↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
37/66

第36話 証拠採用申立

 証拠採用の申立ては、王宮法務院の、小さな審理室で、行われた。


 まだ、本審ではない。何を証拠として認めるか、を、決めるだけの、前さばきの場だ。けれど、ここで、塔の帳面が、はじかれれば、本審は、始まる前に、終わる。


 正面の、一段高い席に、法務院の長が、着いていた。


 ザイフェルト卿。白髪を、きっちりと、後ろに撫でつけた、痩せた人だった。年の頃は、六十ほど。感情の読めない、乾いた目。手元には、書付を、寸分の狂いもなく、揃えて、置いていた。


「王宮法務院長、ザイフェルト。本日は、特許状再審第七号の、証拠の取り扱いについて、双方の申立てを、聞く」


 声は、低く、平らだった。中立を、絵に描いたような、声。


「教会法務院より。塔の提出する記録の、証拠能力について、異議がある由。——述べよ」


 教会側の席から、副司教ロタールが、立った。


「恐れながら、院長どの」


 油を差したような、丁寧な声。


「塔の、その、何十冊もの帳面。あれは、いわば、一介の司書が、私的に、書き溜めた覚え書きに、過ぎませぬ。番人と申す者の、身元とて、定かではない。家名も、ない。……つまり、あれは、公の記録では、ございません。私文書です。私文書を、王家の審理の、証拠と、するわけには。前例が、ございませぬ」


 私文書。


 なるほど、と、思った。この人たちは、私たちの記録を、「個人の落書き」に、格下げしようとしている。落書きなら、いくらでも、握り潰せる。



   ◇



「塔の側。反論は」


 ザイフェルト卿が、こちらを、見た。


 立ったのは、アルヴェインさまだった。


「番人だ。家名は、ない。三百年前に、失われた。だが——身元は、この一枚が、証している」


 彼は、一巻の、古い羊皮紙を、卓に、広げた。


 王家の、特許状。星灰の塔の、正本。


「星灰の塔は、私領でも、教会領でもない。王家の特許状を、賜った、王立の、観測所だ。三百年前、時の国王の名において、天と、星と、暦を、観測し、記録することを、命じられた。この特許状は、今も、失効していない。先の抹消手続きの審査でも、その効力は、認められている」


 彼は、ザイフェルト卿の目を、まっすぐに、見た。


「ならば、問う。王立の観測所が、王命によって、記録した帳面は、私文書か。——観測所が、星の運行を記した頁も、そこに預けられた人間の名を記した頁も、同じ、一冊の、公の記録簿だ。星の名は認めて、人の名は認めない、という道理は、ない」


 ヴィオラさんが、続けて、立った。早口で、けれど、一語も、噛まなかった。


「王宮記録庁、第三書庫付き、ヴィオラ・カッセルです。補足いたします。塔の帳面は、私文書では、ありません。理由は、三点」


 彼女は、指を、三本、立てた。


「一点。特許状により、塔は、記録を、王家に、上申する義務を、負っています。義務として書かれた記録は、公記録です。二点。塔の帳面の写しの一部は、過去に、王宮記録庁に、実際に、上申され、書庫に、保管されています。私が、確認しました。庁の受領印も、あります。三点。——先の、抹消願の審査において、法務院は、塔の記録を、証拠として、採用しています。つまり、法務院自身が、既に一度、これを公記録として、扱っている。今さら、私文書だと、退けるのは、法務院の、前の判断と、矛盾いたします」


 審理室が、静かに、なった。


 ロタールの、笑みが、わずかに、固くなった。


「……子細な、屁理屈を」


「屁理屈では、ありません」


 ヴィオラさんは、眼鏡を、押し上げた。


「記録を、正しく扱う、というだけの、話です。書記官の、務めです」



   ◇



 ザイフェルト卿は、しばらく、何も、言わなかった。


 乾いた目で、卓の上の、特許状を、見ていた。それから、アルヴェインさまが運び込んだ、何十冊もの帳面の、山を。


 彼は、一冊を、手に取った。


 めくった。


 そこに、記された、名前を。好きだった花を。最後の言葉を。誰にも読まれずに、三百年、書庫の奥で、眠っていた、それを。


 彼の、感情の読めない目が。


 ほんの、一瞬。


 止まった。


 乾いた目の、その奥に、何かが、よぎった。記録の、重み、とでも、呼ぶべきもの。中立の人が、中立のまま、けれど、少しだけ、動いた、瞬間だった。


 彼は、帳面を、そっと、閉じた。


「——判断する」


 ザイフェルト卿の声は、やはり、平らだった。けれど、さっきより、ほんの少し、重かった。


「塔の記録は、王家の特許状に基づく、王立観測所の、公記録と、認める。ゆえに、本審における、証拠能力を、認める。教会側の、異議は、却下する」


 息を、呑む音が、した。


「並びに、記録の内容が、公益に、関わる可能性に鑑み。本審は——非公開とせず。公開の、審問とする」


 公開審問。


 私は、拳を、握った。土俵に、上がれた。閉じた部屋では、なく。開かれた場所で、四十七の名を、読める。


 ロタールが、無言で、立ち上がった。笑みは、もう、なかった。



   ◇



「本審の、期日は、追って、通達する。双方、証人と、証拠の、目録を、提出せよ」


 ザイフェルト卿が、そう、締めくくろうとした、その時。


 私は、思い切って、声を、上げた。


「一つ、証人の申請を、お許しください」


「述べよ」


「メルローゼ家の、母。ユリアーナ・メルローゼを、証人として、申請いたします。抹消願に、母だけが、署名を、拒みました。その、いきさつを——」


 言い終える前に。


 ロタールの、声が、被さった。


「それは、叶いませぬな」


 冷たい、断言だった。


「ユリアーナ・メルローゼ夫人は、目下、御静養中。心を、病んでおられて。教会の、静修院にて、手厚く、お世話を、しております。……とても、王宮の、審問の場に、お出しできる、お体では。夫人を、外へ、出すことは、できません。どうか、ご容赦を」


 静修院。


 教会の、隔離施設。


 私は、その一言で、母が、どこにいるのかを、初めて、知った。そして、同時に、悟った。


 母は、療養している、のではない。


 閉じ込められている。


 署名を、拒んだ母は、教会の手の内に、置かれている。母を、証人に出せば、抹消願の闇が、暴かれる。だから、あちらは、母を、外へ、出さない。「病」を、口実に。母は、人質だ。


 ロタールの、目が、笑った。今度は、心から。


「お母上に、お会いに、なりたければ。……審問の話は、忘れて、いただくのが、一番の、近道かと。何度も、申し上げますが」


 私は、母の顔を、思い出そうとした。


 けれど、もう、うまく、思い出せなかった。⑥の座の星は、まだ、灯っている。でも、その光は、日ごとに、頼りなく、なっていた。

お読みいただきありがとうございます。


ザイフェルト卿は、塔の帳面を、公記録と認めました。

審問は、公開と、決まりました。土俵に、立てたのです。

けれど——母ユリアーナは、静修院に、囲われていました。


証人に出せば、闇が暴かれる。だから、教会は、母を出さない。


次回、第37話「静修院の母」。

母は、裏切ってなど、いませんでした。


ブックマーク・評価・感想、何卒、お願いいたします。

一冊の帳面に手を止めた、乾いた目の院長に、☆ひとつ、お力添えを。


蒼空ルーシェ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。