第53話 姉妹の茶会
妹からの文は、蜜のように、甘かった。
『お姉さま。最後に一度だけ、姉妹で、お話がしたいの。昔のように、お茶でも、いかが? ——待っていますわ。ロゼリア』
「最後に一度だけ、か」
鐘つき亭の卓で、文を読んだアルヴェインさまは、短く、言った。
「罠だな。『最後』という言葉を、二度、使っている。文の頭と、心の中とで、意味が違う。表向きは『しばらく会えない』。裏は——」
「分かっています」
私は、文を、畳んだ。
「それでも、行きます」
ヴィオラさんが、眼鏡を、押し上げた。
「危険です。あちらの、庭の中ですよ」
「ええ。でも、ヴィオラさん。私、妹の顔を、見ておきたいのです。……あの子が、今、どんな顔で、笑うのか。それを、覚えておくのが、たぶん、私にしか、できないことだから」
アルヴェインさまは、しばらく、黙っていた。それから、卓の上に、懐中の時計を、置いた。
「二刻だ。二刻経って、君が出てこなければ、私が入る。……茶を飲むには、二刻は、長い。何かあれば、その前に、出てこい」
「はい」
「エステル」
「はい」
「妹の言葉を、一つ残らず、覚えてこい。君の、いちばん、強い武器だ」
「——はい」
◇
聖名広場に面した、聖堂の小部屋だった。
白い卓に、白い薔薇。銀の器に、湯気の立つお茶。妹のロゼリアは、聖女の祭服のまま、微笑んで、いた。
「お姉さま。よく、来てくださったわ。さ、おかけになって。あなたの好きだった、薔薇の茶を、用意させたの」
私は、椅子に、腰を下ろした。
「ありがとう、ロゼリア。……でも、私の好きなお茶は、薔薇では、ないの」
「あら?」
「菫よ。子どもの頃、あなたに、教えたはずだけど。あなたは『薔薇のほうが、上等ですわ』と、言ったの。八つの年の、春。西の温室で」
ロゼリアの、笑みが、少し、固まった。
「まあ。お姉さまったら、細かいことを。昔のこと、でしょう?」
「ええ、昔のこと。私は、昔のことを、覚えているの。……ロゼリア。あなたが、北の塔に来たときのことも。テオという子を、『献星の残りかす』と、呼んだこと」
「……」
「あなたが、叙任の前に、寄越した手紙。『お会いできるのを、楽しみにしています。お姉さま——まだ、覚えていられるうちに』。あの一行だけ、筆の運びが、ほかの行より、濃かったこと。楽しんで、書いたのね」
ロゼリアは、カップを、置いた。かちり、と、硬い音がした。
「あら、あら。お姉さま、ずいぶんと、意地の悪いことを、仰るのね」
「意地悪では、ないの。ただ、覚えているだけ。……あなたは、辺境で、私を見て、『お姉さまなんて、いたかしら』と、微笑んだ。なのに、今日は、『お姉さま』と、何度も、呼ぶ。どちらが、本当?」
「両方、本当ですわ」
ロゼリアの声が、上ずった。
「わたくし、お姉さまのこと、忘れたくて。……でも、忘れられなくて。ずっと、目障りで。ずっと、」
そこで、言葉が、切れた。
妹の手が、震えていた。
白い、細い指。聖女の指。その指が、行き場を失くしたように、卓の上で、震えている。
私は、その指を、見た。そして、気づいてしまった。
妹の目の、奥に、あるもの。憎しみでも、悪意でも、なかった。もっと、寒々しい、もの。——空っぽの、恐れ。誰にも、覚えられなくなる、恐れ。自分が、消えてしまう、恐れ。
それは、私が、毎晩、腕輪の石を見つめながら、感じている恐れと、同じ、形をしていた。
ああ。
この子も、怖いのだ。
憎もうと、した。憎むべきだと、思った。この子が、私から、名前を、家族を、居場所を、奪ったのだから。
なのに、憎みきれない、一瞬が、あった。ほんの、一瞬。妹の震える指を、握ってやりたく、なる、一瞬が。
私は、手を、握らなかった。膝の上で、自分の手を、重ねた。
妹は、まだ、赦される場所に、いない。憐れむことと、赦すことは、違うから。
ロゼリアが、顔を、上げた。震えは、もう、消えていた。聖女の、美しい微笑が、また、貼りついていた。
「お姉さま。もうすぐ、聖名広場で、星祭りが、あるの」
「星祭り」
「ええ。年に一度の、光の祭り。広場じゅうに、蝋燭を灯して、消えた星に、祈るの。……お姉さまも、いらして。ぜひ。特別な、席を、用意してあるの。祭壇の、いちばん近く」
祭壇の、いちばん近く。
その言葉の意味を、私は、正確に、理解した。
「——そう。ありがとう、ロゼリア。伺います」
「まあ、嬉しい」
妹は、手を、叩いた。子どものように。
「約束よ、お姉さま。きっと、来てね。……最後だもの」
最後。
その言葉を、私は、覚えた。ほかの、すべての言葉と、一緒に。
◇
二刻を待たず、私は、部屋を、出た。
聖堂の外で、アルヴェインさまが、時計を、閉じた。
「一刻と、四十分だ。……何を、覚えてきた」
「星祭りの夜。祭壇の、いちばん近くの、席」
私は、冬の空を、見上げた。
「妹は、あの夜に、私を、消すつもりです。……でも、アルヴェインさま。私、一つ、知ってしまった。あの子も、消えるのが、怖いのです。私と、同じ顔で、怖がっていました」
アルヴェインさまは、しばらく、黙って、いた。
「憐れむのは、いい。だが、油断は、するな」
「はい」
「その夜は、私も、ヴィオラどのも、広場にいる。……一人には、しない。三百年、一人だった私が、言うんだ。間違いない」
お読みいただきありがとうございます。
罠と知りながら、エステルは、妹との茶会へ、赴きました。
記憶を武器に、妹の矛盾を、一つずつ、指摘して。
けれど、震える指の奥に、自分と同じ「空っぽの恐れ」を見つけて、憎みきれない一瞬が、ありました。
星祭りの夜、祭壇のいちばん近くの席で——妹は、姉を、消そうとしています。
次回、第54話「消えていく私」。
腕輪の、七つ目の石が、明滅を、始めます。
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蒼空ルーシェ




