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第40話 父の証言

 父が、王都に、来ていた。


 教会側の、証人として。それを、ヴィオラさんが、翌朝、息を切らして、知らせに来た。


「証人尋問の、名簿を、見ました。……ゲルハルト・メルローゼ伯爵。証言の主旨は」ヴィオラさんは、眼鏡を、直した。指が、少し、震えていた。「『当該の献星なる人物は、メルローゼ家に、元より、存在しない』。……そう、書いてありました」


 エステルは、その言葉を、二度、聞いた。


 元より、存在しない。


 娘は、いなかった。初めから。——それを、父が、証言する。


「……会えますか」


 エステルは、訊いた。


「会って、どうする」アルヴェインさまが、言った。声は、静かだった。「翻意させる、つもりか」


「いいえ」


 彼女は、首を、振った。


「一度だけ、確かめたいんです。……父が、どちらの顔で、それを言うのか」



   ◇



 法務院の、回廊だった。


 証人の控えの間から出てきた父と、エステルは、そこで、行き会った。


 ゲルハルト・メルローゼ伯爵は、記憶の中より、少し、痩せていた。仕立てのいい外套。銀の握りの杖。昔と、同じ、尊大な背筋。


 父は、エステルを、見た。


 まっすぐに、見た。


 そして——何の、変化も、なかった。


 驚きも、後ろめたさも、怒りも。娘を見た父の、どんな顔も、そこには、なかった。ただ、廊下で見知らぬ者とすれ違う、その、無関心が、あった。


「……お父、さま」


 エステルは、言った。


 父の眉が、わずかに、寄った。不快そうに。


「私を、父と呼ぶな。人違いだ」


 常体の、低い声。


「私に、娘は、一人。聖女ロゼリアだけだ。……お前のような娘は、知らぬ」


 その瞬間だった。


 エステルの右手首で、五つ目の石が——明滅を、止めた。


 揺れが、消えた。光が、す、と、引いた。


 冷たいものが、手首から、腕を、伝った。


 消えた、と、分かった。家門の石が。父の中から、娘の最後の一欠片が、たった今、消えた。


 だから、父は、嘘を、ついていなかった。


 「知らぬ」と言った、その言葉は——もう、真実だった。娘を消そうとした男が、最後に、本当に、娘を、忘れた。


 エステルは、しばらく、立っていた。


 不思議と、涙は、出なかった。もっと、痛いと、思っていた。名を呼ばれないことは、この一年、ずっと、彼女を傷つけてきた。母の顔、使用人の顔、友の顔。名を呼ばれないたびに、少しずつ、削られてきた。


 けれど、今は。


 痛みの代わりに、静けさが、あった。


「……そうですか」


 エステルは、言った。丁寧語のまま。温度は、もう、下がりきっていた。


「覚えて、いなくて、いいんです。あなたが、わたしを、忘れても」


 父は、答えなかった。知らぬ娘の、独り言に、答える義理は、ないというように。


「わたしが、覚えていますから。あなたが、わたしの父だったことも。……娘を、紙の上から消そうとした人だったことも。全部、わたしが、覚えて、記録します」


 彼女は、頭を、下げた。他人に対する、礼の角度で。


「証言、なさってください。『そのような娘は、いない』と。……いいえ、それは、もう、あなたにとっては、嘘ですらない。だから、あなたを、責めません。責める相手は、あなたを、そうさせた人です」


 父は、何も言わず、杖を鳴らして、去っていった。


 最後まで、エステルの名を、呼ばなかった。この一年、ただの一度も、呼ばなかったように。



   ◇



 回廊の窓辺に、アルヴェインさまが、立っていた。少し、離れた場所で、ずっと、見ていた。


 エステルが、隣に来ると、彼は、腕輪を、見た。


「五つ目が、消えた」


「はい」


「残りは、二つだ」彼の声は、いつもの、数える声だった。「六つ目——母。七つ目——君、自身。……刻限が、速くなる。石は、深い輪に近づくほど、粘る。だが、粘るぶん、消えるときは、速い」


「はい」


「怖いか」


 エステルは、少し、考えた。


「怖くは、あります。……でも」


 彼女は、消えた五つ目の石に、指で、触れた。冷たかった。


「父を、手放せた気が、します。ずっと、待っていたんだと、思います。いつか、父が、わたしの名を、呼んでくれる日を。……もう、待たなくて、いいんですね。待たずに、済むのなら、いっそ」


 彼女は、窓の外の、王都の空を、見た。


「残った二つに、その分の力を、使えます。母と、わたし自身に」


 アルヴェインさまは、しばらく、黙っていた。それから、ぽつりと、言った。


「君の父は、間違っている」


「え?」


「三百年で、『忘れた方が楽だ』と言った者は、百四十二人いた。全員、間違っていた。……君の父も、その、百四十三人目だ」


 エステルは、小さく、笑った。


 この人は、こういう言い方でしか、慰めない。数えて、並べて、間違っていると、断ずる。


 けれど、それは、たしかに、慰めだった。

お読みいただきありがとうございます。


父ゲルハルトが、王都に来ていました。教会側の証人として。

「そのような娘は、元よりいない」——そう証言するために。

回廊で行き会ったとき、父は、本当に、娘を忘れていました。

消そうとした側が、最後に、忘れる。五つ目の石が、消えました。


残る石は、二つ。母と、自分自身。


次回、第41話「奇跡の値段」。

ヴィオラさんが、四十七件の日付を、突き合わせます。


ブックマーク・評価・感想、何卒、お願いいたします。

名前を呼ばれなかった娘の、静かな決心に、☆ひとつ、お力添えを。


蒼空ルーシェ

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