第49話 大審理室
王宮法務院の、大審理室は、天井が、高かった。
石造りの、丸い部屋だった。中央に、証言台。それを囲むように、階段状の席が、せり上がっている。一番高い席に、審理を主宰する、王宮法務院長——ザイフェルト卿が、座っていた。
白髪の、痩せた老人だった。感情の読めない、静かな目で、部屋を、見下ろしていた。中立。どちらにも、傾かない。それが、この人の、評判だった。
右手の席に、教会が、いた。
中央に、大司教ガリウス。豊かな白い髭を、蓄えた、穏やかな顔の老人。信仰の、権化のような。その傍らに、副司教ロタール。母を人質にして、取引を、持ちかけてきた、あの男。私と、目が、合うと、薄く、微笑んだ。
その、少し後ろに、父が、いた。
ゲルハルト・メルローゼ伯爵。教会側の、証人として。
父は、私を、見なかった。私が、そこに、いないかのように。三百年、井戸の水を、静かに、汲んできた側の、席に、父は、座っていた。
そして——教会席の、最も高い場所に、妹が、いた。
聖女ロゼリア。白い聖衣を、纏って。私と、目が、合うと、花のように、微笑んだ。
「お姉さま。……ごきげんよう。遠いところ、大変でしたでしょう」
甘い声だった。けれど、その奥に、一瞬、何もない、空洞のような揺らぎが、覗いた。すぐに、消えた。
左手の席に、私と、アルヴェインさまと、ヴィオラさんが、並んだ。
私たちの、後ろの扉が、開いた。
台車が、運び込まれてきた。帳面が、積まれていた。同じ装丁の、四十七冊。三百年分の。塔から、王都まで、十日かけて、運ばれてきた、あの方々の、記録。
石の床を、車輪が、進む音が、高い天井に、響いた。
その音だけで、教会席が、静かに、なった。
◇
「開廷する」
ザイフェルト卿の、乾いた声が、部屋に、落ちた。
「本件は、星灰の塔が有する、王家特許状の再審である。争点は、二つ。第一に、当該特許状の効力。第二に——その特許状が保護すると称する『献星』なる者の、法的な地位」
教会側の、法務担当が、立ち上がった。ロタールだった。
「恐れながら、申し上げます。争点の、第二について。『献星』とは、人ではございません。制度で、ございます」
彼は、滑らかに、続けた。
「聖女の奇跡は、王国の、三百年の礎。その奇跡を、支える仕組みが、献星の制度で、ございます。……いわば、灯を、灯すための、油。油に、名前は、ございません。油に、戸籍は、ございません。付属物に、過ぎぬのです。制度の。——ゆえに、これを『保護すべき人』として扱う、塔の特許状は、そもそも、前提を、誤っております」
油。
私の、指が、腕輪の上で、握られた。
アンネリーゼは、油ではない。星菓子の、好きな子だった。リディアさまも。マルゴットさまも。四十七の、誰一人。
言い返そうとした私を、アルヴェインさまの手が、卓の下で、静かに、制した。まだだ、と。
ロタールが、続けた。
「証人を、申請いたします。メルローゼ伯爵。当該『献星』の、実の、父君に、ございます」
父が、立った。
「伯爵。証言台の者について、問う」
ザイフェルト卿が、言った。
「そなたの、娘か」
父は、少しの、迷いもなく、答えた。
「私には、娘は、一人きり。聖女ロゼリアで、ございます。……そこにいる者は、家の記録から、消えるはずだった、付属物。名を、口にする値も、ございません」
名を、口にしない。
父は、最後まで、私の名を、呼ばなかった。三百年前から決まっていたように、父は、そういう役を、選んで、そこに、いた。
不思議なことに、私は、もう、傷つかなかった。
昔なら、この一言で、床が、抜けるように、感じただろう。けれど、今は、違った。私は、静かに、それを、記録として、受け止めた。——父は、私を、名で、呼ばない。それは、私が、いない証拠ではなく、この人が、そういう人だという、証拠に、過ぎない。
私は、父を、手放した。
◇
腕輪の、六つ目の石が、明滅を、強めた。
白い光が、点いて、消えて、点いて、消えて。その、間隔が、少しずつ、短く、なっていく。母の石。静修院で、今も、名前を、書き続けている、母の。
私は、袖の下で、それを、握った。まだ、消えないで。もう少しだけ。
「特許状の、正本」
アルヴェインさまが、立ち上がって、卓に、一枚の、古い羊皮紙を、置いた。
「王家の、印璽つき。星灰の塔は、教会領ではない。王立の、観測所だ。ここに積まれた四十七冊は、私文書では、ない。王立観測所の、公的な、観測記録だ」
「観測記録、と、称するものが」
ロタールが、口を、挟んだ。
「一個人の、娘たちの、身の上話を、綴ったものに、過ぎぬのでは?」
「では——」
アルヴェインさまが、言った。声は、静かだった。けれど、部屋の、空気が、変わった。
「その、身の上話が、聖女の奇跡の日時と、寸分たがわず、一致していることを、どう、説明される?」
教会席が、ざわ、と、揺れた。
ガリウス大司教が、初めて、目を、開けた。穏やかな、けれど、底の見えない、目だった。
「ザイフェルト卿」
大司教の、低い声が、響いた。
「この者らの申し立ては、信仰そのものへの、冒涜。数字の、遊びで、三百年の聖なる制度を、汚そうと、しております。……証拠と、称するものを、聞くだけ、無駄と、存じますが」
「聞く」
ザイフェルト卿は、短く、言った。
「本院は、記録を、聞くために、ある。……献星と、呼ばれる者。証言台へ」
部屋中の、視線が、私に、集まった。
いや——集まらない、視線も、あった。父の。妹の、一瞬、逸れた目の。
私は、立ち上がった。テオの、木彫りの星を、握りしめて。四十七の名を、胸に、抱いて。
証言台へ、歩いた。
石の床を、私の足音が、進んでいく。三百年、誰も、歩かなかった道を。
お読みいただきありがとうございます。
大審理室。ザイフェルト卿の主宰で、審問が、始まりました。
教会は言いました。「献星とは、人ではない。制度の、付属物だ。油に、名前はない」と。
父は、最後まで、娘の名を、呼びませんでした。四十七冊の帳面が、運び込まれます。
次回、第50話「四十七の名前を、呼ぶ」。
エステルが、証言台に、立ちます。
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蒼空ルーシェ




