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第64話 塔へ帰る

 王都を発つまでに、七日が、かかった。


 解呪は、一晩で終わったが、後始末は、そう、いかなかった。


 聖女の奇跡が止まったことで、教会は、大きく、揺れた。ガリウス大司教は、すでに、破門されていた。奇跡を失った妹は、大聖堂を出て、王都のはずれの、小さな家に、移ったと聞いた。誰も、彼女を、拝まなかった。ただ、誰も、彼女を、忘れなかった。


 父は、社交界から、姿を消した。娘を消そうとした男として、記憶され続けながら、生きていくのだろう。私は、二人に、もう、会いに行かなかった。


 赦したのではない。ただ、覚えていてもらう。それで、十分だった。



   ◇



 法務院の、ザイフェルト卿が、私たちを、呼んだ。


 中立を装いながら、記録の重みに、少しずつ、傾いていった人。審問の日、四十七の名前を、黙って聞いていた人だった。


「王に、上申した」


 卿は、机の上に、一枚の書面を、置いた。


「王都に、新しい役所を、置く。忘れられた民を、記録し、名誉を回復し、家族に返すことを、専門とする役所を。……三百年、この国は、都合の悪い人間を、忘れることで、片付けてきた。もう、やめる。名前を、残す。それが、国の、義務だ」


「役所の、名前は」


「記録庁の、下に置く。まだ、仮の名だが——『返名へんめいの間』と、呼ぼうかと思う。名を、返す間だ」


 私は、頭を、下げた。


「第一号は、決まっています。アンネリーゼさん。塔の料理番の、娘です」


「聞いている。もう、書き始めさせた」


 卿は、初めて、少しだけ、笑った。



   ◇



 ヴィオラさんは、王都に、残ることになった。


 新しい役所の、要になる人だった。三百年分の帳面を、いちばんよく知る人。


「北には、行けません」


 彼女は、眼鏡を、押し上げた。少し、寂しそうに。


「でも、いいんです。私の戦う場所は、この、紙の街ですから。……塔の記録を、正本は、お持ち帰りください。複写は、こちらで、大切に」


「ヴィオラさん」


 私は、彼女の手を、握った。


「以前、仰いましたね。『紙の向こうの話も、知りたい』と。……いつか、塔に、いらしてください。帳面の中の人たちが、どんな花を好きだったか。どんな歌を、歌ったか。全部、お話しします。紙の、向こう側を」


 ヴィオラさんの、目が、潤んだ。


「……必ず。休暇を、取って。今度は、山を、登ります」


 初めて彼女が塔に来た日と、同じ言葉だった。私たちは、笑った。



   ◇



 母を、静修院から、連れ出した。


 もう、あの部屋に、母を、置いておく理由は、どこにも、なかった。教会は、母を、人質にする力を、失っていた。


 馬車に乗り込む前、母は、静修院の門を、振り返った。


「わたくし、この場所で、あなたのお名前を、毎晩、書いていました。……初めてお会いした日、わたくし、あなたに、『初めまして』と、言いました」


 母の声が、震えた。


「けれど、今日は、言えます。あなたのいる場所へ、帰るのだと。だから——ただいま。エステル。長いこと、留守にして、ごめんなさい。母は、やっと、帰ってきました」


 私は、母の手を、取った。


「おかえりなさい、お母さま。……塔で、みんなが、待っています。星菓子を焼く人と、記録をつける人と、灯りをともす、小さな子と」


 馬車が、動き出した。


 北へ。十日の、道のり。


 馬車の中で、母は、窓の外を、飽きずに、眺めていた。長いあいだ、静修院の一室しか、見てこなかった目で。


「あなたは、あの塔で、どんなふうに、暮らしているの」


 母が、訊いた。


「教えて。ぜんぶ。……わたくし、あなたの十七年を、ほとんど、覚えていないのです。だから、これからのことは、一日も、忘れたくない。今日、この馬車から見た景色も。あなたが、話してくれることも」


 私は、話した。星菓子を焼くハンナさんのこと。台帳をつけるモリスさんのこと。灯りをともす、テオのこと。麓の村のこと。


 母は、一つ残らず、頷きながら、聞いていた。時々、涙を、拭いながら。


 隣で、アルヴェインさまが、静かに、言った。


「十日で、着く。その頃には、母君は、塔の家族の名前を、全員、覚えている。……私が、保証する。覚えることに関してだけは、この国の誰より、詳しい」


 窓の外で、王都が、遠ざかっていく。


 私は、思った。塔の窓辺の灯りが、また一つ、増えるのだと。北の窓に、モリスさん。東に、ハンナさん。西に、テオ。南に、私。東南に、テオの母のランプ。


 そして、これから、母の灯りが、増える。


 六つ目の、灯りが。

お読みいただきありがとうございます。


後始末に、七日。教会は揺れ、妹は大聖堂を去り、父は社交界から消えました。私は、二人を赦さず、ただ、覚えていてもらうことにしました。

王都には、忘れられた民に名を返す新しい役所「返名の間」が生まれます。ヴィオラさんは、その要に。いつか塔へ、と、約束しました。

そして、母を、塔へ。「初めまして」は、「ただいま」に、変わりました。


次回、第65話「消えない場所」。第2部「王都審問編」、最終話です。


ブックマーク・評価・感想、何卒、お願いいたします。

これから増える、六つ目の灯りに、☆ひとつ、お力添えを。


蒼空ルーシェ

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