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第51話 失脚のあとで

 審問の夜、鐘つき亭の、小さな食堂に、私たちは、集まった。


 ヴィオラさんが、王都で一番、質素な祝いの卓を、囲んでくれた。パンと、スープと、記録庁の書庫で、こっそり温めていたという、林檎酒が、少し。


「勝ちました。エステルさま、私たち、勝ったんです」


 ヴィオラさんは、眼鏡の奥で、目を、赤くしていた。


「特許状は、有効。献星は、人。……四十七人が、三百年で、初めて、人だって、公の紙に、書かれたんです。私、この判決文を、第三書庫の、いちばん、いい箱に、綴じます。一生かけて、守ります」


「ありがとうございます。ヴィオラさん」


 アルヴェインさまは、いつものように、卓の少し外で、腕を組んで、立っていた。けれど、その口元が、わずかに、緩んでいた。塔で、初めて父たちの企みを退けた、あの夜と、同じように。


「四十七の名を、一人も、間違えなかった」


 彼は、言った。


「三百年、私が、看取ってきた娘たちだ。……その名が、あの部屋に、満ちた。私は、それを、覚えておく。今日という日を。君が、あの方々を、油から、人に、戻した日を」


 私は、林檎酒の、カップを、両手で、包んだ。


 温かかった。勝ったのだ、と、少しだけ、思えた。ほんの、少しだけ。



   ◇



 けれど、その温かさは、長くは、続かなかった。


 林檎酒を、飲み干した頃、私は、気づいてしまった。


 窓の外の、王都は、いつもと、同じだった。


 宿の主人は、今朝も、私を、忘れていた。廊下ですれ違った女中も。市場の人も。誰も、私を、覚えていない。審問に、勝っても。四十七の名を、呼んでも。


 私は、まだ、忘れられていく。


「……解けて、いませんね」


 カップを、置いて、私は、言った。


「呪いは、まだ、解けていません。ガリウス大司教は、失脚しました。でも、私は、今も、忘れられていく。妹の奇跡は、まだ、続いている。……構造は、生きたまま、です」


 アルヴェインさまの、目が、細くなった。


「ああ。ガリウスの言った通りだ。制度の、頭を、挿げ替えても、制度そのものは、残る。奇跡が、続く限り。聖女が、恐れる限り」


「妹が、恐れる限り」


 私は、繰り返した。


 ガリウスの、去り際の言葉が、耳に、残っていた。次の油を、探し始めるのは、誰か。あの言葉は、脅しでは、なかった。予言だった。



   ◇



 その予言は、翌朝、形に、なって、届いた。


 ヴィオラさんが、青い顔で、記録庁から、駆けてきた。一枚の、告示の、写しを、握って。


「エステルさま。大聖堂が、告示を、出しました。……聖女ロゼリアさまの、名で」


 私は、それを、受け取った。


『聖名広場にて、星祭りを、執り行う。

 国難のこの時、聖女は、王国の安寧のため、特別の、浄めの儀を、捧げる。

 万民、参集すべし』


 浄めの、儀。


 私は、その一行を、見つめた。背筋を、氷が、伝った。


「これは……」


「調べました」アルヴェインさまが、告示を、覗き込んで、言った。「『浄めの儀』という言葉は、教会の古い記録に、ある。三百年で、七度だけ。……七度とも、直後に、献星が、一人、選ばれ、静修院に、送られている」


 私は、悟った。


 妹は、恐れている。奇跡を、失うことを。構造が、暴かれ、信者の、承認が、揺らぎ、燃料が、細っていくことを。だから、妹は、賭けに、出た。


 私を——完全な、献星に、戻す。もう一度、一滴も残さず、私を、油に、して、奇跡を、取り戻す。それが、あの人の考える、最後の、手だ。


「私を、完全に、消すつもりです」


 声が、震えなかったのは、もう、覚悟していたからだった。


「ガリウスを、倒しても、終わらなかった。……本当の敵は、最初から、妹でした。姉に、呪いを、押し付けた、あの日から」



   ◇



 その夜、私は、腕輪を、見た。


 七つの、石。そのうち、五つは、もう、黒い。遠い知人。使用人。社交界。友人。家門。一つずつ、消えていった、私を、覚えていた、人々の、円。


 残っているのは、二つ。


 六つ目——母の石。


 その光は、もう、ほとんど、点らなかった。ごく、稀に、思い出したように、弱く、瞬いて、すぐに、消える。消灯の、寸前だった。静修院で、名前を、書き続ける、母の手が、それでも、まだ、かろうじて、私を、この世に、繋ぎ止めていた。


 あと、少しで、母も、私を、忘れきる。


 そして、七つ目——私自身の石。


 それだけが、まだ、静かに、点っていた。私が、私を、覚えている限り、消えない、最後の、灯り。


 残るは、この二つ。


 消えかけの、母と。まだ、点っている、私自身と。


 私は、テオの、木の星を、握った。


 窓の外に、王都の、夜空が、あった。星が、いくつか、瞬いていた。あの、どれかは、もう、消えた星の、光かもしれない。三百年前に、消えて、それでも、今、届いている、光。


 私は、母の石に、そっと、口づけた。


「もう少しだけ、覚えていてください。お母さま。……私も、まだ、私を、覚えています。だから、二人で、あと、少しだけ」


 星祭りは、近い。


 妹の、最後の儀式が、始まる。



 ——消えた星の光は、それでも、届いています。


 破門された者の、記録の上にも。

お読みいただきありがとうございます。


審問には、勝ちました。けれど、呪いは、まだ、解けていません。

奇跡を失うことを恐れた妹ロゼリアが、「浄めの儀」——最後の儀式へと、動き出しました。エステルを、完全な献星に、戻すために。

腕輪の石は、残り二つ。消えかけの、母と。まだ点っている、私自身と。


これにて、第七章「初めまして、お母さま」、幕といたします。大司教の失脚という、大きな山を、越えました。けれど、本当の決着は——妹との、あいだに、あります。


次回、第52話「聖女の焦り」。

白い聖衣の下で、彼女が、抱えていたものが、明かされます。


ブックマーク・評価・感想、何卒、お願いいたします。

消えかけの、母の石の、最後の瞬きに、☆ひとつ、お力添えを。


蒼空ルーシェ

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