第36話 証拠採用申立
証拠採用の申立ては、王宮法務院の、小さな審理室で、行われた。
まだ、本審ではない。何を証拠として認めるか、を、決めるだけの、前さばきの場だ。けれど、ここで、塔の帳面が、はじかれれば、本審は、始まる前に、終わる。
正面の、一段高い席に、法務院の長が、着いていた。
ザイフェルト卿。白髪を、きっちりと、後ろに撫でつけた、痩せた人だった。年の頃は、六十ほど。感情の読めない、乾いた目。手元には、書付を、寸分の狂いもなく、揃えて、置いていた。
「王宮法務院長、ザイフェルト。本日は、特許状再審第七号の、証拠の取り扱いについて、双方の申立てを、聞く」
声は、低く、平らだった。中立を、絵に描いたような、声。
「教会法務院より。塔の提出する記録の、証拠能力について、異議がある由。——述べよ」
教会側の席から、副司教ロタールが、立った。
「恐れながら、院長どの」
油を差したような、丁寧な声。
「塔の、その、何十冊もの帳面。あれは、いわば、一介の司書が、私的に、書き溜めた覚え書きに、過ぎませぬ。番人と申す者の、身元とて、定かではない。家名も、ない。……つまり、あれは、公の記録では、ございません。私文書です。私文書を、王家の審理の、証拠と、するわけには。前例が、ございませぬ」
私文書。
なるほど、と、思った。この人たちは、私たちの記録を、「個人の落書き」に、格下げしようとしている。落書きなら、いくらでも、握り潰せる。
◇
「塔の側。反論は」
ザイフェルト卿が、こちらを、見た。
立ったのは、アルヴェインさまだった。
「番人だ。家名は、ない。三百年前に、失われた。だが——身元は、この一枚が、証している」
彼は、一巻の、古い羊皮紙を、卓に、広げた。
王家の、特許状。星灰の塔の、正本。
「星灰の塔は、私領でも、教会領でもない。王家の特許状を、賜った、王立の、観測所だ。三百年前、時の国王の名において、天と、星と、暦を、観測し、記録することを、命じられた。この特許状は、今も、失効していない。先の抹消手続きの審査でも、その効力は、認められている」
彼は、ザイフェルト卿の目を、まっすぐに、見た。
「ならば、問う。王立の観測所が、王命によって、記録した帳面は、私文書か。——観測所が、星の運行を記した頁も、そこに預けられた人間の名を記した頁も、同じ、一冊の、公の記録簿だ。星の名は認めて、人の名は認めない、という道理は、ない」
ヴィオラさんが、続けて、立った。早口で、けれど、一語も、噛まなかった。
「王宮記録庁、第三書庫付き、ヴィオラ・カッセルです。補足いたします。塔の帳面は、私文書では、ありません。理由は、三点」
彼女は、指を、三本、立てた。
「一点。特許状により、塔は、記録を、王家に、上申する義務を、負っています。義務として書かれた記録は、公記録です。二点。塔の帳面の写しの一部は、過去に、王宮記録庁に、実際に、上申され、書庫に、保管されています。私が、確認しました。庁の受領印も、あります。三点。——先の、抹消願の審査において、法務院は、塔の記録を、証拠として、採用しています。つまり、法務院自身が、既に一度、これを公記録として、扱っている。今さら、私文書だと、退けるのは、法務院の、前の判断と、矛盾いたします」
審理室が、静かに、なった。
ロタールの、笑みが、わずかに、固くなった。
「……子細な、屁理屈を」
「屁理屈では、ありません」
ヴィオラさんは、眼鏡を、押し上げた。
「記録を、正しく扱う、というだけの、話です。書記官の、務めです」
◇
ザイフェルト卿は、しばらく、何も、言わなかった。
乾いた目で、卓の上の、特許状を、見ていた。それから、アルヴェインさまが運び込んだ、何十冊もの帳面の、山を。
彼は、一冊を、手に取った。
めくった。
そこに、記された、名前を。好きだった花を。最後の言葉を。誰にも読まれずに、三百年、書庫の奥で、眠っていた、それを。
彼の、感情の読めない目が。
ほんの、一瞬。
止まった。
乾いた目の、その奥に、何かが、よぎった。記録の、重み、とでも、呼ぶべきもの。中立の人が、中立のまま、けれど、少しだけ、動いた、瞬間だった。
彼は、帳面を、そっと、閉じた。
「——判断する」
ザイフェルト卿の声は、やはり、平らだった。けれど、さっきより、ほんの少し、重かった。
「塔の記録は、王家の特許状に基づく、王立観測所の、公記録と、認める。ゆえに、本審における、証拠能力を、認める。教会側の、異議は、却下する」
息を、呑む音が、した。
「並びに、記録の内容が、公益に、関わる可能性に鑑み。本審は——非公開とせず。公開の、審問とする」
公開審問。
私は、拳を、握った。土俵に、上がれた。閉じた部屋では、なく。開かれた場所で、四十七の名を、読める。
ロタールが、無言で、立ち上がった。笑みは、もう、なかった。
◇
「本審の、期日は、追って、通達する。双方、証人と、証拠の、目録を、提出せよ」
ザイフェルト卿が、そう、締めくくろうとした、その時。
私は、思い切って、声を、上げた。
「一つ、証人の申請を、お許しください」
「述べよ」
「メルローゼ家の、母。ユリアーナ・メルローゼを、証人として、申請いたします。抹消願に、母だけが、署名を、拒みました。その、いきさつを——」
言い終える前に。
ロタールの、声が、被さった。
「それは、叶いませぬな」
冷たい、断言だった。
「ユリアーナ・メルローゼ夫人は、目下、御静養中。心を、病んでおられて。教会の、静修院にて、手厚く、お世話を、しております。……とても、王宮の、審問の場に、お出しできる、お体では。夫人を、外へ、出すことは、できません。どうか、ご容赦を」
静修院。
教会の、隔離施設。
私は、その一言で、母が、どこにいるのかを、初めて、知った。そして、同時に、悟った。
母は、療養している、のではない。
閉じ込められている。
署名を、拒んだ母は、教会の手の内に、置かれている。母を、証人に出せば、抹消願の闇が、暴かれる。だから、あちらは、母を、外へ、出さない。「病」を、口実に。母は、人質だ。
ロタールの、目が、笑った。今度は、心から。
「お母上に、お会いに、なりたければ。……審問の話は、忘れて、いただくのが、一番の、近道かと。何度も、申し上げますが」
私は、母の顔を、思い出そうとした。
けれど、もう、うまく、思い出せなかった。⑥の座の星は、まだ、灯っている。でも、その光は、日ごとに、頼りなく、なっていた。
お読みいただきありがとうございます。
ザイフェルト卿は、塔の帳面を、公記録と認めました。
審問は、公開と、決まりました。土俵に、立てたのです。
けれど——母ユリアーナは、静修院に、囲われていました。
証人に出せば、闇が暴かれる。だから、教会は、母を出さない。
次回、第37話「静修院の母」。
母は、裏切ってなど、いませんでした。
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蒼空ルーシェ




