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第35話 妹の使い

 翌日の午後、鐘つき亭に、使いが、来た。


 聖女の名で、書かれた、招きだった。「姉妹だけで、少し、お話がしたいの」。香を焚きしめた、上等な紙。文字は、隅々まで、可憐だった。


「罠だな」


 アルヴェインさまは、招きの紙を、灯りに、透かした。


「昨夜、あちらは、広場で君を『見つけた』。次の手を、打ってきた。……行くなら、私が、隣に立つ」


「いいえ」


 私は、首を、振った。


「私が、行きます。妹が、私に、何を言うのか。この耳で、聞いておきたいんです。……大丈夫。もう、あの子の甘い声には、揺れません。私は、覚えていますから。あの子が、これまで、何を言って、何をしたか。全部」



   ◇



 妹は、教会の、客間で、待っていた。


 白い衣。膝の上で、しとやかに、組まれた手。私が入ると、ロゼリアは、ふわり、と、微笑んだ。


「お姉さま。……ああ、よかった。ちゃんと、いらしてくださって」


 甘い、語尾の上がる声。昔と、何も、変わらない。


「昨夜、広場で、お見かけした気が、して。心配で、心配で。こんな、人の多いところに、お一人で。お加減は、いかが? 辺境のお暮らしは、お体に、障りませんでした?」


「ロゼリア」


 私は、静かに、名を、呼んだ。


「昨夜、あなたは、私を、見つけましたね。何万人も、いたのに。誰も、私を、見なかったのに。あなただけが、まっすぐに」


 妹の睫が、一度、揺れた。


「……あら。何のこと、かしら。わたくし、祈りに、夢中で。誰がどこにいたかなんて、とても——」


「奇跡の光が、一番強くなった時。私の腕輪の星が、一番、細くなりました。同じ拍で。あなたの光は、どこから、来ているんですか。ロゼリア」


 その時だった。


 妹の、甘い笑みの、奥。


 ほんの一瞬、そこに、何もない、空洞のようなものが、覗いた。


 喜びでも、悪意でもない。ただ、深い、深い、井戸の底のような。選ばれなかった者が、覗き込む、暗がりのような——恐れ。


 妹は、自分が、燃料に頼っていることを、知っている。そして、その燃料が、姉である私だと、体のどこかで、感じてしまっている。だから、見つけた。だから、あの顔を、した。


「……お姉さま」


 妹の声が、一瞬、幼く、なった。


「お姉さまは、いつも、そう。何でも、覚えていて。全部、見ていて。……ずるい、わ」


 それは、聖女の声では、なかった。


 けれど、次の瞬間には。


 妹は、また、あの、可憐な微笑みを、貼り直していた。空洞に、蓋をした。



   ◇



「聖女さまは、お疲れです」


 声が、客間の入り口から、した。


 黒に近い、濃紺の司祭服。細い、油を差したような声。年の頃は、四十ほど。にこやかなのに、目だけが、笑っていない男だった。


「副司教の、ロタールと、申します。大司教ガリウス猊下の、名代として。……姉君どのに、ご挨拶を」


 私は、頭を、下げた。


「ロタール、さま」


「昨日、広場で、お倒れになりかけたとか。番人どのに、支えられて。——ええ、ええ、聞き及んでおりますよ。この街のことは、何でも、私の耳に、入ってまいりますのでね」


 門の登録係の帳面は、この男の、机まで、届いているのだ。


「さて。姉妹の、心温まる再会に、水を差すようで、恐縮ですが。……一つ、実務の、お話を」


 ロタールは、袖の内から、一枚の書付を、出した。


「特許状の再審の件。王宮に、受理されたことは、ご存知の通り。ただ、審理の、形式について。聖女さまの、御身の安全と、教会の、威信に関わることでも、ありますので。——審理は、非公開の場で、行うのが、よろしいかと。関係者、数名のみで。静かに。穏便に」


 非公開。


 私は、その言葉の、重さを、量った。


「傍聴を、閉じる、ということですか」


「左様。世間を、騒がせては、なりません。塔の、その、古い言い伝えのような話を、大衆の前で、あれこれと。……お互いの、体面のためにも」


 優しげな言葉の下で、この男が、何を、消そうとしているのかが、分かった。


 三百年分の帳面を、王国で一番大きな声の出る場所で、読み上げる。それが、こちらの、唯一の武器だ。妹の奇跡の値段を、群衆の前で、明かすこと。——非公開に、してしまえば、その声は、四枚の壁の内側で、消える。誰にも、届かない。


「取り下げて、いただく、という道も、ございますよ」


 ロタールは、なお、笑みを、崩さなかった。


「特許状の再審など、面倒な話は、忘れて。塔に、お帰りになる。そうすれば、聖女さまも、心を痛めずに、済む。……悪い話では、ないでしょう?」


「——そうですか」


 私の声から、温度が、引いた。敬語は、そのまま。ただ、冷たく。


「非公開の場で、静かに。取り下げて、忘れて、塔に帰れ。……ロタールさま。あなた方は、いつも、そうやって、静かにしてきたんですね。三百年。誰にも、聞こえないように。誰にも、読まれないように」


 ロタールの、片方の眉が、わずかに、動いた。


「私は、忘れに、王都へ来たのでは、ありません。覚えてもらいに、来たんです。——非公開には、しません。塔の記録を、開かれた場所で、読みます。全部、です」


 妹が、私と、ロタールを、交互に、見ていた。その目に、また、あの、空洞が、ちらついた。



   ◇



 鐘つき亭へ、帰る道。


 私は、アルヴェインさまと、ヴィオラさんに、すべてを、話した。


「非公開に、持ち込む気か」


 アルヴェインさまの声が、低く、沈んだ。


「あの男の狙いは、一つだ。塔の帳面を、証拠として、法廷に、出させないこと。あるいは、出しても、閉じた部屋で、握り潰すこと。——記録は、読まれて、初めて、記録になる。読まれなければ、無いのと、同じだ」


 ヴィオラさんが、眼鏡を、押し上げた。その手が、少し、震えていた。


「つまり、次に、争うのは。……塔の、三百年分の帳面が、この審理で、証拠として、認められるかどうか。証拠採用の、可否です。それが、認められれば、公開審問。認められなければ——四十七の名前は、また、書庫の奥へ、逆戻り」


 私は、手首の、三つの星を、見た。


 まだ、灯っている。まだ、時間が、ある。


「土俵の、外に、立たされる前に。まず、土俵に、上がらないと」

お読みいただきありがとうございます。


妹ロゼリアの甘い声の底に、エステルは、空洞を見ました。

副司教ロタールは、審問を「非公開」に沈めようとします。

記録は、読まれて、初めて、記録になる——。


次回、第36話「証拠採用申立」。

争点は、塔の帳面が、証拠として認められるか、否か。


ブックマーク・評価・感想、何卒、お願いいたします。

甘い笑みの奥で揺れた、妹の井戸の底に、☆ひとつ、お力添えを。


蒼空ルーシェ

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