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第6話 七つの石

「腕輪を、見せてもらえるか」


 ある朝、アルヴェインさまが、言った。


 書庫の机に、白い布が敷かれ、その上に、私は腕輪を置いた。七つの星石。二つは、もう黒い。残りは、五つ。


 彼は、片眼鏡のような道具を目に当て、石を、一つずつ、長いあいだ、見ていった。モリスさんが、隣で帳面を構える。


「——記録する。第一石、消灯済み。第二石、消灯済み。第三石」


 彼の指が、三つ目の石の上で、止まった。


「明滅、開始」


「めいめつ……?」


 覗き込んで、息を呑んだ。三つ目の石の光が、蝋燭の最後のように、ふっ、ふっ、と、揺れていた。


「三つ目は、社交界の輪だ。君を夜会で見た者、君と踊った者、君の噂をした者たち。——揺れているのは、消えかけている、ということだ」


「いつ、消えるのですか」


「分からない。だが、これまでの記録から、推測はできる」


 アルヴェインさまは、モリスさんの広げた古い帳面を、指でなぞった。歴代の——あの、何十冊の帳面の、写しだった。


「過去の娘たちの記録では、石は、ほぼ等間隔では消えない。輪が大きいほど、早い。小さく、深いほど、粘る。最初の二つが、報せから三月で消えた君の場合……残り五つが消えるまで、おおよそ——」


 彼は、そこで、一度、言葉を切った。数字の人が、数字を言うのを、ためらった。初めてのことだった。


「アルヴェインさま。仰ってください。私、知らないでいるほうが、怖いんです」


「……一年だ」


 静かな声だった。


「長くて、一年。短ければ、十月。それが、七つ目の石——君が、君自身を忘れるまでの、時間だ」


 一年。


 季節が、一回りするだけの、時間。


 不思議と、悲鳴は、出なかった。ずっと、形のなかった恐怖に、初めて、輪郭が与えられた。一年。数えられる。数えられるものとは、戦える——そんな気がした。それはたぶん、この塔で、数える人の隣に、いたからだった。


「ありがとうございます」


「礼を言われることでは、ない」


「いいえ。教えてくださったことも。それから——『これまでの記録から推測できる』ということも」


 私は、机の上の、歴代の写しに、目を落とした。


「この帳面の方たちが、いてくださったから、私は、自分の残り時間を、知ることができました。……この方たちも、いつか、私が、世界に返します。ベルタさんみたいに。それまでに、まず、私が、消えないようにします」


 アルヴェインさまは、何も言わなかった。


 ただ、布の上の腕輪を、壊れ物を扱うように、私の手首に、戻した。彼の指が、手首に、一瞬だけ、触れた。手袋越しなのに、ひどく、あたたかかった。



   ◇



 その午後、モリスさんが、こっそり、教えてくれた。


「先ほどの、推測でございますがな。アルヴェインさまは、昨夜、一晩中、過去の記録を、引き直しておいででした」


「一晩中……?」


「全部、覚えておいでなのに、です。覚えている数字を、紙の上で、何度も、何度も、計算し直して。……一年という数字を、もっと、長くできないか、探しておいでだったのでしょうな」


 羽根ペンが、ことり、と置かれた。


「三百年。あの方は、ああして、娘さんたちの残り時間を、数えて、こられました。数えても、数えても、一日も、増やせはしません。それでも、数えるのを、おやめにならない」


「どうして、ですか」


「数えるのをやめたら、それは、諦めた、ということになりますからで、ございましょう」


 わたくしは年齢を数えるのをやめましたがな、と、老司書は、小さく笑った。笑って、それから、ぽつりと、言った。


「お嬢様。あの方の前で、どうか、いっぱい、お笑いくだされ。あの方が覚えておられるのは、お別ればかりですでな。……笑った顔の記録が、足りんのです」



   ◇



 夕食の席で、その報せは、届いた。


 王都からの、定期便の新聞。広げたモリスさんの手が、止まった。


「いかがした」


「……王都にて、聖女の、正式な叙任式が、執り行われたそうで、ございます」


 食堂が、静かになった。


「新しい聖女さまの、御名は——ロゼリア・メルローゼ様」


 妹の名前が、辺境の食堂に、落ちた。


 新聞には、版画の挿絵が、刷られていた。大聖堂の祭壇。光を浴びて、両手を広げる、白い祭服の少女。その顔は、確かに、ロゼリアだった。可愛らしい、私の妹。私に呪いを「おかげ」と言った、私の妹。


『叙任式では、枯れた聖堂の薔薇が、一斉に花開く奇跡が示され——』


 読み上げるモリスさんの声を、遠くに聞きながら、私は、自分の手首を見ていた。


 三つ目の石が。


 叙任式の日付の、あの日から——明滅を、始めていた。


「アルヴェインさま」


「……ああ」


「妹の奇跡と、私の石は。もしかして」


「まだ、分からない」


 彼は、静かに、しかし、はっきりと言った。


「分からないが——数字は、いずれ、揃う。揃ったら、教える。それまで、推測でものを言うのは、やめておく。君を、根拠なく、苦しませることになる」


 新聞には、続報が、あった。


『聖女ロゼリア様は、叙任の御礼として、王国の各地を巡られる。北部辺境へは、来月——』


 巡礼。


 北部、辺境。


 この地方に、聖女が、来る。


お読みいただきありがとうございます。


刻限が、示されました。長くて、一年。

そして、一晩中、その数字を計算し直していた人が、いました。


王都では、ロゼリアが、聖女に。

彼女の奇跡の日に、エステルの三つ目の石が、揺れ始めました。

そして聖女の巡礼は——北へ。


次回、第7話「妹からの手紙」。

第1章、最終話です。


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