」


 名前は、まだ、見つからない。


 けれど、探す人が、増えた。それは、昨日より、ずっと、明るいことだった。



   ◇



 その夜、母が、初めて、塔に、入った。


 みんなが、母を、迎えた。ハンナさんが、椅子を、引き。モリスさんが、深く、礼をし。テオが、恥ずかしそうに、母の後ろに、隠れた。


 母は、広間を、見回して、言った。


「ただいま、帰りました。……こんなに、あたたかい場所が、あったのですね。わたくしの、娘の、いる場所に」


 私は、母を、最上階の、灯りの部屋へ、連れていった。


 北の窓に、モリスさんの灯り。東に、ハンナさん。西に、テオ。南に、私。東南に、テオの母のランプ。


 五つの、灯り。


 私は、新しい、六つ目の台座に、蝋燭を、立てた。西南の窓辺に。


「お母さま。ここに、火を」


 母が、震える手で、火種を、移した。


 六つ目の灯りが、点った。


 その夜、麓のルメール村から塔を見上げた人は、六つの灯りを、数えたはずだ。三百年で、一番、多い数を——また、更新して。


 アルヴェインさまが、隣に、来た。


「数えたぞ」


 彼は、言った。


「塔の灯りが、六つ。書庫に戻った帳面が、四十七冊。君と交わした約束が、これまでに、九つ。……全部、覚えている。一つも、忘れない」


「はい」


 階段を、足音が、登ってきた。


 モリスさんが。ハンナさんが。テオが。そして、母が。みんなが、灯りの部屋に、集まってきた。誰に言われたわけでも、なかった。ただ、この夜を、一緒に、見ていたかったのだ。


「六つに、なりましたな」


 モリスさんが、六つの炎を、数えて、頷いた。


「三百年、この塔の窓辺の灯りは、多くて、三つでございました。それが、六つ。……書き留めて、おきましょう。この夜の、灯りの数を。後の世の、誰かが、数え直せるように」


 モリスさんは、羽根ペンを、持っていた。いつでも、書き留められるように。


 テオが、私の手を、片方。母の手を、もう片方、握った。ハンナさんが、その隣に。アルヴェインさまが、いちばん端に、立った。


 六つの灯りが、それぞれの窓辺で、揺れていた。


 北に、東に、西に、南に。東南に、そして、西南に。


 窓の外は、深い、夜だった。麓の村も、その向こうの街道も、闇に沈んでいた。けれど、この部屋だけは、六つの炎で、あたたかかった。


 私は、思った。


 名前は、消える。星も、消える。人も、いつかは、忘れられる。


 けれど、覚えている人が、一人でも、いる限り。灯りを、ともす人が、一人でも、いる限り。


 その人は、本当には、消えない。


「消えない場所、ですね」


 私が、呟くと、アルヴェインさまが、六つの灯りを、数え直しながら、言った。


「ああ。ここが、それだ」


 消える星も、ある。けれど、消えない場所も、ある。


 ここが、それだ。



 ——消えた星の光は、それでも、届いています。


 思い出してくれた、すべての人の胸にも。



【第2部「王都審問編」 完】

お読みいただきありがとうございます。


第2部「王都審問編」、第31話から第65話まで、これにて完結です。


四十七の名前を、王国が、思い出しました。

私を消そうとした父と妹は、もう二度と、私を忘れられません。

母は、「初めまして」から、「ただいま」へ。

そして、アルヴェインさまの、三百年で初めての、お願い。「結婚して、ほしい」。


腕輪の、七つの石は、すべて、灯り直しました。


けれど——解呪の朝、私にだけ、聞こえた声が、ありました。

「ようやく、見つけた」。

私の声に、どこか、似た、あの声は、誰のものだったのか。


第3部「最初の星編」では——

三百年前、いちばん最初に忘れられた人。呪いの、根。

台帳の、破られた頁の、その先。

テオの、本当の名前。

そして、なぜ、アルヴェインさまだけが、忘れないのか。


すべての謎が、「最初の星」へと、収束していきます。


塔の窓辺の灯りは、六つ。まだ、増えます。


ブックマーク・評価・感想、何卒、お願いいたします。

六つになった、塔の灯りに、☆ひとつ、お力添えを。


第3部で、お会いしましょう。


蒼空ルーシェ

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